故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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絵のタイトルは、「やっちまったぜ」です。
若い時は、これで行けました。
今日のタイトルは、「若い力」です。
小学校2年生の子たちが、カフェを訪問してくれました。
似顔絵を描くと、どんな良いことがあるか質問しました。
半分の7人の子どもたちが、答えてくれました。
描いてもらった人が、笑顔になる。
似顔絵を見た人が笑顔になる。
多くの答えが出ました。
答えを聞いていて思いました。
どの子の答えも正しいと感じました。
正解がない質問に答える。
こんな授業に出会ったことがない。
子供たちはそんな顔をしていました。
何を言ってもよい。
そう感じさせたのは、「若い力」だからです。
正解のない人生。
特に若い子たちには、正解がない。
今は正解がないことが嬉しい。
そのうち、自分なりの正解を探すことでしょう。
長い長い時間をかけて探すでしょう。
大人は、苦労した分だけより正解に近い人生を生きようとする。
我が子にも、自分が考える正解を押し付けようとする。
私もそんな風に生きてきた。
幼子の 聞くが答えの いじらしさ
2019年12月12日
(投稿後)
私の答えは、「似顔絵を描く時、その人の一番良い表情を探す」でした。
子供たちの反応は、「ふーん」と不思議そうに聞いていました。
どう、感じてくれたのでしょう。
(筆者)
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タイトルは、「雪道」です。
それでも行かなくては。
多くのプロフェッショナル達が歩いた道です。
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絵のタイトル「このままここで」とはいかないのです。
今日のタイトルは、「あれもやった、これもやった」
あの時の体位のことではありません。
見栄張っちゃってと言われます。
過去書いたブログを読み、似顔絵を見る。
それぞれ、その時に思って感じた渾身の結果である。
だが、空虚。
どれもこれも過去のことです。
三島由紀夫も川端康成も自殺の道を選んだ。
過去の栄光から脱却できなかった。
毎日生きるのだって、ご飯も食べた、洗濯掃除をした。
さて、何をしよう。
何にも思いつかない。
面白そうなこととは思えないし、大変そうだ。
だから、考えている。そして頬杖をつくばかり。
本当にやりましたか。
心の声が疑問を投げる。
素直に、違いますね。
横着がしたい。
すればよい。
体力と気力が戻ってくるまで、休みなはれ。
よく寝た朝は、力がみなぎっている。
隣りに寝る妻にちょっかいを出すのはご法度です。
ピシッとやられるばかりです。
静かに、静かに闇を見つめる。
何かできるんじゃないかと、沸々と盛り上がってくる。
そう、出来るんです。
過去から逃げる。
どこかで聞いたフレーズです。
昨日の美味は、すでに排泄された。
今日の「まずい」で、生きていかなければならない。
味噌汁いっぱいを楽しみなはれ。
そんなことを言われている気がする。
寒いからなんだ。
辛いことがどうした。
生きていていいんだよと言われているのに、何さ。
そんな叱咤激励の声が遠くに聞こえます。
「あれもやった、これもやった」でした。
本当ですか。もう一度聞かれた。
芽が伸びる 蟻通り過ぎ 空を見る
2019年12月10日
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オンリーワンのカレンダー作りに挑戦しました。
似顔絵と自作の絵を組み合わせました。
自作の絵は、季節にあわせその方の雰囲気にあったものを選びました。
今日のテーマは、「カレンダーを送る」です。
カフェの営業後の片づけが深夜におよび、なかなかブログが書けない。
嬉しい悲鳴です。
2年前のこと。
世界に一つだけのカレンダー作りに挑戦しました。
似顔絵と季節の絵の組み合わせにしました。
季節の絵は、共通です。
似顔絵は、渡す人ごとに代えていくというものです。
似顔絵のサンプルを作り、複数枚の注文を受けることを前提にしました。
少ない投資で、地域おこしのための資金作りの夢を描きました。
労力と知恵は惜しみなくやるのが私流です。
苦労したのは、季節をイメージする絵の少なさでした。
次は、好みに合わせた絵のグループ(編集)作りでした。
下げるカレンダーではなく、玄関や机の上に立てられる(その人の好み)イーゼルスタンド作りでした。
10個近くのカレンダーを作ってみました。
どの方も身近に置いてくださいました。
例によって続きません。
来年こそは、注文を頂けるくらい工夫を重ねてみたい。
アイデアは 湯水のごとく ただできぬ
2019年12月9日
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恩師夫妻の似顔絵です。
もう一枚は、故郷の山から見た風景です。
私には、兄が三人いる。上と下の兄は、亡くなった。
真ん中の兄でさえ、もう70歳を超えている。
今日のテーマは、「家を継ぐ」です。
再婚どうしの長兄夫婦には子供はいない。
長兄が亡くなったのは、この夏のこと。
長兄が亡くなる前は、家を継ぐ気満々だった次兄であった。
この兄が、家を継ぐことを躊躇した。
家を継ぐと言うことは、先祖代々の墓守にもなることです。
息子に相談をした。
家を継ぐことになるかもしれない。
お前は、私のあと家を継ぐことができるか。
家を継ぐことは、どういうことか息子に説明した。
息子は解ったと言ったが、どうだろう。
どこに住んでもよい。
自分が建てた家を出た時から、覚悟した浮き草人生である。
終の棲み処探しの途中である。
頼りにしていた次兄が降りたら、自分がやるしかない。
(ここで、中断。風呂に入り朝ごはんをたべました。)
こんな田舎嫌だ。と東京の大学に入りました。
良かったのか、悪かったのか。
どちらとも言える。
毎日、坂を上って下りての生活でした。
海の近くに住みたかった。途方もない段々畑の中腹に家はありました。
時が経ち、私には夢ができました。
稲や麦で描いた地上絵のことです。
ドローンとか上の方からしか分からない地上絵です。
段々畑に花で描いた地上絵を出現させたい。
毎日、広島へ通う皆さんに海上から見て欲しい。
花が咲いたら、その花を一輪ずつ摘んで持ち帰ってほしい。
私は、葉を育て増える球根で、生活したい。
やぎを飼い、耕作放棄地の草を食わせたい。牧草も畜舎も不要です。
増え続ける猪の駆除は、友人に任せます。
私は、お花畑の周りにおおかみの小便を撒きたい。
猪がお花畑に入らぬ工夫です。
お花畑の真ん中に無料(あるいは安い)の露天風呂を造りたい。
昔、ほいと(広島では乞食のことをいう)が温泉で食べ物を洗ったから、温泉が冷めたと聞きました。
掘ったら温泉が出るかもしれない。
出なくてもよい。バイオエネルギーで沢の水を沸かせばよい。
足立美術館で見た借景の真似事もしてみたい。
荒れ行く島の山を借景にしたお花畑も面白い。
浮草人生には夢がある。
どこに住もうと夢が持てる。
どこまでできるかは、その人次第です。
浮草は 去る者追わず 来る拒まず
2019年12月6日
(あとがき)
この度の旅行で亡くなった恩師の家を訪ねた。
土産のりんごは渡せなかった。留守であったから。
ご高齢の奥様は、子どものところへ行かれたものと思った。
その奥様から車エビが届いた。
住所は、恩師の家のものだった。
頑張っているんだなと安心した。
(筆者)
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あのウエストがたまらんな。絵のタイトルです。
見方によっては、そうかもしれない。
だけど、ほとんど病気のような気もします。
今日のテーマは、「人々の動き」です。
無責任な揶揄中傷でへこんでいる人たちに捧げたい。
かつてのアイドルのこだわりが奇行に見えるとかで、バッシングに会う。
仕事以外のことで注目を浴びる。人間性とか付き合いとかが暴露される。
きっと、繊細な表情を求められる職業なのでしょう。
スポーツ選手になると、少し話は変わってくる。
豪放磊落な選手の奇行は、むしろ「よし」とされる。
ヨーロッパで新技術を紹介する旅をした。
日本企業のエリート達の動向はさまざまでした。
移動の車の中で、会社の人事と待遇について情報交換されていました。
新技術の習得より出世街道のほうに興味があると見た。
緩い海外研修の道を歩んでおられた。帰ればマイスターとでも言われるのだろうか。
工場で提案し、提案した内容を本社で相談に乗りました。
一方、会社からの援助が少ない会社のエリートたちは、貪欲でした。
自費覚悟で歩き回る姿は、少し可哀そうでもありました。
このグループの将来は、平たんではないが意気込みを感じました。
新技術取り込みの動きは早かった。
プロジェクトを一緒にやりましたが、金銭的にも工期的にも厳しかった。
なにしろ、会社に余裕の金がないのですから。
会社には、様々な人がいる。
あの人についていきたい。あの人は、大いに変人である。
仕事はできるが、私生活に誇れるものは見当たらない。
そんな奇人でも、家族はその人のファンである。
「大いにやりなはれ」と後押しをする。
仕事ができれば私生活は問題にされない。
こんなことは、昔の話になった。
かつて勤めていた会社に心酔する人がいた。
突然会社に来なくなった。私は心配してその方のアパートを訪ねた。
見たものは、酒におぼれ髭の生えた女性と戯れていた。
訪ねることを許可してくれた上司に、胸のうちを明かした。
上司は、ほほ笑んだだけで批判はしなかった。
私は、多くの奇人たちと会うことができた。
どの方も仕事に誇りを持っておられた。
しかし、出世街道からは遠かった。
出世する方にも、大いに気苦労はあろうと思う。
心血をそそぐところが違うだけである。
人生は、会社を終えたときに新たな章が始まる。
私の知っている限り、奇人たちはしたたかで、生き生きとして見える。
遊んでね 言葉が違うと 弾かれて
2019年12月5日