HPあらはばきはこちらです。
埼玉県の氷川神社の末社にアラハバキ社があることはHPに表記してある通りですが、その証拠といいますか
氷川神社が「あらはばき」であったことを示す図があります。
今回の参考文献は、近江雅和著 隠された古代ーアラハバキ神の謎ー(渓流社)です。
武蔵一宮氷川神社は、大宮の地名の由来にもなった、我が国指折の古社です。
その歴史は2400年以上にもなります。
天保の頃は荒波々幾社として社号が残っていました。(角川文庫「江戸名所図会」より)
拡大図
江戸名所図会は寛政から天保年間の風俗や行事を記している。
これによると、大宮氷川神社の項に【摂社:荒波々幾の社、本社の傍らに在り。
テナヅチ、アシナヅチ二神を祀る。
『武蔵国風土記』に観松彦香殖稲天皇御字三年所祭とあるは、この社をいえるにや】
(みまつひこかあしねのすめらみこと)
とある。
氷川神社については、一度訪問してからと考えていましたが、何時になるか分からないのでアラハバキに関する所を考察します。
アラハバキと出雲の関係が深いことは今までにも述べてきましたが、やはりこの神社も出雲との関わりがあるようです。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)(クシナダ姫)
大己貴命(おおなむちのみこと) です。
最初から三神を祀っていたわけではないようです。
「新編武蔵風土記稿」(文化11年氷川神社では、門客神以前にアラハバキ神社と称しており、決して後からもってきたものではなかった。
出雲大社の境内末社に門客神社が今も二社あるが、大社側ではミカド神社と云って、久多美神と宇治神を祀っていると称し、門客神社を否定している。
しかし、出雲大社資料館の彰古館には、寛文八年(1668)作成の古社図が展示してあり、それには門客神社とされている。(竹内健「異神巡脚記」)
つまり、記紀神話に全く出てこないアラハバキ神こそ、氷川神社本来の祭神であった。
体制側はこの歴史を変えてしまった。出雲大社も同様でしょう。
2017年10月12日 再編集
参拝してきましたので、追記したいと思います。
境内図ですが、パンフレットを撮りました。
■摂社:門客人 とあります。これが「あらはばき社」ですね。
何度も申し上げていますが、門客人とは元々ここに祀られていた神ですが、のちに記紀に登場する神に置き換えられ、客人神として境内の隅に追い払われてしまった神を言います。 ちょっと可哀想ですね。
神官さん達ももう少し自分の勤めてる神社の歴史を勉強して欲しいですね。
実は、この日稀勢の里の土俵入りがあり、全部回れませんでした。
門客人神社(あらはばき社)「あらはばき」に多いのは「足」や「手」が付く神ですね。旅をする速いという性格がありますね。
御嶽神社 (出雲系の神様ですね)
川越氷川神社
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
埼玉県の氷川神社の末社にアラハバキ社があることはHPに表記してある通りですが、その証拠といいますか
氷川神社が「あらはばき」であったことを示す図があります。
今回の参考文献は、近江雅和著 隠された古代ーアラハバキ神の謎ー(渓流社)です。
武蔵一宮氷川神社は、大宮の地名の由来にもなった、我が国指折の古社です。
その歴史は2400年以上にもなります。
天保の頃は荒波々幾社として社号が残っていました。(角川文庫「江戸名所図会」より)
拡大図
江戸名所図会は寛政から天保年間の風俗や行事を記している。
これによると、大宮氷川神社の項に【摂社:荒波々幾の社、本社の傍らに在り。
テナヅチ、アシナヅチ二神を祀る。
『武蔵国風土記』に観松彦香殖稲天皇御字三年所祭とあるは、この社をいえるにや】
(みまつひこかあしねのすめらみこと)
とある。
氷川神社については、一度訪問してからと考えていましたが、何時になるか分からないのでアラハバキに関する所を考察します。
アラハバキと出雲の関係が深いことは今までにも述べてきましたが、やはりこの神社も出雲との関わりがあるようです。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)(クシナダ姫)
大己貴命(おおなむちのみこと) です。
最初から三神を祀っていたわけではないようです。
「新編武蔵風土記稿」(文化11年氷川神社では、門客神以前にアラハバキ神社と称しており、決して後からもってきたものではなかった。
出雲大社の境内末社に門客神社が今も二社あるが、大社側ではミカド神社と云って、久多美神と宇治神を祀っていると称し、門客神社を否定している。
しかし、出雲大社資料館の彰古館には、寛文八年(1668)作成の古社図が展示してあり、それには門客神社とされている。(竹内健「異神巡脚記」)
つまり、記紀神話に全く出てこないアラハバキ神こそ、氷川神社本来の祭神であった。
体制側はこの歴史を変えてしまった。出雲大社も同様でしょう。
2017年10月12日 再編集
参拝してきましたので、追記したいと思います。
境内図ですが、パンフレットを撮りました。
■摂社:門客人 とあります。これが「あらはばき社」ですね。
何度も申し上げていますが、門客人とは元々ここに祀られていた神ですが、のちに記紀に登場する神に置き換えられ、客人神として境内の隅に追い払われてしまった神を言います。 ちょっと可哀想ですね。
神官さん達ももう少し自分の勤めてる神社の歴史を勉強して欲しいですね。
実は、この日稀勢の里の土俵入りがあり、全部回れませんでした。
門客人神社(あらはばき社)「あらはばき」に多いのは「足」や「手」が付く神ですね。旅をする速いという性格がありますね。
御嶽神社 (出雲系の神様ですね)
川越氷川神社
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
ただ今、記紀解体を読んでおりますが、一行読むごとに疑問の連続で、そのたびに中断してはネットや他の資料を読み返しており、遅々として進みませんが、はやる気持ちを抑えて、理解したことをノートに書き込んでいます。(笑)
しかし、歴史は勝者によって書きかえられるのが、世の常なのですね・・・。幕末の会津も同様ですからね・・・。でも、なぜその資料を出さないのか不思議ですよね。この現在の日本でそれによって暴動でも起こるなら別ですが・・・。国民を信用していないのかな?
9月2日に郡山で「坂上田村麻呂生誕1200年祭」があるらしいのですが、どうしても仕事が休めずに残念です。昨年あたりから整備が進んで、碑も建てて力を入れていたそうです。
古代って浪漫ですよね。
なんだかアラハバキ神を調べることが、ライフワークになりそうです。(笑)
宮城って歴史のある街ですよね
2400年以上って
凄いね
百の位の年代だよ
その時代にタイムスリップして覗いてみた稲
自分の中では、人間が最初に祈ったものは、やはり自然崇拝である海・山・太陽・等等・・であったと思います。自然の驚異は到底人の力で及ぶものではありません。人は見えない力に怯え見えない物を祈るようになるのです。
それが時代と共に形が変わり、民族によって祀るものが変ってきたのでしょう。
それは、支配するものに利用されたことも事実でしょう。また宗教による争いも絶えません。
宗教は人に押し付けるものでもありません。
人それぞれの心の中にあればそれでいいのだと思います。
しかし、大昔からこの地にあって、体制の中で隠されてしまった神社の本当の姿が知りたくてこんなことをしているわけです。
嵌って行くと日本のルーツに辿り着くような気もします。
ところで、郡山で田村麻呂の祭りがあったは・・・?
田村麻呂も多賀城にとっては身近な主役の一人です。
興味津々ですよ。でも祭りは無理かも知れません。
この歴史の中で、歴史家から明らかに偽書とされている本が東日流外三郡誌です。
この和田家文書によって多くの町が騙され裁判にもなりました。テレビまで取り上げ、その後謝罪しているようです。
それについては、いずれ・・・ですから、古い出版のものは、この影響を受けている記述がありますので、そこは流していいと思います。
しばらくしたらまた続きを・・・
新潟にはおやひこさんがあるではないですか。
白山神社も・・・
勝者によって 改変されたものであるのは明白で
出雲神が
鍵を握ってることは間違いないでしょう
それでも~
消せないものがあるということでしょう (^_-)~☆
武力で歴史を変えた天孫族が憎くもあります。
真実を伝え聞いている、神族は歯がゆいおもいで今を見ているのかも知れません。
でも、歴史好きの先輩から聞いた話では、生まれた場所は郡山の田村町と信じておりました・・・。
プリンターから始まって ・ パソコン2台 デジカメ・・・
おまけに 足を骨折してしまい今年のお盆は お留守番でした
来年は今年の分取り返すぞぉ~ 阿波徳島にお越しくださる事楽しみにお待ちしております
そうなんですね!
田村麻呂も大陸から来たということも、そりゃありますよね…。
いや~…知っていると思っていたことが、思い違いだということのなんと多いことでしょうか!
しかし、またそれが興味を誘いますね。
ひーさんのホームページだったかどうかは思い出せないのですが、「もののけ姫」もこの時代の話だと言うことみたいですが…。
確かに、かぶりますね。
どこから調べていいやら…。楽苦しい感じですぅ。