故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

若い力

2019-12-12 11:03:07 | よもやま話

絵のタイトルは、「やっちまったぜ」です。
若い時は、これで行けました。


今日のタイトルは、「若い力」です。
小学校2年生の子たちが、カフェを訪問してくれました。
似顔絵を描くと、どんな良いことがあるか質問しました。
半分の7人の子どもたちが、答えてくれました。
描いてもらった人が、笑顔になる。
似顔絵を見た人が笑顔になる。
多くの答えが出ました。

答えを聞いていて思いました。
どの子の答えも正しいと感じました。
正解がない質問に答える。
こんな授業に出会ったことがない。
子供たちはそんな顔をしていました。
何を言ってもよい。

そう感じさせたのは、「若い力」だからです。
正解のない人生。
特に若い子たちには、正解がない。
今は正解がないことが嬉しい。
そのうち、自分なりの正解を探すことでしょう。
長い長い時間をかけて探すでしょう。

大人は、苦労した分だけより正解に近い人生を生きようとする。
我が子にも、自分が考える正解を押し付けようとする。
私もそんな風に生きてきた。

幼子の 聞くが答えの いじらしさ

2019年12月12日

(投稿後)
私の答えは、「似顔絵を描く時、その人の一番良い表情を探す」でした。
子供たちの反応は、「ふーん」と不思議そうに聞いていました。
どう、感じてくれたのでしょう。
(筆者)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれもやった、これもやった

2019-12-10 04:39:50 | よもやま話

タイトルは、「雪道」です。
それでも行かなくては。
多くのプロフェッショナル達が歩いた道です。

絵のタイトル「このままここで」とはいかないのです。


今日のタイトルは、「あれもやった、これもやった」
あの時の体位のことではありません。
見栄張っちゃってと言われます。

過去書いたブログを読み、似顔絵を見る。
それぞれ、その時に思って感じた渾身の結果である。
だが、空虚。
どれもこれも過去のことです。
三島由紀夫も川端康成も自殺の道を選んだ。
過去の栄光から脱却できなかった。

毎日生きるのだって、ご飯も食べた、洗濯掃除をした。
さて、何をしよう。
何にも思いつかない。
面白そうなこととは思えないし、大変そうだ。
だから、考えている。そして頬杖をつくばかり。

本当にやりましたか。
心の声が疑問を投げる。
素直に、違いますね。

横着がしたい。
すればよい。
体力と気力が戻ってくるまで、休みなはれ。
よく寝た朝は、力がみなぎっている。
隣りに寝る妻にちょっかいを出すのはご法度です。
ピシッとやられるばかりです。

静かに、静かに闇を見つめる。
何かできるんじゃないかと、沸々と盛り上がってくる。
そう、出来るんです。

過去から逃げる。
どこかで聞いたフレーズです。
昨日の美味は、すでに排泄された。
今日の「まずい」で、生きていかなければならない。
味噌汁いっぱいを楽しみなはれ。
そんなことを言われている気がする。

寒いからなんだ。
辛いことがどうした。
生きていていいんだよと言われているのに、何さ。
そんな叱咤激励の声が遠くに聞こえます。

「あれもやった、これもやった」でした。
本当ですか。もう一度聞かれた。

芽が伸びる 蟻通り過ぎ 空を見る

2019年12月10日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダーを送る

2019-12-09 11:46:36 | よもやま話

オンリーワンのカレンダー作りに挑戦しました。
似顔絵と自作の絵を組み合わせました。
自作の絵は、季節にあわせその方の雰囲気にあったものを選びました。


今日のテーマは、「カレンダーを送る」です。
カフェの営業後の片づけが深夜におよび、なかなかブログが書けない。
嬉しい悲鳴です。

2年前のこと。
世界に一つだけのカレンダー作りに挑戦しました。
似顔絵と季節の絵の組み合わせにしました。
季節の絵は、共通です。
似顔絵は、渡す人ごとに代えていくというものです。
似顔絵のサンプルを作り、複数枚の注文を受けることを前提にしました。
少ない投資で、地域おこしのための資金作りの夢を描きました。
労力と知恵は惜しみなくやるのが私流です。

苦労したのは、季節をイメージする絵の少なさでした。
次は、好みに合わせた絵のグループ(編集)作りでした。
下げるカレンダーではなく、玄関や机の上に立てられる(その人の好み)イーゼルスタンド作りでした。

10個近くのカレンダーを作ってみました。
どの方も身近に置いてくださいました。
例によって続きません。
来年こそは、注文を頂けるくらい工夫を重ねてみたい。

アイデアは 湯水のごとく ただできぬ

2019年12月9日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家を継ぐ

2019-12-06 10:25:38 | よもやま話

恩師夫妻の似顔絵です。
もう一枚は、故郷の山から見た風景です。


私には、兄が三人いる。上と下の兄は、亡くなった。
真ん中の兄でさえ、もう70歳を超えている。

今日のテーマは、「家を継ぐ」です。
再婚どうしの長兄夫婦には子供はいない。
長兄が亡くなったのは、この夏のこと。
長兄が亡くなる前は、家を継ぐ気満々だった次兄であった。
この兄が、家を継ぐことを躊躇した。
家を継ぐと言うことは、先祖代々の墓守にもなることです。

息子に相談をした。
家を継ぐことになるかもしれない。
お前は、私のあと家を継ぐことができるか。
家を継ぐことは、どういうことか息子に説明した。
息子は解ったと言ったが、どうだろう。

どこに住んでもよい。
自分が建てた家を出た時から、覚悟した浮き草人生である。
終の棲み処探しの途中である。
頼りにしていた次兄が降りたら、自分がやるしかない。
(ここで、中断。風呂に入り朝ごはんをたべました。)

こんな田舎嫌だ。と東京の大学に入りました。
良かったのか、悪かったのか。
どちらとも言える。
毎日、坂を上って下りての生活でした。
海の近くに住みたかった。途方もない段々畑の中腹に家はありました。
時が経ち、私には夢ができました。

稲や麦で描いた地上絵のことです。
ドローンとか上の方からしか分からない地上絵です。
段々畑に花で描いた地上絵を出現させたい。
毎日、広島へ通う皆さんに海上から見て欲しい。
花が咲いたら、その花を一輪ずつ摘んで持ち帰ってほしい。
私は、葉を育て増える球根で、生活したい。
やぎを飼い、耕作放棄地の草を食わせたい。牧草も畜舎も不要です。
増え続ける猪の駆除は、友人に任せます。
私は、お花畑の周りにおおかみの小便を撒きたい。
猪がお花畑に入らぬ工夫です。
お花畑の真ん中に無料(あるいは安い)の露天風呂を造りたい。
昔、ほいと(広島では乞食のことをいう)が温泉で食べ物を洗ったから、温泉が冷めたと聞きました。
掘ったら温泉が出るかもしれない。
出なくてもよい。バイオエネルギーで沢の水を沸かせばよい。
足立美術館で見た借景の真似事もしてみたい。
荒れ行く島の山を借景にしたお花畑も面白い。

浮草人生には夢がある。
どこに住もうと夢が持てる。
どこまでできるかは、その人次第です。

浮草は 去る者追わず 来る拒まず

2019年12月6日

(あとがき)
この度の旅行で亡くなった恩師の家を訪ねた。
土産のりんごは渡せなかった。留守であったから。
ご高齢の奥様は、子どものところへ行かれたものと思った。
その奥様から車エビが届いた。
住所は、恩師の家のものだった。
頑張っているんだなと安心した。
(筆者)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人々の動き

2019-12-05 06:50:36 | プロジェクトエンジニアー

あのウエストがたまらんな。絵のタイトルです。
見方によっては、そうかもしれない。
だけど、ほとんど病気のような気もします。


今日のテーマは、「人々の動き」です。
無責任な揶揄中傷でへこんでいる人たちに捧げたい。

かつてのアイドルのこだわりが奇行に見えるとかで、バッシングに会う。
仕事以外のことで注目を浴びる。人間性とか付き合いとかが暴露される。
きっと、繊細な表情を求められる職業なのでしょう。
スポーツ選手になると、少し話は変わってくる。
豪放磊落な選手の奇行は、むしろ「よし」とされる。

ヨーロッパで新技術を紹介する旅をした。
日本企業のエリート達の動向はさまざまでした。
移動の車の中で、会社の人事と待遇について情報交換されていました。
新技術の習得より出世街道のほうに興味があると見た。
緩い海外研修の道を歩んでおられた。帰ればマイスターとでも言われるのだろうか。
工場で提案し、提案した内容を本社で相談に乗りました。

一方、会社からの援助が少ない会社のエリートたちは、貪欲でした。
自費覚悟で歩き回る姿は、少し可哀そうでもありました。
このグループの将来は、平たんではないが意気込みを感じました。
新技術取り込みの動きは早かった。
プロジェクトを一緒にやりましたが、金銭的にも工期的にも厳しかった。
なにしろ、会社に余裕の金がないのですから。

会社には、様々な人がいる。
あの人についていきたい。あの人は、大いに変人である。
仕事はできるが、私生活に誇れるものは見当たらない。
そんな奇人でも、家族はその人のファンである。
「大いにやりなはれ」と後押しをする。

仕事ができれば私生活は問題にされない。
こんなことは、昔の話になった。
かつて勤めていた会社に心酔する人がいた。
突然会社に来なくなった。私は心配してその方のアパートを訪ねた。
見たものは、酒におぼれ髭の生えた女性と戯れていた。
訪ねることを許可してくれた上司に、胸のうちを明かした。
上司は、ほほ笑んだだけで批判はしなかった。

私は、多くの奇人たちと会うことができた。
どの方も仕事に誇りを持っておられた。
しかし、出世街道からは遠かった。
出世する方にも、大いに気苦労はあろうと思う。
心血をそそぐところが違うだけである。
人生は、会社を終えたときに新たな章が始まる。
私の知っている限り、奇人たちはしたたかで、生き生きとして見える。

遊んでね 言葉が違うと 弾かれて

2019年12月5日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする