故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
流水、国分寺跡というタイトルです。
流水の中に水草がありました。
水草は、流れにまかせて揺れていました。
清々しかったのだと思います。
今日のタイトルは、「正直に書く」です。
若い頃は、日記を書き始めてもほとんどの場合3日坊主でした。
何故そうだったのか。
嘘を書いていたからです。
嘘を書き連ねることに嫌気がさし止めてしまいました。
いつか誰かが見るだろうと想像し、自分を格好良く見せようと魂胆がありました。
今は、ほとんど正直に書いています。
正直に書こうともがいていると言ってもよい。
書いていく端から違う、と自分の中の誰かが言います。
それほど現在の気持ちを正直に表現することは簡単ではありません。
だから、正直に正直に書いたとて嘘になる。
言い表せる言葉探しを続けます。
気持ちの、思考のもつれをほどくような作業と言っても良い。
どうしてそう思ったのか、分析・昇華を繰り返します。
エッセンスにたどり着けない毎日です。
格好良く見せられないのが現状です。
冒頭の絵のように、清らかな水に身をゆだねながらも流されない。
こんな気持ちを表現したいのです。
流されない。
どうあっても流されない。
自分は自分。
見るかもしれない先生がどう言おうと、自分は自分。
唯一無二。
こんな心境で書き続けたい。
自分にしか書けないことを毎日書いています。
誰かの意見に賛成するでもない。
誰かを批判するでもない。
ただただ、自分の内面とお話をしているだけです。
どんなに正直に書こうと思っても書けないことを言いたかった。
それが何なのか、どうしてそう感じるのか自分が解決するしかないのです。
日々書くことは、挑戦以外の何物でもないと考えています。
日々の葛藤をそのままで終わらせたくない。
今日は今日。明日はまた明日のこと。
今日しか書けないことを毎日書いています。
ひらひらと 水に流れて 元のまま
2018年4月19日
今日のタイトルにあわせてこの絵を選びました。
思い切って、濃い茶色を引いて肉感を表現しました。
見ようによっては素敵な身体です。
今日のテーマは、「男と女(Part6)」です。
気が重いテーマです。
このことから卒業したい。
まだまだできぬようです。
カフェに同い年の後家さん二人が来られました。
いつになく乗って話をする自分がいました。
60過ぎのおばあちゃんに色気を感じる。
こんなことってあるんです。
見知らぬ間柄だから起こることでしょう。
生臭くて、ちょっと気持ち悪いですか。
きっとですよ。
今もこんな風情なら、若い頃はもっとすごかったなと想像してしまうからなんです。
60歳を過ぎると言うことは、男なしでも生きていける年齢です。
それが男に興味を抱く。枯れてはいない証拠です。
話したり、笑ったり可愛いんです。
(ここで一日中断。書き続けるか悩みましたが載せることにしました。)
冒頭の絵をカフェに飾りました。
興味津々で一生懸命描きました。
なにしろ美しかった。目を見張るほどみなぎった身体でした。
残念ながら彫像でした。
彫像より肉感的に仕上がったと感じます。
この絵は、ほとんど何にも見えない。
でも、清々しさがあります。
輪郭だけですが、若さがあります。
今日のテーマは、「男と女(Part6)」です。
女性は、どうしてこんなに美しいのでしょう。
たくさんの似顔絵を描いてきました。
女性の似顔絵を描くときは、いつも筆が震えます。
一生懸命です。
女性の良いところを抽出する気持ちで描いています。
ただただ正直に。
これまで、いっぱい騙されました。
騙しもしました。
それでこそ、男と女です。
これからも、このテーマで書くことがあるでしょう。
春風に ほほを撫でられ 舞い上がる
2018年4月17日
お時間のある方は、次の記事もお読みください。
男と女に対する賛歌です。ハイライトをクリックすると記事が読めます。
2018年3月16日投稿記事「男と女(Part5)」では、
私達は、いつまでも男と女です。共同生活者ではありません。(抜粋)
2017年6月14日投稿記事「男と女(Part4)」では、
「男と女は、二人だけの布を織りあげているのでしょう。
横糸が誰、縦糸が誰と決めました。
(中略)洗うほど強くなる木綿のような男と女でありたい。」(抜粋)
2017年3月24日投稿記事「男と女(Part3)」では、
「このかかあと一緒になって良かったと、
胃袋を掴まれているのも知らずに酔いしれるのです。」(抜粋)
2016年10月29日投稿記事「男と女(Part2)」では、
「迷わず、目の前の好きな人に「させていただきます」と頑張ることです。」(抜粋)
2015年6月19日投稿記事「男と女」では、
「男の無駄とも思える努力に、
たまにのってくれる女のいじらしさなのです。」(抜粋)
と書いています。
帝国ホテル前の彫像です。
タイトルは、気品。
こうかなああかなと絵手紙の筆を走らせます。
その対象は常に興味のあることになります。
今日のテーマは、「日々進歩」です。
年齢を重ねるごとに、「日々進歩」を実感します。
幼子の成長は、目を見張るばかりです。
寝返りができるようになると這い這いです。
間もなくつかまり立ち、そして歩き始めます。
脳の成長と身体の成長が著しく速いと言えます。
どの子もそんな感じです。
年齢を重ねることは、経験値があがることです。
「日々進歩」を感じるには程遠い。
出来なくなったことを数え上げたらきりがない。
もの覚え、歩行速度など衰えることばかりです。
負の経験値とも言える。
しかし、こうしたいと思えばやれる。
衰えていようが、続けることはできる。
若い頃より、「なんとかしようという想い」は強くなる。
出来ないことを知っているからこそ、長い時間をかけないといけない。
日々の動きからして、「なんとかしよう」と考える。
昨日で来たことを、今日もできるようにしたい。
あわよくば、昨日より今日を改善したいと欲張ります。
短い時間で、「日々進歩」を実感できる。
若い頃より、鮮明にわかる。
これは、記憶のレンジ(比較の時間経過)が短くなったことなのか、
満足度のレベルが低くなったことを意味するのか考えています。
私の場合は、やりたいことが出来ることで、「日々進歩」と感じます。
若い頃は、やりたいと思ってもできなかった。
むしろ、自分がやりたいことが何なのか分からなかった。
自分は何ができるのかも分からなかった。
どうすればできるかも知らなかった。
今は違う。
やりたいことは、はっきりしているし、どうすればできるかも知っている。
ただ、できないだけの毎日です。
それができることが、「日々進歩」と感じる次第です。
ハードルは極めて低いのです。
もう一つ言えることは、できなくたって痛くも痒くもない。
できないんだなとじっと思うだけです。
何かの器具を使ったり、ハードルをもう一段下げることになります。
諦めと工夫の連続となります。
話しづらいなと感じれば、脳梗塞の前兆です。
医者に行って、血栓を取り除いてもらえばよい。
ああ、できた。
まだ、できた。
そして、またできた。
と歓びが大きい。
この嬉しいの実感こそ、「日々進歩」です。
若い頃は、出来て当然と高みを見るばかりでした。
今の目線はすぐそこです。
これがやることと、身近なことばかりです。
今日のこと、明日のことが大切です。つまり、「今」です。
その積み重ねなのです。
傲慢な若い頃は、一足飛びばかり考えていました。
幼子のように、短時間で成長すると思い込んでいました。
そんなことはないと、長い長い時間をかけて知ることになりました。
だから、「できること」がこんなにも嬉しいことになるのです。
おっちゃんと 振り向きそこに 春風が
2018年4月16日
投稿後、
夜空を見上げ、星の多さに気づく。
白内障の手術をして良かった。
こんなにも夜空はきれいだったと、何十年ぶりかに思いました。
僕はこうなのというタイトルの絵です。
数年後にまたお会いしましょう。
今日のタイトルは、「オンリーワン」です。
俺でなくっても良かったんかい。
数合わせの仕事をさせられた時に思ったものです。
私は、横浜に住んでいました。
マッサージを受けるために上野まで行きました。
その店のある人だけに施術していただきました。
初めは痛い。終わる頃には痛気持ちよい。
店を出たあとは、羽が生えたような気分になりました。
長くは続かないことは解っていましたが、通いました。
この人しかいないと、一生懸命口説いて結婚します。
あれは何だったのと結婚後思うこともあるでしょう。
熱に浮かされたようなものですか。
そうではありません。
一瞬だけどもそう感じた真実が、その後も生きてきます。
やっぱりこの人で良かったと長い時を経て分かります。
十羽ひとからげの教育を受けたとしても、私は私です。
ずっと同じ先生とは限らない。
あなたは、あなた。
この世に一人しかいないあなたです。
だから気にすることはありません。
きっと、わかってくれる人がいます。
友達の父ちゃんとは違うけど、
個性と思えば我が父ちゃんが愛せるようになります。
どうして、こうゆっくりなん。でも笑えるな。
似顔絵を描くときは、常に「オンリーワン」を探します。
この人のオンリーワンはここじゃないかと探します。
描き上げたあと、少しだけ想いを綴ります。
私は、この人をこう見たと。
この人も周囲の人も気づかぬオンリーワンを知らせたい。
ないようでもあるものです。それが魅力です。
カフェに来られる多くの方々のオンリーワンに接します。
マニュアルトークとはいきません。
都度、その人に合わせたトークをします。
その人も体調や気分によって変化します。
その時もそれなりに察して話ぶりを変えていきます。
その人が発している何かを感じ、注目点の変化を見抜きます。
そうして生きてきました。
観察力が、自らを助け、それぞれの人の柔らかな笑顔を引き出してきました。
辛いことは、同じだよ。
嬉しいことは、オンリーワンです。
街さ出た お前はいつも うそばかり
2018年4月15日
僕一人で渡れるよ。
孫がこう言って川を渡り切りました。
今日のタイトルは、「子に伝える」です。
孫は渡れるよと言ってくれましたが、子供は心配でした。
親不孝を繰り返してきた私が子を持った。
かみさんも、子供を望んでくれた。
よーけ(たくさん:広島弁)できました。
だけど、育て方が分かりませんでした。
子供達は、勝手に大きくなって私の前に現れました。
転職したいけど、何を基準にしたらよいのか。
家庭が上手くいかないけど、どう気持ちを持ち続けたら良いのか。
自分だけにしかできない、オンリーワンになるためにはどうしたら良いのか。
独立した子供たちの悩みはつきません。
横浜の自宅のトイレの天井が落ちました。
天井の中には、大きなスズメバチの巣が残っていました。
巣の主たちも巣立って空っぽでした。
外壁に穴が開いている。
外壁の穴は、内部から発泡スチロール材(20mm厚)で塞ぎました。
天井は、色のついたベニア材を取り付け壁際に巾木(天井と壁の仕舞)を回しました。
正式な修繕方法ではありません。
化粧ベニア板はケイカル板であるべきだし、
外壁は足場を組んで、板を打ち付けるべきでした。
とりあえず、息子と一緒にやりました。
自宅を息子に生前贈与するための相談をしに司法書士を訪ねました。
息子は、借金(ローンの返済残)ごと受け継ぐことを決意してくれました。
義兄の法定後見人になる手続きも分担してくれることになりました。
娘は、私と息子のために料理をこさえてくれました。
久しぶりにヘビーな料理を美味しくいただきました。
伝えることなどありません。
見せる背中もありません。
あるのは、反面教師の姿だけです。
子供達は、それでも良いと言ってくれてるようです。
私の生きざまを笑顔で見てくれているような気がします。
子離れ、親離れを進める私達です。
時間をかけて楽しんでいきたいと思います。
息子も娘も家族を持ちたいと思っているようです。
それがなにより嬉しい親心です。
からっぽに してから渡す 親心
2018年4月14日