岩手山
十和田八幡平国立公園に指定されていまして。二つの外輪山からなる標高2,038mの岩手県を代表する山です。
岩手山・姫神山・早池峰山の岩手三山による伝説があります。 昔、記事に書いたことがあったような気がするので割愛。
東北自動車道を安比高原側から岩手山SAに向かう下り坂からみる景色は最高です。
もう少しすれば山頂は雪化粧をする季節になりました。 山頂に駐車場があってよく行きましたが . . . 本文を読む
特別史跡無量光院跡
この建物を見て、似ているな? と思われた方もいらっしゃるでしょう。
何に似ている?
そう十円硬貨の表に描かれている平等院鳳凰堂にそっくりなのです。こちらの方が大きく造られたと聞きます。
それもそのはずこの寺院を建立したのは三代秀衡でモデルにしたのが宇治の平等院鳳凰堂なのです。
鳳凰堂は「極楽を願うならば宇治のお寺をお参りしなさい」と子供にまで唄われました。
無量光院もまた仮 . . . 本文を読む
義経終焉の地
高館 義経堂
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて・ほうがんだて)とも呼ばれています。
この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。
兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。
しかし、文治五 . . . 本文を読む
先日、紅葉も終わりそうなので足を運びました。
今まで平泉に関する記事は少なくあまり触れていませんでした。
何故か?・・・と言えば。 話が長くなるからです。 アテルイ・蝦夷・坂上田村麻呂・源頼朝・義経・藤原清衡から4代・その他多くの寺院・前九年の役・後三年の役など色々な話がつながってゆく。 そんなわけで敬遠してきたわけです。
カテゴリーから「岩手県の散歩道」に若干関連記事があります。
今回の寺 . . . 本文を読む
盛岡八幡宮に隣接してその境内内に鎮座しています。
最敬礼
戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没されたおよそ35,800柱の英霊をお祭りしています。
軍犬ならぬ軍狛?
霊璽簿奉安殿(れいじぼほうあんでん)
岩手護国神社に祭られている、戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管しております。
. . . 本文を読む
盛岡八幡神社3-1からつづく
上の鳥居は、北側に位置する巨大鳥居だ。
石灯籠も大きければ狛犬も大きい!
しかし対比する画像が無くて、後ろの建物や三角コーン、ちらっと見える自動車と比較して下さい。
笠森稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)
笠森稲荷神社は八幡宮より前から鎮座していたと言われています。
御祭神=宇迦之御魂命
五穀豊穣・商売繁盛・・この辺は他の稲荷と同じで . . . 本文を読む
盛岡八幡宮は、いつも通過していた場所でした。
たっぷり時間があったので境内を散歩。 広大な2万坪の敷地の中には、多くの神社が祀られています。
まずは、八幡宮社殿・・・ 結婚式に力を入れているようで、この日も挙式が行われていました。
建立は、延宝8年(1680)、第29代南部重信公によるものです。
御祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと=第15代応神天皇)
災害や永年の風雪被害を受けて . . . 本文を読む
前回の不来方城に隣接するのがこの桜山神社です。
正面にある商店街を抜けると裁判所や市役所前の大通りです。
今回は石割桜がまだ満開ではありませんので、カットします。
ということで大通り側から写真を進めて参ります。
鳥居が並んでいますね。
盛岡と言えばじゃじゃ麺ですが、ここが本店「白龍(ぱいろん)」です。
盛岡じゃじゃ麺の元祖、発祥の店です。 今回はカミサンが居ないで食しませ . . . 本文を読む
不来方城の不来方(こずかた)とは
過去記事の三ツ石神社と鬼の手形に記載していますが、要約しますと・・・・
かつてこの地に「羅刹」という鬼がいて、人里を荒らしまわっていた。
困っていた里人達が、三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛り付けました。
この時、鬼が二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残した。
「二度と来ない方向」の意味で、一帯に「不来方」の名が付された . . . 本文を読む
前記事の「旧盛岡銀行」や「新渡戸稲造誕生の地」の界隈にあるここ下ノ橋の袂にこんな碑がありました。
ということで、すぐ下の駐車場にある井戸を見に行きました。
宮沢賢治ゆかりの地
宮沢賢治(明治29年(1896)~昭和8年(1933))は、岩手県稗貫郡里川口(現花巻市)で生まれた。
盛岡中学校(現盛岡一高)、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の多感な青春時代を盛岡で過ごしている。 . . . 本文を読む
明治44年建設の国指定有形文化財
旧盛岡銀行は市街地の中心部に位置し、中ノ橋を渡ると左側にに赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の西洋風の建物が見えて来ます。
盛岡市内の代表的な景観です。
設計は,東京駅を設計した辰野金吾氏と盛岡出身の工学士・葛西萬司です。
東京駅のモデルになったのは、即位式をまじかにしているオランダのアムステルダム駅ですね。
昔、オランダのアムステルダム駅から列車でベル . . . 本文を読む
先日、カミサンの研修があって便乗して盛岡に行って来ました。
残念ながら、桜はまだつぼみでした。
夕方まで暇なので市内をぶらぶらしたわけです・・・という訳で今日から数日盛岡の記事をUPしたいと思います。
特に目的地は無かったのでしたが・・・・・
この看板を観て誕生の地まで100m・・・それなら行ってみましょう。
まずは、この橋を渡ります。
木造の橋です。何故????
どうやらこ . . . 本文を読む
4月16日のことです。
仕事だと思って出勤の準備をしていまして、今日の勤務の内容を手帳でチェックしようとダイヤリーを見ましたら、休みでした。
違う交番表を見ても公休となっています。一応職場に電話して休みを確認しましたらやはり休み!
すっかり家を出るとこでした。
そんな訳で、曇ってはいましたが、家に居るのはもったいないと思い、軽い気持ちで盛岡へ
行き先の決まらないまま出発・・・・ 高速で考えながら . . . 本文を読む
海には霧が立ち込めていました。
ここは田老町です。今は宮古市と合併したようですが・・・
津波防災の町としても有名で、津波対策の研修で他県の港町から研修のお客様が勉強に来ます。
何度かそんなお客様を連れて来たことがありました。
記録に残る大きな津波は・・・・
明治三陸津波:明治29年(1897年)6月15日
最大波高は、14.6mを記録している。
この時、釜石で8.2m、船越で1 . . . 本文を読む
赤穴洞穴 (岩泉町岩泉)
時期:縄文(中期~晩期) 発掘されたもの:土器・石器・骨角器・獣骨・貝殻
標高110m 幅5m/奥行き160m/高さ2.5m
龍泉洞を後にして、太平洋側へ・・・・北に向えば北山崎などのリアス式海岸の究極が見れます。
久慈も間も無くですよ。
又、南部の殿様は赤松が好きだったとか、お陰でこの辺も松茸の宝庫です。
海側の街道筋にも沢山の歴史のこぼれ話 . . . 本文を読む