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オヤジの思い出とか

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 先日、『日本の軍歌』(幻冬舎新書)についてちょっと書いた。軍歌には右翼の街宣車が大音量で流すものってイメージがあるけども、僕の場合はオヤジを思い出すyellow26

 囲碁を除けば、殆ど無趣味と言っていいオヤジだっったけども、クラシック音楽と軍歌はレコードでよく聴いていたsymbol7

 昔はクラシックのコンサートにはお袋を連れていったりもしていたらしいんだ。後年のオヤジからは想像もつかない光景なんだけどねyellow25



 軍歌については懐メロ感覚だったんじゃないかな。子どもの時の僕に読ませたのは「のらくろ」だったし、戦中派のメンタリティは持ってたんじゃないかと思うyellow21

 建設省の地方事務所勤務で、そこそこ全国を移動してたものの、10歳まで住んでいた新潟県上越市の勤務先は歩いて10分程度run。 

 ンで、毎日5時ピッタリに仕事を終えてまっすぐ帰ってくるから、お袋が「ご近所に恥ずかしい」とこぼしていたのを思い出すyellow11



 そのオヤジが毎日何よりも楽しみにしていたのが、毎日の晩酌sake。一升瓶からワンカップに目一杯、日本酒を注いで、それはもう美味そうに飲む

 たまに宿直があって泊まり込むこともあったんだけども、どういうわけか僕も連れていかれて、宿直室で一夜を過ごしたり。 

 ただ、平穏なだけの人生じゃなく、戦争体験とかも人並みにあったんだよ。元気なうちに話を聞いておけば良かったんだけどさ、当時は興味なかったんだな、過去のことにはnose2

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コメント一覧

haikyotansaku
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宿直も遊びみたいなもんで、こたつを囲んで、テレビを観てたような。「大魔神」な何かだったかな。さすがに大昔で記憶はあやふやだけどね。

オヤジの叔父はB級か、C級の戦犯だったらしい。予備役になってたから、地位はあったものの、大した罪には問われなかったとは聞いてるよ。
ナットウソラマメピーナッツ
似たような体験があるうちも農林水産省食糧事務所宿直にも泊まった覚えはないが、行った記憶…戦争では傷病で~くらいしか聞いてない…兄とおじは立派な石碑になっている…
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