Gloria Estefan - Words Get in the Way (from Live and Unwrapped)
あの曲を聞くと何かを思い出す『音楽は思い出とともに』シリーズ第4弾は、
Miami Sound Machineの"WORDS GET IN THE WAY"であります。
何度聴いてもグロリア・エステファンの歌声にうっとりさせられます。
曲について調べてみて、彼女自身が書いた曲であることを今回はじめて知った。
彼女のバンドMiami Sound Machineによる英語版アルバム第2弾"PRIMITIVE LOVE"から3枚目のシングルカット。ビルボードシングルチャート最高位5位(1968年9月)。同年のビルボードアダルト・コンテンポラリーチャートで1位の栄冠。この曲のヒットによって彼女たちの知名度が飛躍的に上昇。その後の世界的成功への呼び水となった。
この曲を聴くとニューヨーク・シティを思い出す。
1986年8月に初めてアメリカ旅行したとき、拠点はテネシー州メンフィスにおいて、
ナイアガラの滝、ニューヨーク、グランドキャニオンを巡った。
これらの地を訪れた順番は覚えていない。
ラガーディア空港からマンハッタン入りして、タイムズスクエア近くのホテルにチェックイン。
時間が早かったせいか、部屋にはまだお掃除係の方がいらっしゃって、
部屋のラジオで静かにかかっていたのがこの曲”WORDS GET IN THE WAY”だった。
おかげで、この曲がたまたま流れてくると、
タイムズスクエアの風景が頭の中に広がり、魂はニューヨークへ飛んでいく。
この日は曇り空で少しひんやりしていたのを覚えている。
ちなみに南部メンフィスでは気温が連日42度に達し、ここまで行くとエアコンもよく効かずバテ気味。炎天下にクルマを置いておくとボンネットやドアは熱くて触れなくなる。ボンネットで目玉焼きができるというのは冗談ではなく、リアリティとして記憶に残っている。
当時のNYCはまだ物騒で、街を歩く時は、のんびりした田舎のメンフィスとは違って、えらく緊張した。
「日本人がNYCの地下鉄に乗ると、身ぐるみ剥がされ、生きて帰れない」という伝説がまことしやかに通用していた時代。もちろん、この時は地下鉄に乗らなかった。
オノボリさんバスツアーで、エンパイアステートビルの屋上、バッテリーパーク、スタテンアイランドを往復するフェリー、国連ビル・中華街などを見学した記憶。そのバスにはアメリカ人だけでなく、各国からきたお客さんがけっこう乗っていた。道中にガイドさんが外国客にどこから来たかを順番に訊いていく。台湾からきたカップルもいた。うちも日本と答える。ヨーロッパからもけっこうきていたかな。UK、ウエストジャーマニー、フランスなど国名が並んでいく。ある方が絶妙なタイミングで「Louisiana!」と大得意で答えて、全員大爆笑!「ルイジアナはアメリカでんがな!」とツッコミを忘れないガイドさん。バスの雰囲気が一気に和やかになっていったのであった。変なこと覚えているな。。。
あれからン十年のちに、自分がニューヨークを頻繁に旅するようになり、この街に詳しくなるなんて、この時はまったく想像できんかった。しかも、さらにその後、ひとり旅で日本人アーティスト(Perfume)のライブをNYCへ見に行くことになるなんて!たとえば、YMOがNYでライブを行ったのは1979年。その頃の海外旅行は庶民にとっては高嶺の花で、ライブを見るためにアメリカへ行くなんてことは、これっぽっちも思わなかった。世界は確実に狭くなり猫も杓子も海外旅行へ行く時代になった。便利な世の中になったもんだ。しかし、、、、おっと武漢熱への恨みへ話が行くと後味が悪くなってしまうので、このへんで御開き。
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