体に語りかける⑤
私たちは目標を立ててそれを達成することが良いこと、という社会の中で生きてきました。
しかし、その先 "どうしたいか" がないのです。
いい大学に入ったあと、就職したあと、素敵な旦那さんと結婚したあと、
自分自身を見失い、どうすれば満たされる生き方ができるのかが、わからなくなってしまいます。
両手首が痛いといって来院したと看護婦さんもそんな1人でした。
この看護師さんは2ヶ月ほど前に左手首が痛くなり、1週間前に右手首も痛くなったといいます。
診察すると、親指側の手首を通る腱に炎症が起こる、ドクエルバン病という腱鞘炎でした。
手首は創造性、柔軟性をあらわす部位です。
そこが炎症を起こすということは、創造的に生きていない、
やりがいを感じていない、自分らしさを発揮できていないという証拠です。
私が、体と心の関係、そして手に炎症が出ることの意味などをこの女性に話すと、
思い当たることがあって、看護師をやめようと思ってると話し出しました。
聞くと、若いころは自分なりに努力して、看護師になるという目標を達成し、
満足感でいっぱいだったそうですが、
いざ仕事をしてみると、毎日採血ばかり。
単純作業の連続で、これは本当に自分のやりたいことだったのかと、疑問に思ってしまったというのです。
だったら、何をやりたいかというと、それもわからない。
次の目標も立てずに看護師をやめていいのかと思うと、なかなか勇気が出ずにいる状態なのだといいます。
私は、その女性に、
「なぜ看護師になろうと思ったんですか?」
と聞いてみました。
すると、看護師になればお給料もしっかりもらえるし、
世間体もちゃんとしているから、という答えが返ってきました。
この女性に限ったことではありませんが、
私たちは社会的な評価を得るために何かをしなければならないと思っています。
社会的評価がよければ自分の価値も高まり、
社会的効果がよくなれば自分の評価は下がる、
と思い込んでいるのです。
ですから、この女性は安定した職業を捨てることで、まわりからどう思われるかが不安になり、決心がつかないでいたのです。
私がそう伝えると、うつむきながら、何かを感じているようでした。
私は続けました。
「同じように採血するだけの仕事をしていても、患者さんとのコミュニケーションを大切にしていたり、
そこに喜びを感じている人もたくさんいますよね。
あなたはそう感じなかった。
要は看護師になって何をしたいかというよりも、
看護師になるという目標を立ててそれを達成してしまったら、
目標がなくなってしまった。
仕事がつまらないことを採血のせいにしているけど、
本当は、自分はどう生きたいか、というところを考えなくてはいけないのではないですか?
次の目標立ててもそれを達成してしまったら、
また同じことの繰り返しですよ。
目標がないことを不安に思うのではなく、
自分は何をしたいかという願望をちゃんと見ていきましょう」
そういうと看護師さんは晴れやかな顔をして、
「そうですよね。
次の目標を探すのではなく、やりたいことを見つけてみます。
看護師をやめることに迷いがあったけれど、
それは正しいことなんだって肯定できました。
これからは、やりたいことを仕事にできるようにしてみます」
と、足取り軽く帰られていきました。
この看護師さんの中には、創造性を発揮する仕事ができないつらさ、
そして、繰り返す作業に怒りを感じつつも、
"目標達成することは素晴らしい"
という価値基準しかなかったため、
自分が満たされる生き方がわからなかったのです。
この方もきっと、本当に自分がやりたいことを見つけていくことで、
手首の痛みは改善されていくでしょう。
私の話に、医療従事者たちだからこそ腑に落ちることがあったようで、
その後、友人にも私のクリニックをすすめてくれるようになりました。
病気は悪者ではなく、自分が必要とすることを教えてくれるメッセージ。
そう理解した看護師さんの、いきいきとした表情が非常に印象的でした。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
私たちは目標を立ててそれを達成することが良いこと、という社会の中で生きてきました。
しかし、その先 "どうしたいか" がないのです。
いい大学に入ったあと、就職したあと、素敵な旦那さんと結婚したあと、
自分自身を見失い、どうすれば満たされる生き方ができるのかが、わからなくなってしまいます。
両手首が痛いといって来院したと看護婦さんもそんな1人でした。
この看護師さんは2ヶ月ほど前に左手首が痛くなり、1週間前に右手首も痛くなったといいます。
診察すると、親指側の手首を通る腱に炎症が起こる、ドクエルバン病という腱鞘炎でした。
手首は創造性、柔軟性をあらわす部位です。
そこが炎症を起こすということは、創造的に生きていない、
やりがいを感じていない、自分らしさを発揮できていないという証拠です。
私が、体と心の関係、そして手に炎症が出ることの意味などをこの女性に話すと、
思い当たることがあって、看護師をやめようと思ってると話し出しました。
聞くと、若いころは自分なりに努力して、看護師になるという目標を達成し、
満足感でいっぱいだったそうですが、
いざ仕事をしてみると、毎日採血ばかり。
単純作業の連続で、これは本当に自分のやりたいことだったのかと、疑問に思ってしまったというのです。
だったら、何をやりたいかというと、それもわからない。
次の目標も立てずに看護師をやめていいのかと思うと、なかなか勇気が出ずにいる状態なのだといいます。
私は、その女性に、
「なぜ看護師になろうと思ったんですか?」
と聞いてみました。
すると、看護師になればお給料もしっかりもらえるし、
世間体もちゃんとしているから、という答えが返ってきました。
この女性に限ったことではありませんが、
私たちは社会的な評価を得るために何かをしなければならないと思っています。
社会的評価がよければ自分の価値も高まり、
社会的効果がよくなれば自分の評価は下がる、
と思い込んでいるのです。
ですから、この女性は安定した職業を捨てることで、まわりからどう思われるかが不安になり、決心がつかないでいたのです。
私がそう伝えると、うつむきながら、何かを感じているようでした。
私は続けました。
「同じように採血するだけの仕事をしていても、患者さんとのコミュニケーションを大切にしていたり、
そこに喜びを感じている人もたくさんいますよね。
あなたはそう感じなかった。
要は看護師になって何をしたいかというよりも、
看護師になるという目標を立ててそれを達成してしまったら、
目標がなくなってしまった。
仕事がつまらないことを採血のせいにしているけど、
本当は、自分はどう生きたいか、というところを考えなくてはいけないのではないですか?
次の目標立ててもそれを達成してしまったら、
また同じことの繰り返しですよ。
目標がないことを不安に思うのではなく、
自分は何をしたいかという願望をちゃんと見ていきましょう」
そういうと看護師さんは晴れやかな顔をして、
「そうですよね。
次の目標を探すのではなく、やりたいことを見つけてみます。
看護師をやめることに迷いがあったけれど、
それは正しいことなんだって肯定できました。
これからは、やりたいことを仕事にできるようにしてみます」
と、足取り軽く帰られていきました。
この看護師さんの中には、創造性を発揮する仕事ができないつらさ、
そして、繰り返す作業に怒りを感じつつも、
"目標達成することは素晴らしい"
という価値基準しかなかったため、
自分が満たされる生き方がわからなかったのです。
この方もきっと、本当に自分がやりたいことを見つけていくことで、
手首の痛みは改善されていくでしょう。
私の話に、医療従事者たちだからこそ腑に落ちることがあったようで、
その後、友人にも私のクリニックをすすめてくれるようになりました。
病気は悪者ではなく、自分が必要とすることを教えてくれるメッセージ。
そう理解した看護師さんの、いきいきとした表情が非常に印象的でした。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
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