故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

真剣すぎて面白くない

2016-01-10 09:21:01 | よもやま話

かねてより、必然性にこそ意味があると考えていました。
そこに笑いも哀しみもあるのだと。

一生懸命やっているように見えるのです。
肩に力が入り過ぎていては、傍で見ている方が疲れてしまうのです。

私は、夜中に起きだして書いています。
絵もブログもそうです。
仕事をしながらの「面白いの追求」です。

でも面白くないのです。
内容も偏っているし、自分の考えに固執しているように思います。
そうですね。突っ込み過ぎです。
わざと、すってんころりとこけるくらいの余裕が欲しいのです。
お前、本当に馬鹿だね。
そうかな。と一旦反省するくらいの余裕が欲しいですね。

そうそう、緊張したときは、目を凝らします。
そんな時は、大きく息を吸って、にこっと笑うのです。
不気味です。

今は、昼間も書けるのです。
夜は、魔物が棲んでいます。
一方向ばかりを向きがちです。
ちょっとだけ、周りを見る余裕が欲しい。
遠くの景色は見えないけど、見る余裕です。

妻がコンピューターが空くのを待っています。
替わりましょう。

2016年1月10日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝負の日

2016-01-10 05:08:55 | よもやま話

笑顔が一つだけ。(写真で撮ったものから、画像に切り替えました。1月11日実施。)

  
今日は、面接試験の日です。
そのために、ここに来ました。

地域おこしの採用面接試験です。
楽しみです。

退職した直後からこのためにいろんなことを整理してきました。
家族のこと、家のこと、義兄の病気のことについていろんな人に相談してきました。
目途がたちました。
自分が建てた家を息子に任せました。
家族は、すべて独り立ちができています。
義兄のこともケアマネージャーさん、ヘルパーさんおよび病院と話し合いができました。

妻と話しました。

本当にやりたいことなの?
やっていけるの?
楽しいの?

すべてに満足な答えはありませんでした。
目的を絞ることで、いろんなことが見えてきました。

得たことは、
求めれば叶えられるでした。

安定などない私の生活態度に共感してくれる妻に感謝です。
ありがとう。

2016年1月10日



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ないものはない

2016-01-10 02:07:23 | よもやま話

年収が高い人が、貯金高が高いとは限らないとはよく言われることです。
平均以上という意識もさることながら、
各種補助制度からことごとく外れてしまい、結果出費が嵩んでしまうのです。
なければないで済まされるのですが、あるからつい浪費してしまうのです。
そして生活水準が高止まりとなってしまうのです。

田舎暮らしが素晴らしいとよくテレビで報道されるようになりました。
田舎の良いとこどりをすればそうなるかもしれません。

田舎の人が都会に出ていく大きな原因の一つが教育です。
田舎では、子供に十分な教育を受けさせられない。
収入だけではありません。
小学校まで、中学校まで、高校までと段々通う距離と時間が伸びて行きます。
大学となると、生活費も含め年間200万円かかります。
子供は、勉学どころではなくなり、アルバイトにかかりきりとなります。
親は、生活の基盤となる一次産業だけではやっていけなくなり
副業をせざるを得なくなります。

都会には、刺激(情報)が溢れています。
やりたいと思えば、ほとんどのことができるのです。
仮に金がなくても、楽しいのです。
沖縄に旅行するにしても、近いはずの九州から行くより東京から行く方が安いのです。
すべてが、都会中心の情報網なのです。

仮に東京に住んでいても、渋谷、新宿、池袋、有楽町や品川に行くことはないのです。
行く目的がないからです。友人はたくさんできます。
しかし、楽しいことをするには先立つものが必要です。
公共機関で移動するにも、階段の上り下りなどで体力戦となります。
若者中心の文化です。購買層は、若者であり高給取りです。
高い基本料金(家賃、移動費、情報費、趣味の場所代)を払い続けなければなりません。

やっと、今日のテーマです。
「ないものはない」と割り切れるまで年月がかかるのです。

身の回りの物を見てください。
TPO(時、場所、目的)に合わせて買いそろえたものが溢れています。
一年のうちに数回しか使わないもののなんと多いことか。
その場所取りで、一部屋つぶれてしまいます。
都会では、この場所代がとても高いのです。

私は、いつか使うものはすべて捨てるようにしています。
思い出も、考えも。
写真は絵手紙にし、思い出は文章にします。
こうしたいなは、コンピューター(ワード)に書きこみます。
月単位(あるいは季節単位)で使うものだけにしています。
あとは必要ないのです。

記憶さえ捨てています。
記憶とは、アルバムであったり各種資料です。
本当に必要なものは広辞苑だけです。

言いたいことが最後になってしまいました。
究極は、命です。家族です。愛する人です。
それ以外は、「ないものはない」で済むのです。
命を守るために衣食住が足りればよいのです。
だから、住む場所(都会、田舎)にこだわる必要がないのです。

本日訪問した島でお会いした方々は、ほとんど70歳以上でした。
誰も歩行用補助器具(杖さえも)を利用されていませんでした。
元気に生産活動をされていました。自分が食べるために。
家族が元気に暮らせるために、花を大事にされていました。
したがって、周りはきれいでした。ゴミは片付けられていました。

ないものはない。
必要なものは、シンプルです。
住む場所によって、TPOは変化するのです。
大事なことを見つける、再確認する良い旅になりました。

求めれば見えてきます。
離島経済新聞を求めて、都会の本屋さんに行きました。
かわいい娘さんが応対してくれました。
彼女は、住みやすいをやりたいことを求めて、地方の都会に引っ越してこられました。
彼女のもとには、情報が集まっていました。
東京ではみつけにくい「ほっこり」したものでした。
なにより元気で生き生きしていました。

水仙の 一輪だけが 微笑んだ

2016年1月9日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする