一般にいわれる孤独感とは、社会的孤立(人との繋がりがない)のことをさし、社会不適応のリスクのある望ましくない状態とされる。それに対して青年期の孤独感とは、自己意識が高まり自我を確立していく過程で(一過性に)生じるものをさす。青年期の孤独感は、自他の分離性や自己の独自性、個性の自覚に伴う孤独感であり、思弁的・思索的なものといえる。
この思弁的・思索的な孤独感について、1980年代前半に実施された自己意識のアンケート調査と同じ内容を、再度1990年代後半に実施して統計的解析を行った。その結果、1980年代前半には明瞭に示された思弁的・思索的な孤独感が、1990年代後半には不明瞭になっていた。その理由として、①青年期において思弁的・思索的な傾向が低下していること、②インターネットや携帯電話などの普及により、常に人と繋がっている状態(自分1人の時間が少ない)が考えられた。
常に人と繋がっている状態とは、人に支えられている望ましい状態(ソーシャルサポート)である反面、例えば誰かに電話や電子メールを貰った場合はすぐに返事をしなくてはいけないなどのプレッシャーや負担感も指摘される。現在の子どもの人間関係では、「キャラ(クター)」というものが存在する。「キャラ」とは、その子どもの本来のパーソナリティや個性というよりは、劇の配役(演じられた役)のようなものとされる。この「キャラ」により予測可能で調和した人間関係が維持される反面、本来の自分自身を表現できなくなる。自分自身の真の個性に気づき、独創性を発揮するためには、人との繋がりだけでなく、自分1人の時間を確保することも必要になる。
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