HPあらはばきはこちらです。
埼玉県の氷川神社の末社にアラハバキ社があることはHPに表記してある通りですが、その証拠といいますか
氷川神社が「あらはばき」であったことを示す図があります。
今回の参考文献は、近江雅和著 隠された古代ーアラハバキ神の謎ー(渓流社)です。
武蔵一宮氷川神社は、大宮の地名の由来にもなった、我が国指折の古社です。
その歴史は2400年以上にもなります。
天保の頃は荒波々幾社として社号が残っていました。(角川文庫「江戸名所図会」より)
拡大図
江戸名所図会は寛政から天保年間の風俗や行事を記している。
これによると、大宮氷川神社の項に【摂社:荒波々幾の社、本社の傍らに在り。
テナヅチ、アシナヅチ二神を祀る。
『武蔵国風土記』に観松彦香殖稲天皇御字三年所祭とあるは、この社をいえるにや】
(みまつひこかあしねのすめらみこと)
とある。
氷川神社については、一度訪問してからと考えていましたが、何時になるか分からないのでアラハバキに関する所を考察します。
アラハバキと出雲の関係が深いことは今までにも述べてきましたが、やはりこの神社も出雲との関わりがあるようです。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)(クシナダ姫)
大己貴命(おおなむちのみこと) です。
最初から三神を祀っていたわけではないようです。
「新編武蔵風土記稿」(文化11年氷川神社では、門客神以前にアラハバキ神社と称しており、決して後からもってきたものではなかった。
出雲大社の境内末社に門客神社が今も二社あるが、大社側ではミカド神社と云って、久多美神と宇治神を祀っていると称し、門客神社を否定している。
しかし、出雲大社資料館の彰古館には、寛文八年(1668)作成の古社図が展示してあり、それには門客神社とされている。(竹内健「異神巡脚記」)
つまり、記紀神話に全く出てこないアラハバキ神こそ、氷川神社本来の祭神であった。
体制側はこの歴史を変えてしまった。出雲大社も同様でしょう。
2017年10月12日 再編集
参拝してきましたので、追記したいと思います。
境内図ですが、パンフレットを撮りました。
■摂社:門客人 とあります。これが「あらはばき社」ですね。
何度も申し上げていますが、門客人とは元々ここに祀られていた神ですが、のちに記紀に登場する神に置き換えられ、客人神として境内の隅に追い払われてしまった神を言います。 ちょっと可哀想ですね。
神官さん達ももう少し自分の勤めてる神社の歴史を勉強して欲しいですね。
実は、この日稀勢の里の土俵入りがあり、全部回れませんでした。
門客人神社(あらはばき社)「あらはばき」に多いのは「足」や「手」が付く神ですね。旅をする速いという性格がありますね。
御嶽神社 (出雲系の神様ですね)
川越氷川神社
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
埼玉県の氷川神社の末社にアラハバキ社があることはHPに表記してある通りですが、その証拠といいますか
氷川神社が「あらはばき」であったことを示す図があります。
今回の参考文献は、近江雅和著 隠された古代ーアラハバキ神の謎ー(渓流社)です。
武蔵一宮氷川神社は、大宮の地名の由来にもなった、我が国指折の古社です。
その歴史は2400年以上にもなります。
天保の頃は荒波々幾社として社号が残っていました。(角川文庫「江戸名所図会」より)
拡大図
江戸名所図会は寛政から天保年間の風俗や行事を記している。
これによると、大宮氷川神社の項に【摂社:荒波々幾の社、本社の傍らに在り。
テナヅチ、アシナヅチ二神を祀る。
『武蔵国風土記』に観松彦香殖稲天皇御字三年所祭とあるは、この社をいえるにや】
(みまつひこかあしねのすめらみこと)
とある。
氷川神社については、一度訪問してからと考えていましたが、何時になるか分からないのでアラハバキに関する所を考察します。
アラハバキと出雲の関係が深いことは今までにも述べてきましたが、やはりこの神社も出雲との関わりがあるようです。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)(クシナダ姫)
大己貴命(おおなむちのみこと) です。
最初から三神を祀っていたわけではないようです。
「新編武蔵風土記稿」(文化11年氷川神社では、門客神以前にアラハバキ神社と称しており、決して後からもってきたものではなかった。
出雲大社の境内末社に門客神社が今も二社あるが、大社側ではミカド神社と云って、久多美神と宇治神を祀っていると称し、門客神社を否定している。
しかし、出雲大社資料館の彰古館には、寛文八年(1668)作成の古社図が展示してあり、それには門客神社とされている。(竹内健「異神巡脚記」)
つまり、記紀神話に全く出てこないアラハバキ神こそ、氷川神社本来の祭神であった。
体制側はこの歴史を変えてしまった。出雲大社も同様でしょう。
2017年10月12日 再編集
参拝してきましたので、追記したいと思います。
境内図ですが、パンフレットを撮りました。
■摂社:門客人 とあります。これが「あらはばき社」ですね。
何度も申し上げていますが、門客人とは元々ここに祀られていた神ですが、のちに記紀に登場する神に置き換えられ、客人神として境内の隅に追い払われてしまった神を言います。 ちょっと可哀想ですね。
神官さん達ももう少し自分の勤めてる神社の歴史を勉強して欲しいですね。
実は、この日稀勢の里の土俵入りがあり、全部回れませんでした。
門客人神社(あらはばき社)「あらはばき」に多いのは「足」や「手」が付く神ですね。旅をする速いという性格がありますね。
御嶽神社 (出雲系の神様ですね)
川越氷川神社
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
写真の使用は出版社からよく連絡がありますが、記事の内容等は参考文献や資料に記載すればほぼOKでしょうからね。
「コリア・デル・リオ」のWikipediaをご覧いただくと、出典のところの8番に私のブログが記載されています。
この本買ってみようかな。縄文も興味ありますし。
情報ありがとうございました。
既にご存じかもしれませんが、参考資料の中に「ひーさんの散歩道 隠されたアラハバキ神の謎 氷川神社編」と記載されており驚きました。このブログの影響力に改めて感動いたしました。
また来いということなのでしょう。
羨ましいです。一度どうしても明治神宮行って代々木八幡行く予定だったんですけど、明治神宮ではどうも土俵入り前でもしもあそこに並んでいたらと思う後悔もありまして稀勢の里にはどうしても会いたいんですよね。子供に鍵与えておけば良かったんですが、まだ無理でして。ただそこで本当親切なカメラマンさんに出会い、その方が撮ったかもしれないと思うくらい近くからの写真を見る事で満足しましたね。そんななので稀勢の里凄い!!武蔵の氷川さん行ってくれてるんですね、嬉しいですね。
それから久々にちょっと境内社も見たかったのと御嶽があったか?も気になってましたけどちゃんと記事カッコ書きでありましたよ、なるほどそういう事なんですね。
あと地図で松尾さんがいるって事も全く記憶になかったのでこの時期だからこそ分かる事ってありますね。
今は薬師如来にどうも動かされているようなのでこの辺りのお寺も探してみます。バーチャルで大宮さんにも久々お参りした気分です。5/5にお参りしたと思えたらなんか嬉しく思えます。記事ありがとうございます。
水も火も太陽も方位を示すもの月、男・女。
沢山あるでしょうね。
それを形にすれば三角だったり〇だったりその考え方もいろいろでしょうね。
もっともっと人間そのものを知ることが大事なのかも?
日光も男体山女体山ですよね。隅入方鏡があったのは、どっちかしら?そんな事を考えていたら近く行って小川で繋がれる神社の近くに行って氷川を意識し始めてます。
神社も女が付くのもあるので日光とも似てますし、筑波もかな?と。同じ気配のある民族が関わりそうに思ってきましたよ。三角も魔除けですし、赤も魔除け。そう考えると色々と妄想尽きなくなりますよ。7738
出雲ですら本殿の中は天孫系に囲まれ、まさしく幽閉されているように大国主が祀られている。
これはいずれ記事にします。
神社が否定するということはアラハバキですよと言っているようなもの。現在の神道を学んでいる人は、存在しない神は否定するしかないんでしょう。
本来の神を知れば、まったく不思議な事ではありません。
縄文の人々から受け継いで祀られた神は守らなければならないと思います。
鹽竈神社も祭神は不明だったのです。
それは「しおがまさまの不思議」というタイトルで記事にしていました。
綾瀬川の東側は大国主命を祀る「久伊豆神社」、西側はスサノオを祀る「氷川神社」ときれいに分布しています。
大宮氷川神社が長い参道が有名なのですが、第三鳥居をくぐると左にカーブして本殿に辿りつきます。もし左カーブしないで直線に進んでいくと門客人神社に当たりますので、門客人神社(アラハバキ社)が設立当初の本社であったと私は考えています。
氷川神社は古社でありながら、刀や鏡といった宝物が伝わっていません(公表していないだけかもしれませんが)。狛犬もいません。謎の多い神社です。
現在の本殿の場所に以前は氷川大名神の男体社と女体社があり、男体社が大宮、女体社が緑区の氷川女体神社になったという説が地元では有力なのですが、大宮氷川神社はホームページ上で否定しています。もしかしたら氷川女体神社がアラハバキを継承しているとの説もあります。
また埼玉では、アラハバキの府庁が熊谷にあったという伝承があり、熊谷の東側(行田市)に朝廷色の強い前方後円墳群が固まっていますので、行田は多賀城のような意味合いの場所かもしれません。ちなみに埼玉西部は出雲色の強い前方後方墳が残っています。
埼玉県は縄文時代の遺跡が多く残っていますので、もう少し調査を継続しようと思っています。
昔は顔だけが見えていたのですが、手前の杉が長い年月の間に成長し一時見えなくなりました。
近年その杉を伐採し今は開けて見ることが出来るようになりました。
富士山の風穴・・・沢山あるのかも知れませんね。
樹海も人を呑み込んでしまう。
自然にできたところは怖いですね。
でもそれを利用する人間の知識も素晴らしい。
お仕事も大変でなおかつ休日も相当大変、身体には敏感にしてくださいね。休日の大変さはご家族との関係ならば十分楽しんでくださいね。
今思うと、父がいた頃ただ普通の生活こそが一番充実していたんだと。
大変な今もひーさんが楽しめていると嬉しいです。6715
タイの洞窟の子供達もよく生存していましたね。子供の方が生命力強いですからね。
よく生きていたものでと驚いていました。
最新の記事では夕日でしたね。鳥が飛んでたら逆光で黒く見えるだろうなあ。この前カラスには相当付纏わられました。深川の二渡さんっぽい神社と住吉の車折に行く川沿いで。ウズメさんはいるみたいです。
で山形に関しては前に調べた時も、もっと面白い事発見したんですけど忘れちゃいました。それはおいておいて、長谷観音って地図には出てきてますね。長谷部さんは代表引退するみたいなのもタイミングで。奈良の方でも長谷観音っは相当昔から信仰があったようですよ。山形も8世紀末から9世紀始での伝説もありそうですから、まさかまさか?長谷と聞くと超気になる私です。
長い谷ですから好きな民族いそうですし、洞窟もいっぱいありますね。またタイの洞窟でも今閉じ込められている子達いますし、うまく得意な専門家の救出してもらいたいですね。
良い導きがありますように。9431
実はある人に、山形に東北の伊勢と呼ばれるところがあるぞ。そこは熊野大社だ。と聞いて二日後息子夫婦が山形の熊野大社に行ってくる。というのです。
これだけ神社の事をあーだこーだ行ってる自分が普段行かない人が行きたいといっている神社がある。
これはお導きなのでしょう。時間を作っていきたいと思います。
山形びっくりです。ひーさんからの情報がなければ知らなかったはず。で先ほど平泉の記事みたところです、ちょこちょこは見てましたけどじっくりみたかったので。
私のゴールだとしたら今はまだ調べないでおきます、遠回りのがいい事もあるので。もう一回別件や違う方からの神からの催促があったら調べます。地形だけ見ておきますね。
知識もそのときの自分の成熟度を超えているともったいない事になりますので。
ひーさんも知識付けてなんて書いてましたけど、同じ考えです。
今の子供たちにも伝えたいですね、焦って全力でやるといい風に乗れないと。お金もそうだけど簡単に大金入っちゃうとコツコツ出来ないはず。子供のうちにしかできないコツコツとか失敗とか分からない事が大人はすでに通っているから今大人なんです。それを合理的だけですっ飛ばすとこけた時なにも残りません。
土台は疑問と失敗です、それでいいんです。
それがしっかりしたらどんどん上積みしても崩れません。
ひーさんは特別の方なので若い時に苦労されているか?は分かりませんが上積みしても崩れない方だと思いますし、私からしたら天と地ほども高い壁がありますけどそれでも知識を付けてからなんて言える凄さは只者ではないですね。
人の軌跡や足跡こそ、発する言葉以上に見極めが出来る所です。東北にそういう方がいるのも不思議ではないんでしょうね。
動画としての記録って素敵ですね、今後も応援しております。7209
今度行きたい場所は、山形県の熊野大社です。
息子夫婦がちょっと前の例祭に行ってきたようです。
東北の伊勢と呼ばれています。
少し知識をつけてから行こうと思います。
よく近くを通過していて存在は知っていたのですが、有名なところだったとは気づきませんでした。
昨日は久しぶりに平泉に行ってきました。
後ほど簡単に記事にします。
武蔵御嶽では蔵王権現が酉の年で御開帳だったし、犬だし。どうも犬と馬と鳥は同じように見えてきている感じですがそこを解さないと熊までは辿れないようです。あと二ヶ月ゆっくりやります。
楽しみながらですね。
そう子供の成長と一緒でその時得た情報の一部分が入って成長する事もありますし、全部全く頭に入ってこないタイミングもあります。
ただそこに触れてさえいればいい時期もあるはずです。知りたいと思った事、気になった事だけ今コツコツと断片でやっていたらあると時、数珠のように繋がって輪になってくるかもしれませんよ。
数珠のお祓いのようにまず一つづつ聖水つけて清めて清めてその繰り返しこそ大きな成果を生むのでしょう。
今の子供たち努力しないで大きな獲物狙ってますが、子供時に身につけないと大人になったら出来ないですから大変です。
地元の知識とその地に生きる知恵と毎日格闘しながらただただ1日努力して生きる。子供に言ったら馬鹿みたいって言うんだろうなあ。それが出来る方と出来ない方の区別は今後はっきり出てくるでしょうから見極めははっきり分かります。
日々過酷ながらもすべき事へ毎日身体を酷使しながらっていう姿をかっこいいと思える子供が増えるといいなあと思います。
ユーチューブに憧れる子供、その製作物への魂の入れ方を感じ取れるようになるには同じ経験をしないと無理かもしれません。こだわりこそ技術と人に影響与えるもの。
ひーさんの写真一つにもこだわる姿はとても素敵です。あとは楽しみながら、身体をいたわってもあげてくださいね。
それで導かれていくんでしょうね。
毎日お疲れさまです、後ろ姿で教育出来る凄さ感じますね。7048
古い脳みそですから(笑)
興味はドンドン膨らみますね。
何千年の歴史をたった短い生涯の中で勉強しても、たかが知れてますがね。でものほほんと人生を暮らすより何かに興味を持って過ごしていた方が楽しいですよね。 興味本位で買った古代史の本もどれも読み切っていません。知りたいところだけ読んでしまう悪い癖があります。
調べたいこと、見たい所まだまだあります。
伊勢もかなり出雲の匂いがします。そうするとあらはばきに繋がったりします。諏訪もチェックしなくちゃいけないし勿論出雲も観光以外の目線で見てきたいです。 熊野大社も見逃せません。 神々は多くの名前を持っていてますから混乱してしまいます。
同じ性格を持っていると違う神と混同される場合がありますから益々複雑です。
いつも思うのですが今回の旅でやはりその時代に行きたくなりました。
私も新郷村にいってますし、幼稚園は教会ありましたね。でお相撲は海渡るんですよね?シルクロードでもみたいだとも、そこも含めて伝わって来てますので気になります。ヘブライ語も結構ダビンチコードの時にハマったりしましたね。
仙台の古墳は中味が不明なのですね、残念ですよ。各地の古墳調べてますので情報がないのはそういう事もあるんでしょうね。でそこに大抵神社ができるのも外国とかでも聞きますね。ただその土地は動かないのでそこのパワーも潜在的にそこに留まっているはず東北は興味ありますね。
で今回の記事は氷川で出雲も関わり、渋谷の氷川で土俵を見てそしてイスラエルですね。で東北には結構八幡があるようなのが気になっていたんですけどこれで理由が理解出来てくるようにも思います。紀元前のお話ですけど旧石器ってもっと古いわけですよね?五穀豊穣の為の天使との相撲っていうのがどうも男女の子授け的にも感じてしまいます。諏訪でもお社の下をおじさんが教えたくてうずうずして教えてくれましたけど山岳信仰にもそういう部分も。山神が女神だから男しかダメみたいにも思いますね。
あと三角二つの六芒星も対の組み合わせです。
で三角の額もそれを表現しているようにも、角型なら男っぽいのでヘブライ系?
根元に辿りついた感じですよ。
ただそこにみんな色々着ぐるみ着ていて絶えず争うんで大変なのですけどベースは同じとしてうまくできないことか?と思ったりしてます。
で五穀豊穣の山の神ははたまたどうきちんと扱うかも含め人間が感謝すべき事いっぱいありそうですね。
あと、お鼻の形も特徴あるんですよね。番組の中でも出てきた方のお鼻がしっかりしているんですよ。猿田彦がイスラエルから来たという人はあまりいないけどそうであれば大歓迎です。秦氏はイスラエルととても密着しているようで連想される方が多いんですけど、私は苦手で四国もノータッチ。大ヤマツミ神社はそちらの関係の東京の神社は大好きで一人相撲も納得でした。イスラエルから秦氏になる前に、イスラエルから東北や福島を経て秦氏なら納得なんですけど。ここは個人的相性の問題ですからひーさん読んだら消してしまってもいいとも思います。
もしかしたら女性の方が昨日講演会で知った夷州の方で四国通じて東北福島に太平洋から入って来てるかもしれませんね。そこが秦と繋がりそう。5
御柱も出てきましたけど、建御名方さんも大事な方で私の中での八幡神でもありますね。結局どっちもイスラエルでチャンチャンになると世界平和になるんですけど。それでいい人間とよくない人間がいるんだろうなあ。共通性を持ち合わせながらの独自性を人間が持てたらとても平和になるんでしょうね。生殖の過程は世界全部同じですから。
そう出雲の二家についてはどちらかがイスラエル系でどちらかが恵比寿系なようにも感じます。青と赤。どっちも男が生まれるのでどうしようもないんでしょうけどややこしい感じですね。4911
なので相撲も両方縁は持っているのだとは思います。後鳥羽さんから吉田さんへとなっていたのがこの前明治神宮行ってなんか得たような?今は違うのかな?今後の相撲も気になりますね。
ひーさんも百済気になっていらっしゃるのをコメントの返事でみて興味持ってしまいました。どうも百済の最後に方の王系の方が気になってます。で昨日の講演会でももっと遡ると帯方郡や楽浪郡の方や魏の関係者なのか?とも色々と繫がりそうです。卑弥呼がネットワーク持っていたのもイスラエル系になってくるんじゃないかな?と。
思ってきましたよ。
古さは、地層で証拠が出るのでこれからどんどん出てくると楽しくなりそうに思います。
興味ある方は年配の方いっぱいいますからね。4587
今でも日本の相撲で、ある神事が行われています。
https://www.youtube.com/watch?v=RS9C2tFlKag
古墳は日本全国に沢山見られます。
仙台にも小中規模の古墳があります。 しかし中からは箱意外何も出てきませんでした。
小さな豪族のお墓なのでしょう。それとも盗掘されてしまったのか? 意外と古墳の上に神社が造られるけケースも多いようです。神聖な場所として利用されたのでしょうか?
そういえば相撲も大きくかかわりのある神事があります。
古代イスラエルの神事と同じものです。
youTubeにもまだ残っているのでは?確証がありませんがなるほどと思います。
次回このページに追記します。
いろいろ勉強になった旅行でした。
私は氷川は個人的に合わないようで色々と嫌な目に合ったりするので今は距離おいてます。でこの前久々に行ってみた地では土俵がありましてびっくりでした。大宮さんには一度酉の市のあたりで行きました。そこで好きな境内社がまとめてありましたね。懐かしいです。敷地までの道路はそう広大で東京みたいに敷地をあっという間に切り売りして分からなくはならないです。並木道と道路の軌跡で見れますので相当凄い神社だったはずです。なんかお種銭も頂いたような?弁天だか大黒恵比寿だか?記憶たどってみます。
巡業を休まず稀勢の里が行ってくれたのも素敵ですね。怪我も治り、災いも祓われていくのだとその土地の神の本来のお役目も機能していく。
敷地の地図がありましたので昔の記憶と実際の今と比較して思い出してみたいですね6906
出雲の神は、全国各地にベースにいるようですね。この前行ったのも有名な谷地、川もあり祓いが出来たはず。人間生きているだけで生命維持の為何かを殺したりして色々な物が付いていきます。けどそれを必ず流して祓うという文化は、掃除一つにも伝えられてきてます。身についた物が大きいほど流せないものですけどきちんと定期的に流せていないと付かないとも思います。お金も今付ける事がメインになってますが定期的に流して更に凄い物を付けていかないと進まない。
歴史もそう、最初に入ってきた先入観をずっとそこに付けているとまず新しい物は付かないはず。
ならば一旦リセットして新たに付けてみたいですね。地元の方は辛い事もありますが、住んでいる方が地元の神を一番感じているはずでそこをうまく出来るのも地元の方以外にはないはず。目的が一緒かどうか?お金が目的ではなく目に見えない物が目的であるような行動の軌跡をコツコツ積み重ねて少しづつ角度を変えていったらちゃんとした軌道になっていくといいと思います。
本来の速とか早いとかは基本前提の速さは定評があるはず。基本の文化とか風習とかをすっ飛ばしたら速いは簡単ですけど、昔の速さの神には曲げられない信念もあったのでは?だからこそ土台がしっかりしている最短で何事も出来たんだと思います。出雲の神による土地や河川や山や自然の知識しか日本でうまく生きていく事が出来る知恵は出ないとも思います。
今日の東京は梅雨状態、子供も喘息出始めましたし、頭痛も。雨もずっと。お水の制御も課題ですね、現代での課題は古代でも課題だったはず、昔の技術を今より劣っていたと子供が思わず研究してくれると未来は明るいですね。6906
一昨日も親子丼の話をカミさんとしていたばかりです。
食べたい時、自分で作ろうかと思いましてね。
購入したのは山水氏の方でした。
理由は安い方を買っただけでしたww
彼のブログを読んだことがありますが、集中力のない私には、チョット難しいですね。
それと、遠野と言えば早池峰神社ですが、早池峰神社の神事は、うさぎ、ニワトリ等が書かれた烏帽子をかぶった舞者や、爺??の面をつけた山神の舞者が、最初穏やかに舞い、急に踊りが激しくなり、面を外し、着物を脱ぎ捨てると、中から女の髪型で女の帯をつけた男が出てきて舞います。
早池峰神社は瀬織津姫を祭っていますが、山神は女性であると言っているかのようです。
じつは来月参拝に参ります。
ではでは。
まだ届いていませんが、その他の本を見ると早池峰山・・・伊豆神社・・つまり遠野地区の信仰も強いようですね。
どうしても天皇との家系が欲しくて過去を変えてしまってますね 。
伊勢の荒祭宮の地主神はアラハバキと考えられますからその神が瀬織津姫だとなれば、=アラハバキとなりますね 。
瀬織津姫=弁財天 =つまりアラハバキになりますね。
私は瀬織津姫について無知でした。
早速調べてみます。
そのオラほの神と言ってる親派はどこですか?
サイドバーのメッセージから送って頂くとありがたいです。そこへの返事はできませんが私だけ読むことが出来ます。
ニワトリ系の神社・・・面白そうですね。
本当はメインのペンネームがあるのですが、「瀬織津姫」の巫女ぶる人、その親派の方々、オラほの神と思っている人達が噛み付いてくるので、見つかったらブログが炎上し、ご迷惑かけると思い、変えてしまいました。ホント済みません。
さて、アラハバキに付いては、本を書けるほど調べたつもりですが、何分、あの柳田国男でさえ匙を投げた程ですので、誰も断言などできません。
津軽外三郡誌どころか、記紀だって藤原不比等が自分の家系を天皇家に添わした偽書と言えます。
合理的に実感するしかないと思います。私の書き込みも当然断言している訳ではありません。参考程度に読んで頂ければ幸いです。
私は自分の先祖を探ってて、ニワトリ系の神社を知り、その神様を通してアラハバキ、そして瀬織津姫にたどり着きました。
ここまで書くとお判りでしょうが、アラハバキ=瀬織津姫と考えています。
「もののけ姫」の話ですが、福島のニワトリ系神社の伝説で似たような話多くありますし、白い狼(山犬??)を2匹従えた、山神としての瀬織津姫の掛け軸も岩手、秋田に存在します。
何より登場人物の名前のアシタカ、烏帽子、サンは田村麻呂の伝説からもピンと来るところがありますし、山神である大山祇大神の系列を調べれば、氷川神社との関連も見えてきます。
そして主人公のサンは太陽。瀬織津姫は天照大神の荒魂。そして氷川神社にアシタカのモデルの神と一緒に祭られている神でもある、と言う事が判るかと思います。
なんて書きましたが、私の文章力では上手く伝わらないと思います。また機会がありましたら、お話したいと思います。
ではでは。
出雲との関係を見ると深いのですが、何せここまで古いと誰しも想像と可能性でしか答えられませんね。
体制側に出雲もアラハバキも隠されてしまいましたから 。
関係する書物を集めてたいです。
という説が有力・・とありました♪
もののけ・・・作家はやはり各地を回り調査をして作って行くなかで 色々と参考にするのでしょう。
興味深いですね。
教えてください。
自分も今のところ、大元はクナトとアラハバキと考えます。
大陸からもたらされた力に消されそうになったのだと考えます。
その動物は古くから伝説などに登場しますね。
その辺も知りたいところです。
歴史の教授が言っていたそうです。
歴史を勉強していると読み解くまで自分の命がいくらあっても足りないと・・・
確かにそうですね。何千年の歴史をたった50~60年で調べるなんてできないのですよ。www
楽しめればそれでいいのです。
偶然ですかね? そのようなこと意外とあるかも、自分も入院するのは、必ず3~5月です。
不思議なものです。
気をつけていてもなんですよ。
お大事にしてください。
悪い年めぐりですかね?
私もアラハバキについて色々調べましたが、キーワードはクモ、ヒキガエル、ウサギだと考えています。
さて「もののけ姫」の話が出ていましたが、私の生まれた福島県には多くの伝説が残されており、宮崎駿が「もののけ姫」で、パクッタのではないかと思われる話もあります。
登場人物の名前からしても似ています。
また機会がございましたら、お話したいと思います。
ではでは。
そうなんですね!
田村麻呂も大陸から来たということも、そりゃありますよね…。
いや~…知っていると思っていたことが、思い違いだということのなんと多いことでしょうか!
しかし、またそれが興味を誘いますね。
ひーさんのホームページだったかどうかは思い出せないのですが、「もののけ姫」もこの時代の話だと言うことみたいですが…。
確かに、かぶりますね。
どこから調べていいやら…。楽苦しい感じですぅ。
プリンターから始まって ・ パソコン2台 デジカメ・・・
おまけに 足を骨折してしまい今年のお盆は お留守番でした
来年は今年の分取り返すぞぉ~ 阿波徳島にお越しくださる事楽しみにお待ちしております
でも、歴史好きの先輩から聞いた話では、生まれた場所は郡山の田村町と信じておりました・・・。
武力で歴史を変えた天孫族が憎くもあります。
真実を伝え聞いている、神族は歯がゆいおもいで今を見ているのかも知れません。
勝者によって 改変されたものであるのは明白で
出雲神が
鍵を握ってることは間違いないでしょう
それでも~
消せないものがあるということでしょう (^_-)~☆
新潟にはおやひこさんがあるではないですか。
白山神社も・・・
自分の中では、人間が最初に祈ったものは、やはり自然崇拝である海・山・太陽・等等・・であったと思います。自然の驚異は到底人の力で及ぶものではありません。人は見えない力に怯え見えない物を祈るようになるのです。
それが時代と共に形が変わり、民族によって祀るものが変ってきたのでしょう。
それは、支配するものに利用されたことも事実でしょう。また宗教による争いも絶えません。
宗教は人に押し付けるものでもありません。
人それぞれの心の中にあればそれでいいのだと思います。
しかし、大昔からこの地にあって、体制の中で隠されてしまった神社の本当の姿が知りたくてこんなことをしているわけです。
嵌って行くと日本のルーツに辿り着くような気もします。
ところで、郡山で田村麻呂の祭りがあったは・・・?
田村麻呂も多賀城にとっては身近な主役の一人です。
興味津々ですよ。でも祭りは無理かも知れません。
この歴史の中で、歴史家から明らかに偽書とされている本が東日流外三郡誌です。
この和田家文書によって多くの町が騙され裁判にもなりました。テレビまで取り上げ、その後謝罪しているようです。
それについては、いずれ・・・ですから、古い出版のものは、この影響を受けている記述がありますので、そこは流していいと思います。
しばらくしたらまた続きを・・・
宮城って歴史のある街ですよね
2400年以上って
凄いね
百の位の年代だよ
その時代にタイムスリップして覗いてみた稲
ただ今、記紀解体を読んでおりますが、一行読むごとに疑問の連続で、そのたびに中断してはネットや他の資料を読み返しており、遅々として進みませんが、はやる気持ちを抑えて、理解したことをノートに書き込んでいます。(笑)
しかし、歴史は勝者によって書きかえられるのが、世の常なのですね・・・。幕末の会津も同様ですからね・・・。でも、なぜその資料を出さないのか不思議ですよね。この現在の日本でそれによって暴動でも起こるなら別ですが・・・。国民を信用していないのかな?
9月2日に郡山で「坂上田村麻呂生誕1200年祭」があるらしいのですが、どうしても仕事が休めずに残念です。昨年あたりから整備が進んで、碑も建てて力を入れていたそうです。
古代って浪漫ですよね。
なんだかアラハバキ神を調べることが、ライフワークになりそうです。(笑)