高崎二丁目地内に市内で最も古い歴史をもつといわれる化度寺という曹洞宗の寺があります。
この寺の西側に赤松林に囲まれた静かなたたずまいの一画があります。
ここが地元の人から日光院と呼ばれている小祠(小さなやしろ)があるところです。
いつ造られたかは不明です。斜面(昔は石の階段だったのでしょう)をのぼると、日露戦争で散華された地元の方の英霊碑と大正11年3月3日高崎に電灯がはじめて点灯された記念碑が参道の左右に立っています。
つづいて緑に苔蒸しすりへった石の階段をのぼりますと小さなお堂が建てられいます。
中を覗いて見ますと、石碑が倒れていました。きっと3.11の地震で倒れたのでしょう。
今回見えませんが石碑には不動明王を意味する梵字が刻まれ、その下に日光大権現と楷書で刻まれているそうです。
お堂の西の斜面には、正応3年(1290)の年号のある古碑をはじめ数基の古碑が散在し、そのなかに不動明王の立像を彫刻した石碑が一基西面して立っています。
さて、この日光院には、つぎのような話が伝わっています。
ある年のことでした。蔵王の連峰にかかる白雲が夕陽で茜色に染められ、烏がねぐらに 急ぐ日暮どき、どこから来たのか諸国を旅する山伏姿の修験者が一人やってきました。
やがて、とある農家を訪れ一夜の宿をたのみました。
その家の主人は粗末な衣をまとっているが徳の高い人だと思い、また、見知らぬ国の話も聞かせてもらえると考えたので泊めてやることにしました。 修験者は、家内一同の親切なもてなしに感謝しながら寝床に入りました。
ところが、どうしたことか、夜中になって突然熱がでて、時間がたつにつれだんだんひどくなりました。
家の人が総出で看病しましたがますます悪くなるばかりでした。
私はとても助かりません、すっかりお世話になったうえご迷惑をかけ申し訳ないが、私が死んだら頭を下に足を上に逆さに立てて埋めて下さい。 と頼んで息絶えました。
見知らぬ旅の空で死ぬとは可哀想なことだ、それにしても逆さに埋めてくれとはどういうことなのだろう。
熱のため頭が変になってあらぬことを口走ったのだろう。 ということ になり、普通の人を埋葬するように埋めてやりました。
ところが、それから高崎で奇妙な熱病が流行し村人たちを苦しめました。
村の人びとが祈祷してもらいますと、あの修験者があらわれ、どうか私のお願いしたように逆さに埋めて下さい。さもないと私は浮かばれませんと懇願して消えました。 驚いた村人たちは、早速そのように葬りなおしました。
すると、さしもの熱病がピタリとなくなったということです。お札を門口に逆さに貼ることで知られる七ヶ浜町の笠岩権現は兄弟の間柄にあるそうです。
七ヶ浜町東宮浜に笠岩堂があるのですが、そこのことかも知れませんね。機会がありましたらいずれ。
この寺の西側に赤松林に囲まれた静かなたたずまいの一画があります。
ここが地元の人から日光院と呼ばれている小祠(小さなやしろ)があるところです。
いつ造られたかは不明です。斜面(昔は石の階段だったのでしょう)をのぼると、日露戦争で散華された地元の方の英霊碑と大正11年3月3日高崎に電灯がはじめて点灯された記念碑が参道の左右に立っています。
つづいて緑に苔蒸しすりへった石の階段をのぼりますと小さなお堂が建てられいます。
中を覗いて見ますと、石碑が倒れていました。きっと3.11の地震で倒れたのでしょう。
今回見えませんが石碑には不動明王を意味する梵字が刻まれ、その下に日光大権現と楷書で刻まれているそうです。
お堂の西の斜面には、正応3年(1290)の年号のある古碑をはじめ数基の古碑が散在し、そのなかに不動明王の立像を彫刻した石碑が一基西面して立っています。
さて、この日光院には、つぎのような話が伝わっています。
ある年のことでした。蔵王の連峰にかかる白雲が夕陽で茜色に染められ、烏がねぐらに 急ぐ日暮どき、どこから来たのか諸国を旅する山伏姿の修験者が一人やってきました。
やがて、とある農家を訪れ一夜の宿をたのみました。
その家の主人は粗末な衣をまとっているが徳の高い人だと思い、また、見知らぬ国の話も聞かせてもらえると考えたので泊めてやることにしました。 修験者は、家内一同の親切なもてなしに感謝しながら寝床に入りました。
ところが、どうしたことか、夜中になって突然熱がでて、時間がたつにつれだんだんひどくなりました。
家の人が総出で看病しましたがますます悪くなるばかりでした。
私はとても助かりません、すっかりお世話になったうえご迷惑をかけ申し訳ないが、私が死んだら頭を下に足を上に逆さに立てて埋めて下さい。 と頼んで息絶えました。
見知らぬ旅の空で死ぬとは可哀想なことだ、それにしても逆さに埋めてくれとはどういうことなのだろう。
熱のため頭が変になってあらぬことを口走ったのだろう。 ということ になり、普通の人を埋葬するように埋めてやりました。
ところが、それから高崎で奇妙な熱病が流行し村人たちを苦しめました。
村の人びとが祈祷してもらいますと、あの修験者があらわれ、どうか私のお願いしたように逆さに埋めて下さい。さもないと私は浮かばれませんと懇願して消えました。 驚いた村人たちは、早速そのように葬りなおしました。
すると、さしもの熱病がピタリとなくなったということです。お札を門口に逆さに貼ることで知られる七ヶ浜町の笠岩権現は兄弟の間柄にあるそうです。
七ヶ浜町東宮浜に笠岩堂があるのですが、そこのことかも知れませんね。機会がありましたらいずれ。
今、読み直して、そう言えば七ケ浜の笠岩権現に行って無かった事を思い出しました。
今度行って見ます。
意味深ですよね、おまけにどうしてそれがいいのか?気になりますね。
またまた七の付く場所まで出てきましたよ。
東北の情報はとてもありがたいです。
いつか高崎にも行ってみたいです。
このような逆さ仏の話は他にもあります。
相当の
信仰を集めていたんでしょうね
後程!
これらの儀式は古代からあったようです。
もう少し調べて見ます。
通りすがりの自転車野郎には、奥の深さを訪ねることはありませんでした。
史実も発掘ですね。
多賀城はやはり不思議だらけだぁぁ。
こんな言い伝えがあったんですね☆!
逆さまに埋葬する意味…なんなんでしょうね?
不思議だわー
あのお堂の下に本当に埋葬されたのか?
と思うと気味が悪くて、早々と立ち去りました。
伝説なので、真実はわかりませんがね。
僧侶が逆さに埋葬されるのは始めて聴きました。
倒立埋葬 調べてみるか。
逆さに立てて埋める。奇妙ですが、何か意味があったのでしょうね。