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道元⑥

2020-01-15 17:58:00 | お話
道元⑥

🔸境野、道元禅師は如浄禅師と出会って以来、まさにギリギリのところで自らを追い込んで只管打坐の修行をされました。

普通の修行者はなかなかそこまで到達できないわけですが、

興味深いのは、実際にお書きになったり、お話になったりしたものを読むと、

仏教にあまり興味のない人でも心にすーっと入ってくる言葉が数多くあるんです。

🔹大谷、おっしゃる通りですね。

禅というものも詰まるところ人間としての生き方ですからね。

その意味でも道元禅師は至極真っ当な生き方をされた方ですよ。

嘘、ごまかしというものはない。

言葉が生きているのです。

私が好きな道元禅師のお言葉に、

大仏寺を永平寺に改称した時の上堂での説法の一節があります。

これも、『永平広録』に書かれていますが、

「天上天下当処永平(てんじょうてんげとうしよえいへい)」

(天上天下ありとあらゆるところが正伝の仏法嗣続の場所として永久に平穏である)

と述べられています。

要するに道元禅師は永平寺を建立することで世の中の永久(とこしえ)なる平和を祈っていらっしゃるわけです。

只管打坐の世界をそこで宣言されていると私は思っているんです。

🔸境野、天上天下唯我独尊にならって天上天下当処永平と言ったところに、道元禅師の気迫を感じますね。

今日のテーマは道元禅師の残した言葉です。

禅師の言葉はいいものが多すぎて選ぶのに苦労するのですが、

例えば、「心とは山河大地なり」という言葉もその一つです。

この場合の心とは命、山河大地とは大自然ということです。

若い頃、私は命とは頭の働きだと捉えていました。

「考えるからこそ命なんだ」と長いことを思っていたんです。

しかし、こうして呼吸をしているのも二本足で歩くのも、

物を食べて消化するのも山河大地、大自然の力なんですね。

頭で考えて動かしているわけではない。

坐禅を始めた頃、自分の呼吸を感じなさいとよく言われました。

呼吸というのは生まれてから今日まで一瞬も休むことがない。

今後も命が絶えるまで休むことがない。

そこに命の働きがあるわけです。

そして、そういうことを知ることによって私たちが抱える悩みや欲望は少しずつ減っていくのではないかと思います。

お弟子さん達によく話すんですけど、現代は競争社会でしょう。

しかもこの不況で、うかうかしていると勤めている会社が倒産しないとも限らない。

不安や恐怖、後悔など頭で考えていると疲れてしまうことばかりです。

そういう時に、この命そのものの働きに心を向けることは、とても意味があると思います思うんです。

🔹大谷、いまのお話につけ加えますと、私も道元禅師から何を学んだらよいのかと、よく質問を受けることがあります。

20世紀後半から21世紀は「心の時代」と言われるようになりましたが、

私は現代人が忘れてしまったのは、

この心だと思っていて、それを道元禅師道から学ぶべきだと思うんです。

人間は苦境に立たされると必ず悩みますよね。

苦悩し続けます。

道元禅師も求道を続ける中で何度も挫折しそうに挫折しそうになられたことがありました。

ただ、道元禅師が我々と違うところは、

くじけそうになりながらも決して姑息な解決策を求められないんです。

その姿勢は終生変わることがない。

例えば、道元禅師にとっての極楽浄土は西方の彼方にあるものではなく、

己の内にあるんです。

極楽浄土や阿弥陀仏に頼って、そちらに意識が向いてしまうと、

目の前にある現実がおろそかになってしまいます。

「他」すがれば、己がおろそかになる。

混迷の時代は極端な悲観論だとか、

根拠のない楽観論がどうしても生まれがちなのですが、

いかなる時代であっても確固たる自己の目で、ありのままを正しく見据える姿勢を、われわれは道元禅師に学ぶべきではないでしょうか。


(つづく)

(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)


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