一昨年5月初旬13期行事の帰途に菰野町の五百羅漢に寄りましたら
ふじ棚のふじの花が丁度見頃でしたので一枚パチリと切り取って参りました。
添付はそれを油で描いたものです。
梓川上流に沿って穂高へ向かう。1996・7・26日
河童橋から横尾山荘前を左にとり、本谷橋を渡り天空に聳える屏風岩を巻いて涸沢小屋
に着く、ここまで6時間。奥穂高へはこの小屋からまだ4時間登ることになる。
三峰(北岳、間ノ岳、農鳥岳いづれも3000m超の主峰3ッとあと2900m級を4ッ計7岳)を
4日かけて縦走。
写真は北岳山頂(富士山に次ぐ二番目の高峰)で。
ここで見た冨士は手の届きそうな所にあり丁度薄暮にさしかかる時で薄紫の高貴な姿を豪壮に目の前に見せてくれました。
縦走の最後は大門沢への降下点まで登り、標高2,000mを指導標に従いじぐざぐに急降下で
した。手摺りのない丸木橋をいくつも渡り返し、眼下を覗くと清流が轟音を響かせ目がくらむば
かりです。目当ての工事中の堰堤が見えてきた時は疲れが一気にどっと出ました。そこから二
つ三つ吊橋を渡りやっと大門沢小屋に辿り着きました。
この間登山者は私のはるか先を降りて行く男一人だけでした。
大門沢小屋で一泊して、翌日奈良田温泉まで降り、汗を流して2時の季節バスに乗りました。
1995・7・31日
穂高岳山荘にて。
ここの岩テラスで持参のコヒーを沸かし、目の前の夏穂高連峰を
見ながらのブレイクは忘れられない。
1996・7・26日
横尾山荘前で山友(ヤマトモ)と。
ここで奥上高地から別れ真っ直ぐ登って行くと長い長い槍沢を登り、
槍ケ岳へいきます。左を行きますと本谷橋を経て穂高への登山道
です。
1996・7・25日
涸沢にて。 背負っていったテント、シェラフ、食料、水で
食事を作り一泊しました。
夜トイレに行き戻る時暗くて自分のテントが何処だったか
分らなくなり、探すのに苦労したのにはマイッタ!マイッタ!
1996・7・25日