(天望回廊は下から二番目の展望台)
(下の天望デッキから100m上の回廊までエレベーターに乗る)
450mの天望回廊に行くには、
先ず350mの天望デッキに行かなければならない。
そこからさらに100m上まで、正確には95mエレべ-ターで昇り、
残り5mは自分の足で歩く。
しかし高所恐怖症と閉所恐怖症についてはすっかり忘れていたボクは、
エレベーターの狭い場所に閉じ込められる恐怖、
高い床の上に立つ恐怖をイヤと言うほど味わった今日である。
閉所恐怖症について、
話せば長くなるが、子供の時太平洋戦争で、
空襲警報のサイレンが鳴り、警戒警報が鳴ると、
防空壕に入らなければならない。
防空壕は、庭の地面に家族が入れるほどの穴が掘ってあって、
天井に板か何か知らないが、敷いてその上に土をかぶせた簡単なものだ。
雨が降った翌日などは防空壕の中は水浸しになる。
警戒警報で家族がみんなで、バシャバシャっと水が溜まった防空壕に、
身をかがめて入る。
暗くて狭い中に肩寄せあって逃れたものだ。
爆弾が落ちてきたら一たまりもなく、崩れて生き埋めになってしまう。
生きている間にお墓に入っていると思えば間違いが無い。
近所に落ちた焼夷弾で、友達一家が亡くなった。
少し西に落ちてきたら、ボク達一家は同じ運命に遭ったはずだ。
こんなことで狭い中に閉じ込められることに恐怖を覚える。
レストランで角のテーブルに着くとき、隅に座ることが出来ない。
何時でも直ぐに逃げられる出口に一番近い席に座ることにしている。
三人掛けの長椅子に真ん中には座れない。
直ぐ逃げ出せないからだ。
だから天望デッキまでのエレベーターの中は、
手に汗握る思いであったが、幸いにして僅か20~30秒の短い時間で助かった。
それでも、勿論エレベーターには一番最後に乗り、
降りるときは一番最初に降りることが出来る位置、
つまり「い」の一番に逃げ出せる場所に乗っていたことは言うまでも無い。
高所恐怖症について、
(天望回廊は床がガラス張りになっている所あり)
学生時代、友人に進められて清掃のアルバイトについた。
公会堂の窓ガラス拭きの仕事。
公会堂の天井は非常に高く造ってある。
音響効果を挙げるためなのかどうかボクは知らない。
しかし高い。
その三階の窓ガラス拭きのしごとである。
三階は普通のビルで言えば、六階程度の高さがある。
通りを歩いて人を見ると、10cmほどにしか見えない高さである。
このときはまだ高所恐怖症ではなかった。
窓拭きに取り掛かる。
窓拭きの仕事は内側だけ拭けば良いというものではない。
外側も拭かねば清掃の意味がない。
ところがガラス窓は高い所にもついている。
窓ガラス自体は、敷居から高さ2mに及ぶ。
敷居の上に立っても、背伸びしたくらいでは、
とても上部の窓ガラス拭きは出来ない。
窓を開け、窓の敷居の上に丸椅子を載せて、
その上に乗って、左手で身体を支え、右手で外側を清掃することになった。
丸椅子は平らな所に乗せれば安定しているが、
椅子をのせる場所が、外側に傾斜していて、
少しでもバランスを崩せば、落下すること間違いない、そんな場所だ。
現代のように、ゴンドラに乗って窓ガラスを拭くのなら、
怖くもなんでも無い。
半世紀も昔、そんな便利なものは無かった。
このアルバイトをしている最中に、
下を通りかかった知り合いに呼びかけられた。
恐る恐る下に目をやった途端にバランスを崩し、
乗っていた丸椅子は下に落下、自分はやっと左手で身体を支えた。
左手で身体を支えられなければ、自分も落下していた。
よく火事場の馬鹿力と言うが、このことをいうのだと後で知った。
以来、高所恐怖症である。
445mの高さでエレベーターを降りると、
窓際で外を見ようと人垣で埋っていたが、
人と人の間からカメラを構え、外の景色を写した。
(東京のビル群、向こう側は東京湾)
(下の天望デッキから100m上の回廊までエレベーターに乗る)
450mの天望回廊に行くには、
先ず350mの天望デッキに行かなければならない。
そこからさらに100m上まで、正確には95mエレべ-ターで昇り、
残り5mは自分の足で歩く。
しかし高所恐怖症と閉所恐怖症についてはすっかり忘れていたボクは、
エレベーターの狭い場所に閉じ込められる恐怖、
高い床の上に立つ恐怖をイヤと言うほど味わった今日である。
閉所恐怖症について、
話せば長くなるが、子供の時太平洋戦争で、
空襲警報のサイレンが鳴り、警戒警報が鳴ると、
防空壕に入らなければならない。
防空壕は、庭の地面に家族が入れるほどの穴が掘ってあって、
天井に板か何か知らないが、敷いてその上に土をかぶせた簡単なものだ。
雨が降った翌日などは防空壕の中は水浸しになる。
警戒警報で家族がみんなで、バシャバシャっと水が溜まった防空壕に、
身をかがめて入る。
暗くて狭い中に肩寄せあって逃れたものだ。
爆弾が落ちてきたら一たまりもなく、崩れて生き埋めになってしまう。
生きている間にお墓に入っていると思えば間違いが無い。
近所に落ちた焼夷弾で、友達一家が亡くなった。
少し西に落ちてきたら、ボク達一家は同じ運命に遭ったはずだ。
こんなことで狭い中に閉じ込められることに恐怖を覚える。
レストランで角のテーブルに着くとき、隅に座ることが出来ない。
何時でも直ぐに逃げられる出口に一番近い席に座ることにしている。
三人掛けの長椅子に真ん中には座れない。
直ぐ逃げ出せないからだ。
だから天望デッキまでのエレベーターの中は、
手に汗握る思いであったが、幸いにして僅か20~30秒の短い時間で助かった。
それでも、勿論エレベーターには一番最後に乗り、
降りるときは一番最初に降りることが出来る位置、
つまり「い」の一番に逃げ出せる場所に乗っていたことは言うまでも無い。
高所恐怖症について、
(天望回廊は床がガラス張りになっている所あり)
学生時代、友人に進められて清掃のアルバイトについた。
公会堂の窓ガラス拭きの仕事。
公会堂の天井は非常に高く造ってある。
音響効果を挙げるためなのかどうかボクは知らない。
しかし高い。
その三階の窓ガラス拭きのしごとである。
三階は普通のビルで言えば、六階程度の高さがある。
通りを歩いて人を見ると、10cmほどにしか見えない高さである。
このときはまだ高所恐怖症ではなかった。
窓拭きに取り掛かる。
窓拭きの仕事は内側だけ拭けば良いというものではない。
外側も拭かねば清掃の意味がない。
ところがガラス窓は高い所にもついている。
窓ガラス自体は、敷居から高さ2mに及ぶ。
敷居の上に立っても、背伸びしたくらいでは、
とても上部の窓ガラス拭きは出来ない。
窓を開け、窓の敷居の上に丸椅子を載せて、
その上に乗って、左手で身体を支え、右手で外側を清掃することになった。
丸椅子は平らな所に乗せれば安定しているが、
椅子をのせる場所が、外側に傾斜していて、
少しでもバランスを崩せば、落下すること間違いない、そんな場所だ。
現代のように、ゴンドラに乗って窓ガラスを拭くのなら、
怖くもなんでも無い。
半世紀も昔、そんな便利なものは無かった。
このアルバイトをしている最中に、
下を通りかかった知り合いに呼びかけられた。
恐る恐る下に目をやった途端にバランスを崩し、
乗っていた丸椅子は下に落下、自分はやっと左手で身体を支えた。
左手で身体を支えられなければ、自分も落下していた。
よく火事場の馬鹿力と言うが、このことをいうのだと後で知った。
以来、高所恐怖症である。
445mの高さでエレベーターを降りると、
窓際で外を見ようと人垣で埋っていたが、
人と人の間からカメラを構え、外の景色を写した。
(東京のビル群、向こう側は東京湾)
東京タワーもスカイツリーも中は涼しいものです。
汗一つ落ちてきません。
いろんなビックリがありそうですね。
高いので目を凝らしてじっと見ていることはできませんでしたが・・・・
その代わりカメラが見つめてくれました。
高所恐怖症ではないので大丈夫かと思うんですが、
確かに高いので下をも下ろせないかも。
日帰りですのであまり時間は無いんですよ~。
まず東京タワーで時間を過ごして、スカイツリー・・・
明日の朝は5時出発なんです。
暑いのが苦手なんですが・・・
いつも ありがとう御座います☆⌒(*^∇゜)v
やはり100mほど高いから
見える景色はスカイツリーの方が雄大なんでしょうな。
羽田飛行場へ着陸態勢に入る景色を千葉の方からと
横浜の方からで3~4回見ましたが
おそらく同じような風景なんでしょうな。
なんやかんやといっても~ 話の種に私も一度だけはスカイツリーには登ってみたいと考えてますよ。
他の人が見たら奇妙に写るでしょうね。
手とカメラだけ前へ出してカメラの画像以外は見向きもしないで、
シャッターを切る、そんな図です。
高所恐怖症になられた理由も、閉所恐怖症になられた理由も納得です。
私の学生の頃もビルの窓拭きの仕事をよく募集していました。
3時間ほどの作業で一日分の日当が頂けるという割りの良い仕事でしたが、高所恐怖症の私は見向きもしませんでした。(笑)
当時ゴンドラを使用していたかどうかは、覚えがないです。