楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

象潟(1)-蚶満寺(かんまんじ)(芭蕉の道を歩く 16)

2012年09月30日 16時10分04秒 | つれづれなるままに考えること



(芭蕉像、看板に奥の細道最北の地とある)

(象潟(きさがた)
鶴岡から船で坂田(現酒田市)へ七里、
酒田は、米、大豆、紅花などを出荷して、
塩、木綿、木材などを入荷する。
四~11月までの間に2,500艘の船が出入した港と言う。
大商業地であったらしく、
芭蕉も歓待されたのであろう、
滞在途中、酒田から象潟へ向かい、
九十九島、八十八潟を眺めて、
四日後には酒田に戻り、
酒田には実質九日間も逗留している。

その象潟へボクも尋ねた。

芭蕉の頃は、仙台の松島に似て、
海に点々と浮ぶ美しい小島であったに違いない、
九十九島、八十八潟と言われる海に浮ぶ島々は、
今は稲穂がたれる田圃の中の小山に過ぎない。

(九十九島の一部)


しかし芭蕉は、象潟で船に乗り象潟の島々を眺め、
蚶満寺(かんまんじ)を訪ねている。
その蚶満寺で船を止め上陸し、
西行法師が詠んだ桜の老木を見て、
蚶満寺の方丈に座り簾を上げて風景を眺めている。

(奥の細道蚶満寺)
 

(南に鳥海山が聳え、西にはうやむやの関が道を塞ぎ、
東には堤が築かれて、秋田への道が続いている。
北には海があり、その面影は、
点々と島がある松島に似ているようであるが、
似て非なるもののようである。)
(ボクの勝手な現代語訳)
と感想を述べている。

「奥の細道」の原文では、

松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくわえて、
地勢魂をなやますに似たり。


(松島は笑顔をたたえた様であるが、
象潟の有様は、憂いに沈む美人の風情である。)
(岩波文庫「おくのほそ道」注記より)

「象潟や雨に西施がねぶの花」
「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」


と詠んでいる。

(西施像)


(ねぶの木)


(ここで「西施」と「ねぶの花」が解らないが、
次回、調べた範囲でその説明をしたい。)

さて、蚶満寺には松並木に囲まれたひなびた参道があり、
左手は一面の緑の稲穂の中に象潟の島々がみえ、
参道右手には芭蕉像と句碑、
造ったばかりに感じられる西施像がある。

(ひなびた長い参道)


(左手の島々)


(芭蕉像)


ながい参道の突き当たりに、
古色蒼然とした佇まいの山門があり、
その先に六地蔵が出迎えて、
赤い帽子と前掛けをつけて建っている。
本堂へはうっそうとした木立の中を抜けていかなければならない。

(古色蒼然とした山門)


(林がかぶさるような本堂への道)


(六地蔵)


(鐘楼前の芭蕉の木)


(本堂)


(西行の歌桜)


すぐ目の前に鐘楼があり、手前に芭蕉の木が目に入る。
芭蕉があるということは、
東北とは言え、このあたりは温暖なのであろう。
左手に本堂が見える。
本堂左横を潜り抜けると、裏庭に通じており、
西行が歌を詠んだ桜の木(何代目かの若木)と歌碑が左手にあり、

・きさかたの桜は波にうずもれて
         花の上漕ぐ海士(あま)のつり舟


とある。
その手前に芭蕉が船から降りた「舟つなぎ石」があり、
イヌクスの大木が枝を広げ、
右手は盛り上がった小山があり芭蕉句碑が置かれている。

(芭蕉句碑)


芭蕉句碑には、

・象潟の雨に西施がねぶの里

と初案の句が刻まれている。


(舟つなぎ石)


(イヌクスの木)

コメント (4)
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