故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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人々が行き交う稲荷橋(タイトル)です。
広島の川にかかる橋の一つです。
私は、広島生まれです。
最初に、原爆投下された町です。
14万人の方たちが亡くなり、その後6千人の孤児たちが生き延びた。
今日のテーマは、「Moral parent」です。
広島の島に生まれながら広島のことをあまりにも知りません。
私にとって大事なことは、まずは故郷を出ることそして生き抜くことでした。
戦後、日本中で多くの孤児たちが苦しみ死に生き延びた。
現在、原子力発電所の事故が起きた地に住んでいます。
放射能に対する恐れはありませんでした。
広島は、長い時間不毛の地になるであろうと言われた。
投下後の9月には夾竹桃の花が咲き、両親を含め多くの生き抜いた人たちを見たからだと思います。
今回、「Moral parent」のことを初めて知りました。
広島で被爆したある一人の牧師(谷本さん)が、広島の惨状を全米で15カ月にわたり講演した。
戦後間もないころの話です。
谷本さんは、戦争を起こした自国の贖罪をした。
同時に、荒れ果てた自国の惨状をも伝えた。
谷本さんは揺れ動く両方の気持ち(ごめんなさいと憎い)の間で葛藤し、苦しんだ。
投下直後、谷本さん自身も多くの助けを求める声を振り払い、教会と自分の家族の心配を優先した。
アメリカの教団に依頼された講演がきっかけで、一人のアメリカ人のノーベル賞作家の心を動かした。
そして、アメリカ人のジャーナリストが協力した。
国交がない状態での孤児を救う手だて(養子縁組など)がない中、「Moral parent」の運動が始まった。
600人のアメリカ人が、「Moral parent」になった。
「Moral parent」は、広島の戦災孤児たちに精神的また経済的援助をした。
日本政府ができなかったことが、原爆で終戦したと信じる人が多いアメリカで起こった。
放送では、ソウルにいる韓国人に母親代わりに育てられた孤児の話も出た。
日本が戦争をしかけた国であり、多くの韓国人を殺し搾取してきた。
なのに、韓国人の義母は、広島の戦争孤児を我が子のように育て上げてくれた。
戦災孤児たちの生き抜くことが、どれだけ大変なことであったか、伝え聞いている。
「Moral parent」の事実は、衝撃でした。
私達が生きる上で、もっとも大事なことは人とのつながりなんだと、改めて感じた。
気づくのが 今であっても 遅くない
2019年12月17日
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タイトルは、「舫い船」です。
風流としゃれこむか。
ばあちゃんの息子が、数少ない鉄砲撃ちの免許保有者です。
午後、カフェにひょっこり顔を出した。
「雉と鴨は要らないか」と問われた。
今夜の予約客が、蕎麦を打ってくると聞いていた。
雉の出汁はそばつゆに最高と聞いていたものだから、こりゃ好都合といただくことにした。
ところが、時間がない。
今日のタイトルは、「雉と鴨をさばく」です。
鴨は、塹壕堀から始まる。
むしった毛を捨てる穴である。
小一時間は、無心にむしることになる。
雉は、80℃の湯を羽根にかけたら、羽は簡単に抜ける。
水鳥の鴨は、湯をかけても弾くだけでむしるしかない。
(ここで、中断。作業に入る)
穴を掘り、鴨を持って入る。
寒いけど無風だから、ダウン毛が舞うこともない。
雉と合わせて2時間はむしった。
包丁を研ぎ、身を骨から外す。
案外、肉がついており臭みもなく美味しそうである。
がらはスープで、身は鍋でいただこうと考えている。
先輩、お好み焼きの師匠、友人と3日後にゴルフである。
そのあとは、雉鍋と蕎麦でいっぱいやりましょう。
2019年12月16日
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絵のタイトルは、「あなたに会いたい」です。
今日のタイトルは、「塹壕を掘れ」です。
この地に引っ越してきたとき、借りた家には畑がついていた。
約半反(5畝)の広さであった。
一面、篠竹とセイタカアワダチソウで覆われていた。
鍬を打ち込もうにも、竹の地下茎が邪魔をした。
地域の方に、どうしたものかと相談した。
答えは、山際に「塹壕を掘れ」。篠竹の補給路(地下茎)を断てと言うものでした。
1.5mの塹壕を10m山際に掘りました。
塹壕に入り、季節風を避けながら、いただいた鴨の毛をむしりました。
のちに、剪定した枝を埋め込み土を掛けました。
台風がもたらす大量の雨の一次貯水ができました。
お陰で、畑の表土を流されることはありませんでした。
その後も、篠竹の地下茎を発見するごとに断ってきました。
畑を日陰にする山側の桑の木(20m、径40cm)を樵に依頼し伐りました。
まっすぐな4mの材木は、床柱(20年後)にすると、知り合いの大工が持って帰りました。
カフェの後ろの畑は、広さが2反。
こちらも篠竹に覆われていました。
山際まで伐って畑に放置しました。
10mも延びた3本の梅の木の枝もやっと昨年、剪定(枝打ち)しました。
これも畑に放置しました。
4年目にして、やっと伐ったこれらの枝の片づけができました。
山際に、高さ1.5mの枯れ枝の山が続くこと15mになりました。
山際に塹壕を未だ掘ることができません。
暫時、地下茎をいじめる予定です。
竹が諦めたころ、畑を耕運機で耕す予定です。
耕作放棄した畑の再生は、5年がかりです。
広い農地が再生されるのももうすぐです。
この畑に野菜を植える予定はありません。
一部は、カフェの駐車場として使います。
残りは、地域の方にこごみとわらびの株をいただき、植える予定です。
地域の方に、山菜を自由に採っていただけるようになるとよいでしょう。
畑の裏山には、孟宗竹が生えています。
借景にするには邪魔なので、伐る予定です。30本はあるでしょう。
一部は、ゴルフネットの支柱にします。
残りの竹を、生け垣にできればよいのですが、そこまで頑張れるでしょうか。
「塹壕を掘れ」と教えていただいて、3年半が経ちました。
塹壕が次から次に夢を運んできてくれました。
感謝です。
土に汗 背中の張りが さらに押す
2019年12月15日
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絵のタイトルは、「永観堂」です。
ウフフとオホホ。
これしか思いつかない。
今日のタイトルは、「狂気と正気」です。
狂気とは、
気が狂っていること。また、異常をきたした精神状態。
(goo国語辞典より)
正気とは、
正常な心。確かな意識。
(goo国語辞典より)
(2019年9月13日、中断)
何を書こうとして、このタイトルを選択したのか想像しています。
自らは正気、他人の目には狂気と映るものです。
私の住む地域は、11軒中8軒が空き家です。
普通じゃないと思いました。かつては栄えたセンターです。
どの家も剪定がされないまま草は伸び放題で、道がトンネル状態でうっそうとしていました。
地域おこし協力隊として赴任して、各種イベントの手伝いに没頭していました。
朝妻に出かけるよと言い、草むらに入る。
夕方草むらを出て、ただいまと帰る。
ある日から、イベントの合間に草刈を始めました。
持ち主の許可をいただき、草刈の範囲は瞬く間に広がりました。
まず、妻にばれました。
狂気の目で見られました。とうとう、気が振れた。
私は楽しくてたまらなかった。
自分が刈った分だけ、地域が元の姿を取り戻す。
宝物を発掘する気分でした。
大真面目でした。
そんな折、使われなくなったカフェを発見しました。
ジャングルにパゴダ(寺院)の感じです。
市役所が主催する「地域活性協議会」に何か話してくれと呼ばれたのもこの頃です。
この地域のよいところを話してくれと言われました。
何にも期待されない自由にすでに気づき始めていました。
「なんにもないところ」と答えました。
美味しい米が採れて、果樹園も開けているではないか。と質問者は促しました。
果樹園も米農家も後継者不足にあえいでいました。
自分の代で終わりにしようと、果樹農家の多くが覚悟していました。
農業法人に米作を依頼し、田んぼの持ち主は小作料として飯米を受け取っていました。
これが、わが村の自慢とはとうてい言えないように私は感じました。
半年後、カフェを借りて開店することにしました。
ある人は、きっと儲からないからやめとけと忠告してくれました。
ある人は、どうして声をかけてくれないのかと怒ってくれました。
では、手伝わせてやるか。と協力をお願いしました。
多くの善意(畳、机、電化製品、器など)が集まりました。
狂気の延長にある正気でした。
文字通り赤字でした。
忠告は正しかった。
協力してくれた妻に、「10年やって元がとれる」のが普通と言われました。
カフェの屋号を「さんぽみち」と名付けました。
地域の方が、散歩道として選択してくれています。
老人が、長い時間話されていきます。
子供が、隠れ家みたいと飛び跳ねてくれます。
カフェだけきれいなのは不自然と、周りの草刈を続けています。
背後の山も日が当たるよう伸び放題の篠だけと木を伐っています。
借景の一つと考えています。
よその家の木を伐って、草を刈ってなんぼもらうんだい、とばあちゃんが笑います。
私は、何もしない正気の人こそ狂気に見えることがあります。
それであなたはよいのですか。
問いかける前に、狂気の自分に気づきます。
そして、口をつぐみます。
皆同じ 正気と狂気 紙一重
2019年12月14日
(投稿後)
今日は、討ち入りの日。
内蔵助は、悟られまいと狂喜乱舞した。
粛々と計画を進めていたのです。
(筆者)
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絵のタイトルは、「愛の椅子」です。
固そうな椅子だが、休むとするか。
草を抜いてはならんと、息子に言われて抜かずにいた。
ばあちゃんの畑は、その一角を除いて一本の草も生えていない。
今日のテーマは、「ばあちゃんと約束」です。
ばあちゃんの息子は、落花生を植えました。
草の勢いに負けて、落花生は収穫できませんでした。
ばあちゃんは、落花生の根っこを抜き、枯れた草もおこしました。
これから、鍬で耕すと言われた。
私が耕運機で耕しますよ。
そんなら、あんたの庭の落ち葉を掃いてやる。
それも、私がやりますからお家の周りをしてください。
ところが、今朝になって腰が痛い。
昨日、山の木を伐り片づけた。やりすぎた。
今週、先輩とのゴルフハンディを距離で埋めようと引っ張たたいた。
重なって、腰にきた。
ばあちゃんとの約束が果たせない。
妻には、日頃の運動不足が祟ったのだと悟される。
90歳 柱押し付け コリを取る
2019年12月13日
(投稿後)
ばあちゃんが訪ねてきた。
刈られない畑に生えている紫蘇が欲しいと言われた。
一緒に畑に行き、枯れた紫蘇の株を10本ほど抜いた。
ばあちゃんは喜んでくれた。
あれまと腰はよくなり、ばあちゃんの畑を起こし、借りる予定の畑(半反)の耕運をした。
草が絡まってできまいとばあちゃんが心配した。
まずは、草を起こし土をかぶせようと二度行き来した。
何とかなりそうだ。
ばあちゃんが、一輪車に腰かけて見ていた。
そして手をたたいて笑っていた。
(2019年12月14日、筆者)