福島・浜通りで震度6弱 津波の心配はなし(朝日新聞) - goo ニュース
4月11日、私は常磐自動車道を走っておりました。
すると、胸ポケットのケータイがマナーモードであるのにも拘らず
ビービービーと警告音が。
もはや、こちらでは日常的になってしまった地震の発生を知らせるエリアメール。
スピードを緩めて走っていると、なんだかハンドルが取られるような感覚が。
しかし、100m後ろを走っている覆面パトをはじめ(←おいおい!)どの車も停止しませんでした。
実際の震度は震度5弱か4くらいだったみたいだけど、車の高速運転中は感覚が鈍りますね。
3月19日大きな余震があった時に、高速道路は閉鎖され、
私はひたちなか市からつくば市までの70km、下道をトコトコと走りました。
そのときの経験から、一旦下道に降りてしまうと暫くは高速道路を走れないと思い、
一気につくば市まで走り抜けました。
予感は的中。
常磐自動車道路の全線が通行止めとなり、入り口は閉鎖されておりました。
私は目的地が近かったのでそのまま走り抜けましたが、
他にはSAに駆け込むトラックが目立ちました。
料金所で強制的に降ろされてしまうからなのだろうか?
家では青ざめたカミさんが大丈夫だった?と心配しており、
息子は「じしん、こわくないよ」と虚勢を張っていました。
震源地は福島県で震度は6弱、
11日の地震の時ですら東京の震度が5弱だったのに比べると、
それよりも強い地震を被災地の福島、茨城を襲ったことになります。
正直泣きたくなる様な気持ちです。
震災から1ヶ月経ちましたが、未だに1万4千人以上の人が行方不明で、
未だに計上されていない不明者があるそうです。
つまり災害は現在進行形であり、
原発事故や電力不足を考える前に
救わなければならない人々がいるということを忘れてはならないし、
もっと気に掛けるべきだと思います。(特にメディアは)
かの阪神淡路大震災が起こったのは1月、
しかし3月に起こった地下鉄オウムサリン事件で世間の注目(特にワイドショー)は
一気に被災者救済から、テロリスト集団の追及へと変わり、
募金活動もあっという間に冷めていったという、悪しき前例があります。
震災の記憶を風化させるには、あまりにも早すぎます。