●ドラえもん のび太の宇宙小戦争
数年ぶりに見返してみたら作りこまれてる感じがしてとても良かった。
最後にスモールライトのエネルギー切れがご都合主義という指摘がされてると思うんだけど、それはナンセンスだと思う。伏線は既に前半の人形劇の頃から張られている。この作品ってエネルギーの話なんじゃないかなぁ、と思った。
敵の活動範囲が狭すぎるのはパピの反応をキャッチしているということもあるんだろうけど、その小ささから活動できる範囲に限界があると捉えることもできる。敵はプラモの兵器を本物の兵器と誤認してるし、地球の技術について無頓着な様子だった。敵のドラコレルは頭の冴えるやつで、力で負けてる地球の子供に対して情報収集などを行い、戦略を立てて立ち向かうという軍人らしい軍人なんだけれども、なぜかそういう所に抜けてるところがある。やはりそれは地球という惑星は彼等にとっては広すぎた、故に探査機も遠くにいけなかった、だから情報も不足している、と考察することができる。これが冒頭の人形劇で使われた電池の話に関連してくる。あの小さい電池でどれぐらいの間エネルギーが持つのか。これは敵の探査機にもいえる事で、恐らく電池と同様にそんなに長くは持たないのだろう。そういう設定を日常芝居を交えながら魅せてくる構成。
音楽にも感心する。驚異的な奴は怖い曲、勝つときはアップテンポな曲の切り返し方がとてもわかりやすくて楽しい。安直だけど上手い。反乱軍が音楽に浸ってるところを見てもそう。思想的な部分が垣間見れて面白いと思う。案外こういうところで損をしてる作品って多い気がするので気になるところ>音楽の使い方
ただ、敵の皇帝の話をするパピのところは凄く恐ろしいように敵を描写してるんだけど(全体的に見てもそう)、キャラクターからはその禍々しさがあんまり感じられなかったような気がします。その辺は直接的ではなく間接的に描くべきだということなのだろうか。間接的には確かに良かったかも。
小さいものは大きいものに敵わないとはよく言ったもので全くもって正しい。この映画はある部分でそういう部分を見せ付けてくる。大きいものは強いのである。ただ、ラストに大統領を屈服させるところで、元のサイズに戻ったのび太たちの力を貸させないところがこの作品の良心的なところ。小さな存在でも集まれば大きな存在に打ち勝てるということを象徴している。ナイスフォローと言った感じか。
あとビッグライト使えばいいじゃん、というのは確かにあるんだけど、それだと『小戦争』にならなくなる可能性があるんだよねぇ。敵がスモールライトと同様にビッグライトを奪ってしまったら?それこそ宇宙戦争ものになってしまって、まずのび太たちは勝てないと思う。そういうことができる風に敵を描写していたようにも見えるし、本物の軍隊相手ではとても戦えないことは他のシリーズで証明されている。そういう展開に持っていけることを見越してビッグライトは封印だったのかもしれません。まあ、ラストの展開がありなら最終的に勝つことはできるんだろうけど。結局野暮だからだよなぁ・・・。
なんだかんでやっぱりツッコミどころがあるのがドラえもん映画の宿命。
・しずかちゃんの描写
この映画はある意味しずかちゃんの映画であると思う。ウサギのぬいぐるみが無くなった時、闘わなければならなかった時、男の子たちを動かしたのはしずかちゃんの涙だった。しずかちゃんがさらわれるところとかなんかどっかの怪しげなアニメのよう。この辺りはかなりマニアックな作り方をしてる。女の子の入浴中に敵が襲来なんて卑猥すぎだと思う。
あと、しずかちゃんがのび太の持ってきたプラモを『悪役っぽい』と言ってるところがどことなく『海底鬼岩城』『鉄人兵団』を匂わせてる。ちょうどその間の作品に当たる今作をしずかちゃん繋がりで見ていくとちょっと面白いと思います。
宇宙小戦争ということで入ってるパロなどバラエティにも溢れててドラえもん黄金期と呼ぶに相応しい作品の1つだなぁ、と思った。
数年ぶりに見返してみたら作りこまれてる感じがしてとても良かった。
最後にスモールライトのエネルギー切れがご都合主義という指摘がされてると思うんだけど、それはナンセンスだと思う。伏線は既に前半の人形劇の頃から張られている。この作品ってエネルギーの話なんじゃないかなぁ、と思った。
敵の活動範囲が狭すぎるのはパピの反応をキャッチしているということもあるんだろうけど、その小ささから活動できる範囲に限界があると捉えることもできる。敵はプラモの兵器を本物の兵器と誤認してるし、地球の技術について無頓着な様子だった。敵のドラコレルは頭の冴えるやつで、力で負けてる地球の子供に対して情報収集などを行い、戦略を立てて立ち向かうという軍人らしい軍人なんだけれども、なぜかそういう所に抜けてるところがある。やはりそれは地球という惑星は彼等にとっては広すぎた、故に探査機も遠くにいけなかった、だから情報も不足している、と考察することができる。これが冒頭の人形劇で使われた電池の話に関連してくる。あの小さい電池でどれぐらいの間エネルギーが持つのか。これは敵の探査機にもいえる事で、恐らく電池と同様にそんなに長くは持たないのだろう。そういう設定を日常芝居を交えながら魅せてくる構成。
音楽にも感心する。驚異的な奴は怖い曲、勝つときはアップテンポな曲の切り返し方がとてもわかりやすくて楽しい。安直だけど上手い。反乱軍が音楽に浸ってるところを見てもそう。思想的な部分が垣間見れて面白いと思う。案外こういうところで損をしてる作品って多い気がするので気になるところ>音楽の使い方
ただ、敵の皇帝の話をするパピのところは凄く恐ろしいように敵を描写してるんだけど(全体的に見てもそう)、キャラクターからはその禍々しさがあんまり感じられなかったような気がします。その辺は直接的ではなく間接的に描くべきだということなのだろうか。間接的には確かに良かったかも。
小さいものは大きいものに敵わないとはよく言ったもので全くもって正しい。この映画はある部分でそういう部分を見せ付けてくる。大きいものは強いのである。ただ、ラストに大統領を屈服させるところで、元のサイズに戻ったのび太たちの力を貸させないところがこの作品の良心的なところ。小さな存在でも集まれば大きな存在に打ち勝てるということを象徴している。ナイスフォローと言った感じか。
あとビッグライト使えばいいじゃん、というのは確かにあるんだけど、それだと『小戦争』にならなくなる可能性があるんだよねぇ。敵がスモールライトと同様にビッグライトを奪ってしまったら?それこそ宇宙戦争ものになってしまって、まずのび太たちは勝てないと思う。そういうことができる風に敵を描写していたようにも見えるし、本物の軍隊相手ではとても戦えないことは他のシリーズで証明されている。そういう展開に持っていけることを見越してビッグライトは封印だったのかもしれません。まあ、ラストの展開がありなら最終的に勝つことはできるんだろうけど。結局野暮だからだよなぁ・・・。
なんだかんでやっぱりツッコミどころがあるのがドラえもん映画の宿命。
・しずかちゃんの描写
この映画はある意味しずかちゃんの映画であると思う。ウサギのぬいぐるみが無くなった時、闘わなければならなかった時、男の子たちを動かしたのはしずかちゃんの涙だった。しずかちゃんがさらわれるところとかなんかどっかの怪しげなアニメのよう。この辺りはかなりマニアックな作り方をしてる。女の子の入浴中に敵が襲来なんて卑猥すぎだと思う。
あと、しずかちゃんがのび太の持ってきたプラモを『悪役っぽい』と言ってるところがどことなく『海底鬼岩城』『鉄人兵団』を匂わせてる。ちょうどその間の作品に当たる今作をしずかちゃん繋がりで見ていくとちょっと面白いと思います。
宇宙小戦争ということで入ってるパロなどバラエティにも溢れててドラえもん黄金期と呼ぶに相応しい作品の1つだなぁ、と思った。
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