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「少女時代」テヨン、スニーカーを履いてもラブリー&セクシー!
韓国ガールズグループ「少女時代」テヨンの魅力的な画報が公開された。
テヨン(少女時代)は5日に発刊されたスタースタイルマガジン「HIGH CUT」を通じて、普段とは違った挑発的な魅力を誇示した。
可愛くて愛らしい魅力に加え、見違えるように成熟したセクシー美など、テヨンの様々な魅力を披露した。ショートパンツとTシャツのような楽な衣装にスニーカーを合わせ、自然な日常の姿を演出。また、白い肌とすらりと長い脚を強調しており、女性美を全身に漂わせた。今回の画報でテヨンが履いたスニーカーは全てPUMA(プーマ)の製品だ。
テヨンの画報は5日に発刊された「HIGH CUT」145号を通じて確認できる。また、来る10日に発刊される「DIGITAL HIGH CUT」アプリを介して、紙面では見られない躍動感あふれる画報や映像を見ることができる。
(エンタメニュースより)
きれいでかわいくて歌も上手い。
二十代半ばを過ぎてもアイドルスターとしてちっとも色あせない。美しさまで加えて今もテヨンの魅力は満開状態だ。
世界の音楽シーンで大きな存在感を見せるK-POPガールズグループ「少女時代」のリーダーを足かけ8年にも渡って続けてきた。
しかし、ちょっと化けて街を歩けば十代の娘にだって混じりこめる若さを維持し続けている。
そしてひとりのアイドルとしてこの愛らしさ。驚くほかない。
二十代半ばに至った今もアイドル歌手としてステージに立つことをいとわない。
「すごいな~」
と思う。
だが…だが、と考える。
写真のこんなアイドルショットがあるため、後ろに隠れて見えない”スゴさ”もじつは見逃してはならない、と。
K-POP界に対する彼女の功績の大きさである。
「少女時代」リーダーとしてK-POPブームを巻き起こし、世界を駆け巡り、これを拡げる役割を彼女は果たしてきた。
K-POPファンなら誰もが目の当たりにしてきた出来事だ。事実だ。
だが、ブームを巻き起こしてこれを牽引したグループなら他にもたくさんいるではないか、という話になってくるかもしれない。
大勢の歌手たちの努力や結晶の集積として今日のK-POP界がある、と。
それはそうだが、そんな話になればK-POP成り立ちの裾野まで話を拡げなければならなくなる。
K-POPはいきなり開花したわけではない。世界的なブームを呼び起こすまでの過程はチャレンジと挫折、苦難の連続だったのだ。
それはなぜか? 世界に踏み出していくには韓国の市場はあまりに小さかったからだ。
世界に出ていく第一歩の基地となったのが一衣帯水の地日本だった。日本は音楽産業でアメリカに次いで第二位を誇り、韓国の8倍から10倍の規模を誇る。
1980年代に入る頃までの韓国はまだ貧しかった。若者たちは元気だったが、仕事がなくぶらぶらしている者が多かった。
しかし、1990年代に入り、韓国経済は世界に出ていく企業も育ってきて高度成長期に入った。経済が活性化して生活が豊かになれば、心も潤ってくる。サービス産業が元気になり、スポーツや音楽、ファッションの世界も活気づく。
需要が多くなれば供給も忙しくなる。他の業種に負けず、映画、ドラマ、音楽に携わる業界も当然ながら活気づいていったであろう。
ただ、日韓の文化交流はそれほど自由でなかった。
日本の映画やテレビの番組(アニメは入っていけたようだ)は1997年の大衆文化開放まで入っていくのは禁止されていた。
書籍も1987年までは検閲(主に左翼系の書籍や雑誌に目を光らせていた)が厳しかった。しかし、ずっと遡って1970年頃、山岡荘八の「徳川家康」は大ベストセラーになっているようだから、この手の読み物はだいぶ読まれていたようだ。近頃は小説を読む若者は少なくなっているとのことだが、村上春樹の小説は人気が高いらしい。
1997年、日本の大衆文化開放を受け、韓国の歌手たちはこの日を待ちわびていたかのように日本上陸を目指すことになる。
世界のK-POPに向かう草の根的な音楽活動がこうして始まりを告げたわけだ。
当然ながら、それなり成功した者もいるが、多くはパっとしないまま韓国に引き揚げていった。
以下にそういった歌手たちを並べてみる。
韓流ブーム前に日本でデビューし歌手としてもっとも成功したのは何と言ってもBoA(ボア→2001年日本デビュー)だ。
ただし、彼女の日本での成功にK-POPの言葉をかぶせてもあまり意味はない。日本の歌謡界で活躍した韓国の歌手と言った方がふさわしいかもしれない。それほど彼女は日本の歌謡界になじみ、日本語ソングをヒットさせ続けた。
韓国の音楽がK-POPとして独自性を強めてくると、BoAはそのせいでJ-POPとK-POPの間で逆に存在感を埋没させていった感がどうしても拭えない。
彼女は今もJ-POPとK-POPの間でポジション取りに苦慮しているように思われる。
好きなように日本で活動し、韓国で活動して歌えばいいと思うが、そうできない何かで彼女は不自由さを味わっているように思えるのである。
K-POPの言葉をかぶせてもよさそうなのは、韓流アイドルの始祖的存在と言っていいボーイズグループ神話(シンファ→1998年日本デビュー) だった。
だが、彼らはイケメンたちで注目され名前は売れたが、音楽そのものが売れていたイメージはあまりない。メンバーが軍隊に入ったりしていつの間にか日本からいなくなってしまった。
ユンア(2004年日本デビュー)は少し売れた。ピ(RAIN→日本デビュー2005年)は売れず、SE7EN (セブン→日本でビュー2005年) は日本で活動していけるほどには売れた。そういえば、この頃にはSugar(シュガー) という女性グループもいた。
忘れてならないのは21世紀を目の前にした頃、日本にやってきたS.E.S.と2004、5年くらいにデビューしてきた東方神起(とうほうしんき) だ。
S.E.S.は日本でさっぱり売れず韓国に引き上げ、それがたたったかどうか2002年に解散した。
東方神起は神話(シンファ) なんかに比べたらぜんぜんダメ、だから日本に来たんだろう、くらいのことを当初知り合いから聞かされた。
そうかな、と思いながら僕は彼らの音楽に触れたものだった。その時はピンとくるものも覚えなかった。
ただ、ペ・ヨンジュン主演のドラマ主題歌を聴いてからいい印象を抱くようになり、彼らの音楽を時々聴くようになった。
現在、妊娠騒動の渦中にあるキム・ヒョンジュンがメインボーカルを務めたSS501(2007年頃)も日本で活動を行っているが、どの程度の成果をあげていたのかはよく知らない。おそらくそれほどの人気は得られなかったと思われる。
同じ頃、チャン・グンソク主演ドラマ「美男(イケメン)ですね」が日本の茶の間を沸かせて、陰りのあった韓流ドラマに活を入れた。
このドラマは人気バンドグループを描いたドラマで、いわば、K-POPの種まき的な役割を果たしたんじゃないかと自分は見る。
というのも、KARAと少女時代が日本に上陸してくる2010年のつい2、3年前の出来事だからだ。
イケメン人気バンドを扱ったドラマ「美男(イケメン)ですね」が売れて、韓国の音楽業界は色めき立ったと思う。
日本の韓流はチャン・グンソク人気一色になったせいか、それから二年ほどは(チャン・グンソク人気の発生したほぼ同じ時期にSUPER JUNIOR(スーパージュニア) とBIGBANG(ビックバン)が日本へやってきている) K-POPグループもやってこなかった。いわゆる空白状態が生まれた。
2010年頃になっていっせいにやって来るから、どこの音楽事務所も日本での活動について細かな戦略を練っていたのだと考えられる。
「美男(イケメン)ですね」が売れるまでは一か八かのチャレンジ精神だったのだろうが、売れる、イケる、と踏んで腰を落とし時間をかけた結果ではあるまいか。
もっとも「美男(イケメン)ですね」に出演したチョン・ヨンファ率いるCNBLUE(シーエヌブルー) はインディーズから2009年に日本でビューを果たしている。
その他、東方神起はすでに日本で一定層の人気を確保して活動していた。しかし、その人気は表立った人気ではなかった。いわば日陰の花のような人気であった。
しかし、それらの人気をひとつひとつつなぎ、ぱっと太陽の下にK-POPの大輪を咲かせるグループが日本への出発を目の前にしていた。
女性5人グループのKARAである。
彼女たちは日本上陸の構想を早くから持っていたわけではなさそうだ。韓国ではワンダーガールズと少女時代がガールズグループの頂点を競っていた。KARAはヒット曲を出しているグループだったが、ガールズグループそのものはまだ市民権を得ている状況ではなかった。そんな中でトップ争いから押し出されている。
何か突破口を見出さなければならない中、彼女たちの周辺にある情報が届いた。
日本のあるタレントが自分たちの音楽をすごく気に入った。それが口コミで広がり、話題となっている、というものだった。
この情報が彼女たちの日本行きの背を押したかどうかはわからない。
しかし、何かの突破口を見出さなければならない彼女たちに、希望の光を送り込むような明るい話題であったことは確かだろう。
「私たち、日本へ行きましょうよ」
「うん、私も行きたい」
「行きたい。日本に行きたい」
ハラたちはみんなとそんな話をしたのではないだろうか。
さて、日本でのショーケースの日にそのタレントもKARAのステージを見にやってきて、それは茶の間のテレビのニュースでも流れた。
こういうわけで2010年になってたくさんのグループが「我も我も」とばかり日本上陸を果たす。
KARA、少女時代、2PM(ツーピーエム)、SM☆SH(スマッシュ) 、大国男児(ダイコクダンジ) 、 BEAST(ビースト) 、ZE:A(ゼア) 、Brown Eyed Girls(ブラウンアイドガールズ) 。
2011年になると、MBLAQ(エム・ブラック) 、SHU-I(シューアイ) 、U-KISS(ユーキス) 、AFTERSCHOOL(アフタースクール) 、T-ara(ティアラ) 、RAINBOW(レインボー)、2AM(ツーエーエム) 、Secret(シークレット)、IU(アイ・ユー) 、CODE-V(コードブイ) などなど。
いくら日本が大きい市場とて、これだけの数を抱え込めるはずもない。
今となってはほとんどのグループが日本を去っているに等しいようである。
ただ、この競争が世界のK-POPを育てる土壌となった。
KARAが先陣を切り、少女時代が加わってその仕上げが始まったのだ。
彼女らは茶の間の話題を独占し、先に上陸していた東方神起やスーパージュニアの推進エンジンとなってK-POPのファンたちをつなぎ、日韓関係が冷え切った中でも日本にやって来つづけてファンたちとの交流を絶やさなかった。彼女らの明るいほほえみが新人のボーイズグループたちが日本にやってくる状況を守ることもできた。
そのボーイズグループたち(INFINITEやB.A.Pなど)は世界ツアーに出て活躍を見せだしている。
彼らのパリ公演を見て、KーPOPはさらに強く世界に根付いていると実感した。
ガールズグループはまだ世界に出ていく機会は少ないが、ボーイズグループを世界に送り出す意味では大きな働きをしている。
少女時代らに続いて、いまApinkやAOAがセカンドウエーブの主役としてのステージを始めようとしている。
彼女らが日本で明るいステージをこなす中、次の世代のボーイズグループも日本へやってきて世界へ飛び立って行くことになるのだろう。
韓国のガールズグループはたぶんそのへんの役割も担っている。
日本の市場がK-POPにとって大きな飛翔点なのはまず間違いないところだ。
世界のK-POPはKARAと少女時代が育てたようなものである。
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