故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

眼のきれいな女

2019-12-25 06:52:46 | よもやま話

私は、夢中で筆を運ばせました。
こうかな、ああかな。
ちょっとだけ美しく描けました。


今日のタイトルは、「眼のきれいな女」です。
歯科医にかかるようになって半年が過ぎました。
そこで働いておられる、歯科技工士の女性の目に出会うために行っていると言ってもよい。
ハッとするような眼です。マスクをしておられるから、なお際立ちます。
ドキッとして、メロメロです。
治療を中断して、口をゆすいでください。
一オクターブ高い小さな声で、「ハイ」という私。

眼は、美人の条件の一つです。
微笑む「お多福」の眼だってチャーミングです。
人の表情を観察するようになってから、眼を中心に表情をうかがうようになりました。

カフェにお好み焼きとピザを買いに来られた、お客様の表情を垣間見た。
あれ、皆さんと一緒に来られた時と印象が違う。一瞬のことでした。
ははーあ、化粧をしてきたな。髪を気にしたな。口元が微笑んでいた。
やられた。

若いころ、真剣な眼の娘に出会ったことが何度かあります。
どれも、胸が苦しくなった。
受けごたえは、しどろもどろでした。

今は違います。
表情の変化を楽しませていただいています。
スケベ爺です。川端先生のように、目で舐めることはない。
ゆんべ、なんかよいことあったのかな。
と軽口を言えるようになりました。
私とは、縁のない女性です。

眼を変えさせる男になりたいと若いころは思いました。
だけど、変わっていたのを見逃して来たようです。
そこのあなた、隣に寝ている連れ合いの表情をじっくりと見たことがありますか。
そして覚えていますか。
私達の歳になると、多くの女性が、旦那の眼なんて見ていない。
声とか雰囲気とかで、連れ合いと判断しているように感じます。

嬉しいと女性の眼は美しくなります。
これからでも遅くはない。そんな眼に出会いたい。

爆弾を 隠し持っても 眼で判る

2019年12月25日
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田舎暮らし

2019-12-24 04:32:16 | よもやま話

今日もご安全に。
タイトルは、「ちょっと一休み」。
正午の時報に合わせ遠吠えをする。
先祖の血が騒ぐのです。


今日のテーマは、「田舎暮らし」です。

田舎に暮らして4年目です。
いいこともあった。よくないこともあった。
選択の根拠は、何が自分にとって楽しいか。
都会の暮らしは、金がかかる。
住居費と食費が高い。
田舎の暮らしも、金がかかる。
交通費と交際費がかかる。

都会は、交通網が発達しているから車が無くてもどこにでも行ける。
田舎は、一日にバス3便では具合が悪く、車が必要である。

自分の判断だが、都会は暮らすところではないような気がする。
若いうちは働けるし、学校の選択肢が広いから子育てには向いている。
田舎じゃ、都会の大学に子どもを出したら相当な金額を覚悟しなければならない。
子供のアルバイト先も限られる。
暮らしとなると、田舎が断然良い。
都会では、隣は何する人ぞとなります。
会社に行かなくなってから、行くところがない。やることがない。
行けたとしても、やれたとしてもすべてが金がらみとなる。

田舎では、畑の草を取るだけでも癒される。
取った後の展開がある。何を育てようか。
どうやって食べようか。誰に送ろうか。
土づくりは、どうしよう。
(ここで、カフェで注文があり中断)

ところが、問題は体力であり知力である。
都会でも田舎でも体力を鍛える場所はごまんとあり、どちらとも言えない。

知力の点では、田舎のほうが使うと言えば使う。
いや、使わざるを得ないと言える。
人工と自然の違いが要因であろう。
寒いとか暑いは一緒である。
草が伸びる、種まきの時期を見誤るなど田舎の暮らしは刻々と変化する。
その時を見逃すと、一年後にリベンジとなる。
田舎暮らしは、自然と共にある。

知力を鍛える暮らしと言える。
ここに来て、空を見る遠くの景色を見て予測する癖がついた。
すなはち、視野が広がった。
五感を使って生活する。
その分、心が豊かになる。
取り込み量が多いから、判断することが必然的に多くなる。
都会では、多くのサポート(仕組み、ルール、安全神話など)がある。
田舎は不便な分、補助的な工夫と知恵を要する。

知恵の一つが、コミュニケーション力のアップである。
一人では生きていけない。このことを強く感じる。
おばあちゃんでさえ、孫にいくら握らせればコンビニまで連れて行ってくれるか算段をする。
自ら発言しなければ、ことは進まない。
誰でも、大阪人にならざるを得ない。
ボケとツッコミを小さいころから鍛え上げることになる。
田舎の若者は、多くの役目(消防団、自治会長、祭りの準備など)をこなさなければならない。
リーダーとしての資格も早くから問われることになる。
会社の上司と馬が合わないなんて言ってられないのである。
仕事と暮らし、オンとオフの狭間が無く、またはっきりと区分けされる。
会社では上司だが、自治会では使いっ走りと言うことはよくあること。

枯葉マークは要注意。
ウインカーなど出さず、あぜみちのごとく我が道を行く。
それでも運転しなければならぬから、惚けてられんめえ。
若いお姉ちゃんにあおられることも、しばしばです。
通勤時間帯の車は、脱兎のごとく。恐ろしいものがあります。
車列に頭を入れてからウインカーを出すのは、大阪だけとは限らない。

都会暮らしと田舎暮らし、どちらを選ぶかは個人の自由です。
どちらも体験できるとよいですね。

狸事故 雄が多いは 雌のけつ

2019年12月24日
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ラブラブ

2019-12-23 07:03:54 | 思い出話

脱いでに、あっさりと答えてくれました。
タイトルは、「笑う女」です。


今日のテーマ、「ラブラブ」です。

とうとう雪が降りました。
妻は、雪景色を見ることもなく寝床で丸くなっています。
私は、寒さに耐えられる服装に着替え、酒の粕を飲みながら体を温めています。
母は、「お父ちゃん、息子が見ている」と乗っかるお父ちゃんにしがみつきながらささやいていました。

ドイツでは、スタイルがよいけどお尻の大きい女性が、旦那の膝に乗り首根っこにしがみついていました。
車に定員オーバーで乗り込み、ゴルフに出かけるはしゃぐ姿でした。
ゴルフが初めての女性たちは、クラブで穴を掘りながらキャッキャと進まぬボールを追いかけていました。

沖縄では、タクシーに7人が乗り込みボーリング場に向かいました。
途中で、コンビニに寄り酒をしこたま仕込んでいました。
酒のびんと同じ高さにしゃがんで、外からママの姿は見えません。

ミスターちょっと待っててね。
私を案内してくれた中国人の若者がレストランに戻りました。
中国では、げっぷをしてもう食べられないと満足の表情をして宴は終わります。
いっぱい残ったご馳走を、中国人の若者はタッパに詰めてもらい家族に持ち帰ったのです。

パキスタンの夕暮れ、私は小学生用のテキストで学んでいました。
変わった日本人だと、先生役のパキスタンの仕事仲間が微笑んでいました。

韓国で、闇鍋のようなごった煮をアジュマが出してくれました。
手作りのマッコリをいつまでも飲んでいました。
ほら言わんこっちゃないと、朝食に牛の血のスープ(へージャンク)を酔い覚めに出してくれました。

やはりドイツでのこと、ばあちゃんがニョッキをスープの中にちぎっては入れていました。
お袋の味がしました。親指を立てて美味しいと伝えました。笑顔から笑顔へ。

今日のテーマは、「ラブラブ」です。
いちゃつく姿は想像できません。
家族を想い、パートナーを愛するどうしようもない愛情表現です。
あんたが好きよ。泣き出しそうなくらい見つめています。
それは、一瞬のできごとでした。
そしていつものように笑顔です。

洋の東西を問わず、男と女の「ラブラブ」の風景を見てきました。
もうすぐ起きだすであろう、妻のこんもり布団を眺めています。
外は雪、温かい朝食を作り始めるか。

もっと上 何度言っても 覚えぬか

2019年12月23日
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時給

2019-12-22 11:34:37 | プロジェクトエンジニアー

赤切れの手が作る漬物です。
タイトルは、「洗い清めて」
防腐剤で安心を確保したものより、ずっと美味しい。
私達は、知っています。


今日のタイトルは、「時給」です。
かつて勤めていた会社の海外ジョブの時給の売価が、18000円/時間を越えてしまった。
国内ジョブは、8000円/時間であった。
15000円/時間でも、台頭してくる海外勢の時給に勝てなくなった。
会社は、リストラを敢行した。
500人を自社の下請け会社に出向させた。
実質は、解雇である。
主に、50歳以上のベテラン(平均年齢49歳)が、その対象となった。
私もその一人であった。

本社が、下請け会社から買う時給は、4000円~6000円/時間となった。
本社の社員は、自社内に残った若手より力があって単価が安い下請け会社の社員を使った。
下請け会社の受注率は、100%を越えた。
すると、本社はさらなる単価引き下げを迫った。
しかも営業権は本社が握っており、下請け会社が独自の努力でとった受注額の4%をピンハネした。
往復ビンタである。
かつて本社に勤めていた者たちは、会社の要請に従って70歳を超えても働いた。
人財不足が、補えなかったからである。
グループの平均寿命が70歳であったから、
いつまでも仕事をせざるを得ないロートルから悲鳴があがった。
それから15年が過ぎた。若手はきっと育ったことであろう。

残念なことが起こった。
下請け会社の若手社員(主にプロジェクトマネージャーという御用聞き)は、
いつまでも力をつけることができなかった。
本社に残った中堅クラスから若手も、リスクに飛び込む仕事ができなくなった。
本社に残った力のある社員が、シャッフルされて薄くばらまかれた。
それでも能力低下は避けられず、海外の優秀な人材(共同受注など)に頼ることになってしまった。

私は、国内ジョブの担当であった。
食品のエンジニアリングフィーは、8%が常識の世界である。
本社にいるときは、キーマンだけ本社のエンジニアーを使い、
詳細エンジニアリングは、協力会社のエンジニアーと共にこなした。
協力会社のエンジニアーには、厳しくあたった。
しかし、協力会社の若手エンジニアーはついてきたし、能力もジョブを重ねるごとに格段にあがった。
機械担当の私は、建築会社の若手(特にユーティリティー関連)にも無償で指導した。
会社を辞めるときは、協力会社の人たちが一席を設けてくれた。
建築会社の方たちも、辞職後も付き合ってくれている。

時給に対する考えは、様々であろう。
オール本社で対応できれば、価格は高くなるが高度な仕事がこなせるであろう。
しかし、大会社にはセクショナリズムがあり、必ず上司の了解を必要とする稟議制度が速度感を失わせた。
中小ジョブには、不適切であった。

時給が高いものと、低いものの組み合わせを実現できる会社は、強みがある。
この辺りでも、三次四次下請けの会社がある。
受注額と利益から、社員は1500円/時給で、臨時工は1000円/時間が存続のための
ぎりぎりの単価である。
優秀な臨時工を雇え続けられなくなり、海外(ベトナム)からの派遣に頼らざるをえなくなった。
派遣と言えど、研修制度(1年間)の足かせがあり次から次にニューフェースとなってしまっている。
技術の伝承が難しく、外国人もあまりの短期のために、日本社会(特に地域)になじむ意欲が薄れている。

派遣社員は、派遣会社に20%は持っていかれる。
そして、いつでも首を切られてしまう。
日本のモノづくりは、単価の高いベテラン社員から低い若手社員に技術伝承がされてきた。
派遣制度によって、この連鎖が切られてしまっている。
会社という枠にとらわれない、オール日本の底上げという考え方が浸透するのを待っている。

農業も土地の権利がからみ、部外者に継承してもらえないのが衰退の一因となっている。
農業がしたい若手や都会生活者(主に定年者)がいる。
それぞれ、目標は違うが単価が低くても幸せ感を持てる職業である。
それは、部分最適(モノづくりの一部)ではなく、全体最適(土づくりから販売まで)の感覚が
そう感じさせるのである。
農業人が売価を決められるようになれば、農業は革新的に進歩するであろう。
オーナー制度が、その端緒であろう。

これから日本が進む方向は、三次産業なのであろう。
仕組みを司る人たちが、稼いでいくのであろう。
現に、テレビのコマーシャルはモノづくりの会社から通販やサービス業に転換されている。
私達は、低成長(ゼロからマイナスも覚悟)の時代に向かって久しい。
単価を下げても幸せな暮らしができる社会を作っていかなければならない。
何がキーワードになるのか探している。

前だけを 向きし生きざま 鈍化せり
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大人の対応

2019-12-20 12:00:26 | よもやま話

がん発症から、一命をとりとめた女の方です。
タイトルは、「良かった」です。
切羽詰まって辛かった。
我慢して、運を天に任せて、生還されました。


今日のテーマは、「大人の対応」です。

「大人の対応」とは、
大人の意味とは、どんな嫌みを言われても、
嫌がらせを受けても冷静に落ち着いてまわりに不快な気持ちを与えない対応のことです。
理不尽で納得いかない出来事は常にありますが、
そういったことにも不満をぶつけるのではなく大人の対応が出来ると、
まわりの人からも尊敬されやすいですし自分にとってもイライラしないまま終わることが出来ます。
(ネット記事より抜粋)

白黒はっきりつける。
正しいと思うことは、誰が言っても譲らない。
それが、正しいことであっても、
すぐに片づける必要がない場合は、ひと呼吸おいた方が良いと思われます。

思い通りにいかないことばかりです。
口下手な方がよい時もあります。
もごもごしている間に、奥様がチャッチャと片づけてくれます。
言いたくないことを言わなくて済んだ。

そうね。と日本語で言葉をつなぐ。便利な言葉です。
外人(モーリシャス出身)の先生に、日本語で話しかけても通じている。
もう、しゃべっちゃおう。子供は止まりません。

嫌な場面で、言葉尻を咎めると、さらにエスカレートします。
普段思っていることが出てしまう。
我慢していたことを、つい言ってしまった。
ほーら、待っていたように応酬が続くことになります。

あらあらと、そこでやめることです。
本質を見極めるのは、お互い冷静になってからでもよいでしょう。

なんもかも ちゃぶ台返し 今昔

2019年12月20日
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