雨の記号(rain symbol)

百年前の女教師

百年前の女教師

 たまたま百年前の書物を手にした。明治三十五年発行となっているから、10+14+63+18は105。間違いなく百年以上前の書物である。
 著者は池田錦水。女心について書かれた書物でいかにもそそられる。
 目次を見ると、容貌、年齢、風土、職業、妻女、処女、世外婦人、の項目に分け、それらの視点から分析を行っている。
 職業の項目から女教師をひもといてみることにする。
 これがすごく面白い。陳腐と思えなくもない。しかし当時においては真面目な話であったのだろう。ここを読むと、現代の頑固親父の系譜を読み取ることが出来る気がする。いや、今でも化石のように存在しているかもしれない。
 ともかく一部を引用してみよう。
「等しく女教師であっても、小学校に教鞭を執る者もあらう。又高等女学校に妙齢の処女を薫陶
せる者もあらう。その他、程度の異つたる種々の学校に、教えを授る女教師の幾種類があるであらうが、それを総括したる一般の女教師が、裹める心情は奈何(いかん)。吾をして玆にそれを語らしめよ。――略――今の世の女教師なるものは一般の上より視て甚だ生意気である。甚だ出過ぎ者である。甚だ傲慢不遜にして礼譲を知らざる一人天狗である。そ(漢字)は彼等が女学生時代に於て既に然うであったので、それが功成り名遂げた今、愈よ甚だしきを加えたものなのだ。(以下、綿々と彼女らの批判が続き、最後にこう締めくくっている)彼等は自己の智識の甚だ該博にして及ぶ者なきを信じ、自己を頗る高きに置くに至るのであって、素より自己が単に女としてその智識の秀れたる者であるのには、一向お気が付かれぬのだ。 かかればこそ彼等は、甚だ傲岸不遜にして礼譲を知らざる一人天狗となるのである。以下略)
 外股で歩き、男のように手を振り尻を振りの表現も見られるが、要するに男子のように活発に動き回っていたということであろう。今は女子もパンツをはいて歩く。そんなのはごく普通の風景であろう。
 今でも女教師はとかくの目で見られることもある。先生になっていく女性はよほど生意気と見えたか、女教師は百年も前からとやかくの批判にさらされてきたようである。
 
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