雨の記号(rain symbol)

地震7

 
English Version
한국어

  橋を渡った。これでもうあとは楽なはずだった。養老川の橋を渡りさえすれば、車はスイスイ流れてくれるものと信じていたからだ。
 しかし考えは甘かった。
 五井病院の辺りから八幡宿までの間で車はまったく動かなくなったのだ。
 前方の信号は青と赤になるのを繰り返すが、車はその交差点を渡ることができない。1台か2台入れるスペースが出来ると、信号が変わって横から出てきた車が入り込んでしまったりする。信号のない路地からも車はどんどん出てくる。手をあげられれば入れてあげるしかなかった。
 車は走らないと快適感は薄れる。逆にお荷物のように感じられ不快感を募らせてくる。
 (車は空も飛べるようになるべきだ)
 (今、養老川に津波が上がってきたら、自分は最後のひと花を咲かせることなく、このポンコツ車もろとも貧しい人生が終わってしまうではないか)
 本気でそんな妄想に駆られたりした。  
 信号が青になったので、誘われるように交差点を右折してみた。前へは進めないが、車を追い越していって右左折はできたからだ。
 川は渡り終わっている。千葉方面に向う道はさがせばあるはずだと考えたからだ。東京に住んでいた頃はそんな風に走って目的地に着いたこともある。
 しかし、この考えも甘かった。東京の路地が市原の路地にあてはまるとは限らない。通りを右に左に勘に任せて走っているうち、ふと気がつくと左前方に太陽が見えている。さっきまでは右手に見えていた。しばらく走ると右折すれば16号線にでる標識が出てきた。いつしか正反対に走っていたみたいだ。バスが走ってきて、どうやら五井駅の近くらしいとわかった。自宅に近づくどころか遠のいていたわけだ。
 ふとすれ違ったバスが(八幡宿)行きとなっていたのに気付いた。
 十数分ムダに走った。若かった頃のように勘は鈍く、道をさがす気力や忍耐も乏しい。時間のムダもしたくない。それがよくわかった。おとなしくあのバスについて行った方がいいかもしれない。
 そのバスを追った。バスは渋滞道路の中に走りこんで行った。バスの数台後ろに僕はついて走った。
 30分ほどのろのろ走ると見慣れた場所に走りついた。僕が横合いに走り出た信号の場所だった。
 ここから長谷川病院前の通りまでの数キロを2時間半費やして走ることになる。
 この間、たくさんの人たちがこの道路を行き来した。身なりからして明らかに遠くを目指して歩いている人たちだった。
 もちろん僕らの車はその人たちに追い抜かれ続けた。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事