夏みかんを切ってみました、団塊の世代と名をつけました
これから、無謀なことに挑戦します。
輪切りにした夏みかんです。蜜柑の房が、枡に見えました。
行儀よく並んでいます。しかし、中の房は個性的です。
一見、輪切りの蜜柑の房のような「団塊の世代」です。
所狭しと詰まっています。
教室に入りきれないほどの若者が、ひしめき合ったのがこの世代です。
望んで生まれてきたんじゃないやい。と言われる先輩もおられます。
いつもガキ大将の兄貴たちでした。私達は、昭和20年代後半の世代です。
何もかも、兄貴たちが先にやってしまった。
学生運動も、反抗も、成功も兄貴たちの所業です。
一息つきましょう。
誤ると、多くの敵を作るからです。
しかし、遠慮すると「お前はこの程度」かと見切られるからです。
兄貴たちには、個性がない。
ひっくるめて団塊の世代と片付けられてしまった。
そうでしょうか。
兄貴たちは、金の卵で、拡大する市場で大いに羽を伸ばされました。
職を得、次から次にポジションも得られました。面白かったはずです。
やることなすこと、何でも当ったのです。奔流のように動かれました。
私達の世代は、自転する渦のような動きに煽られ、溺れそうになりながら、
後を付いて来ました。
確かに不遇でもありました。親父達にいいように使われました。
高度経済成長。タコ部屋のようなアパート暮らしに耐えてきました。
どうでしょうか。
兄貴たちの子供世代の惨憺たる時代を見て、どう思われますか。
甘ったれの子供達ではありませんか。何でも与えた結果です。
本当はそうではないのですが、兄貴たちから見れば不甲斐ないはずです。
時代と言ってしまえば、それだけです。彼らは今喘いでいます。
会社で何をやったら良いのか、社会でどの立ち位置で仕事をすれば良いのか。
成熟した社会で、何をこれからやらなければならないのか。
兄貴たちが残した成功のつけが一杯澱のように溜まっているのです。
私達も同罪です。
兄貴。見守ることしかないのでしょうか。
何か、我々にできることはないのでしょうか。
公害も作りました。それを直してきました。
一流の国にしました。
親父たちが頑張り、兄貴たちが引っ張ってきました。
子供達は、お祭り騒ぎのあとの静かな時を過ごしています。
次にお祭りがあるのかないのか。でも繋いでいます。
兄貴たちは、怖れることなく海外に飛び出して行きました。
子供達は、ひるんでいます。海外など危険で出たくないのです。
飢えていないのです。
そうでしょうか。反面、結婚できない世代です。
パラサイトのような集団です。
夏みかんの房は、良く見ると所々境界の皮がつながっています。
種が、個性豊かに育まれています。次につないでいるのです。
みずみずしい環境です。少し酸っぱいですけど。
長く書いた割には、いまいちでした。
考えが足りない、情熱が薄い証拠です。
見守る勇気も必要です。
夏みかん 忘れられたか しぼむなよ
2015年5月6日