今年6月末、雨の休日に暇つぶしに見たビデオまぼろしの邪馬台国。
この日から始まった邪馬台国探しの旅。
何だか答えの無い世界に迷い込み、
終着点の無いサイクリングに出かけてしまった感じ。
そんなかんなでドシロート『にわか古代史研究家』と化した自転車乗りの独り言。
時代は3世紀、弥生時代後期から古墳時代前期。
中学生学習用年表はこんな感じ。

当時の中国の歴史書『三国誌』のごく一部に倭(当時の日本)に関して書かれている。
一般的に『魏志倭人伝』と呼ばれている。
その中に女王卑弥呼の国『邪馬台国』が書かれている。
帯方郡(たいほうぐん)現在のソウル辺りから邪馬台国までの道程と
当時の生活、風習、制度などが書かれている唯一の記録。
この邪馬台国までの道程がやっかいで
「こちらを立てればあちらが立たず」と言うか、解釈も様々。
邪馬台国の所在地として畿内説と九州説が有り、
江戸時代から論争されているものの未だに決着がついていない。
更に古事記、日本書紀の神話が絡み合って何かぐちゃくちゃ。
ただ、ドシロート『にわか古代史研究家』なりに思うに
実在したとすれば邪馬台国はどう考えても九州内でしょう。
畿内説は大学間の派閥やしがらみがあるのでは?
九州説の根拠は(諸々からの受け売り)
・(当時の日本の)舟、インフラでは畿内への航海は難易度大。
・畿内(大和)の勢力は九州まで及んでいなかった。
安田画伯による卑弥呼。

背景の山は阿蘇五岳との事、滋賀県立近代美術館より入手。
で、九州の何処かって?
それは次回。
この日から始まった邪馬台国探しの旅。
何だか答えの無い世界に迷い込み、
終着点の無いサイクリングに出かけてしまった感じ。
そんなかんなでドシロート『にわか古代史研究家』と化した自転車乗りの独り言。
時代は3世紀、弥生時代後期から古墳時代前期。
中学生学習用年表はこんな感じ。

当時の中国の歴史書『三国誌』のごく一部に倭(当時の日本)に関して書かれている。
一般的に『魏志倭人伝』と呼ばれている。
その中に女王卑弥呼の国『邪馬台国』が書かれている。
帯方郡(たいほうぐん)現在のソウル辺りから邪馬台国までの道程と
当時の生活、風習、制度などが書かれている唯一の記録。
この邪馬台国までの道程がやっかいで
「こちらを立てればあちらが立たず」と言うか、解釈も様々。
邪馬台国の所在地として畿内説と九州説が有り、
江戸時代から論争されているものの未だに決着がついていない。
更に古事記、日本書紀の神話が絡み合って何かぐちゃくちゃ。
ただ、ドシロート『にわか古代史研究家』なりに思うに
実在したとすれば邪馬台国はどう考えても九州内でしょう。
畿内説は大学間の派閥やしがらみがあるのでは?
九州説の根拠は(諸々からの受け売り)
・(当時の日本の)舟、インフラでは畿内への航海は難易度大。
・畿内(大和)の勢力は九州まで及んでいなかった。
安田画伯による卑弥呼。

背景の山は阿蘇五岳との事、滋賀県立近代美術館より入手。
で、九州の何処かって?
それは次回。
案外、これだけ昔だと、今では考えられない技術があって、現在の推測では想定外の事があったりして(笑
まあ、永遠の謎=ロマンですよね。
そうですね、当時倭(日本)には文字は普及していなかったらしいので中国に資料があったのはラッキーかと。
考古学、歴史学だけでなく、工学、土木、建築、神学含めてオールマイティに検証されればきっと確定出来ると思うのですが。
まあ、ドシロートは直感頼りに(笑)
自分もど素人ながら九州じゃないかなーと思っています。
景行天皇が熊襲を討つため九州巡幸した際、九州で恭順しなかった部族を土蜘蛛と呼び討伐して回ったのですが
この部族の族長?達には五馬媛や土蜘蛛八十女といった女性代表の部族が結構いるんです。
景行天皇に味方した宇津羅姫、八女津姫も女性です。
神功皇后に討たれた田油津媛も女性です。
この時代、少なくとも九州では女性の地位が高かったようなので卑弥呼も九州なんじゃないだろうか、と安直な想像です。
大和王朝に討たれた九州の女性酋長達のいずれかが邪馬台国の子孫、
もしくは邪馬台国分裂後に小国乱立したのが土蜘蛛達なんじゃないかなと思っています。
各地に史跡が残っているようなのでサイクリングのついでにどうぞ。
コメントありがとうございます。
とても興味ある内容です。
自分なりに調べてみようと思います。
ふーむ、九州は『亭主関白』なイメージですが、女王(奥さん)の手のひらで威張っているだけかな(笑)
今後とも情報頂ければありがたいです。
熊本は昔から「かかあ天下」ですか。
それは、きっと古代女王の国からの風土なんでしょう(笑)
いやー、何冊か邪馬台国関連読みましたが、何と言うか。。。
『邪馬台国』とタイトルに付ければある程度、本は売れたんでしょうね。
あっ、このblogも同じか。