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🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑤

2018-04-16 11:30:42 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑤
(樋口季一郎(ひぐち きいちろう))


🔸服部、今ポーランド孤児救済✊の話に関連して、ぜひ語り継ぎたいのが、日本人とユダヤ人難民を巡る歴史の真実🌟です。

「命のビザ」を発給し、迫害💢された多くのユダヤ人難民を救った外交官、

杉原千畝(ちうね)のことは、教科書📖でもよく取り上げられていますので、皆さんご存知☀️だろうと思うんです。

ただ、取り上げられる方が非常に一面的でしたね。

多くの教科書📖には、同盟国のナチス・ドイツに配慮しユダヤ人を助けようとしない日本政府🏤に抗して、

杉原千畝の一存🌸で助けたかのように書かれていますが、事実🍀ではありません。

🔹岡田、最近公開された杉原千畝を題材にした映画🎥でも、そのようにつくられていますね。

🔸服部、ええ。

でもよく考えてみると、もし本当に日本政府🇯🇵がドイツ🇩🇪に配慮してユダヤ人を助けない方針だったなら、

日本に亡命してきたユダヤ人を入国拒否🚫、強制⚡️送還💨しているはずです。

しかし、実際には亡命してきたユダヤ人を、ほぼすべて受け入れて🌸いるんですね。

そもそも、当時の日本🇯🇵がことある毎に言っていたのは

「八紘一宇(はっこう いちう)」という言葉🍀です。

この言葉🍀は現在では軍国💣主義的な意味合いに誤解😵されていますが、

本来は✨人類みな兄弟、人種平等🌸という意味🍀で使われていました。😊

つまり、日本人🇯🇵は人種差別⚡️をしない✊正義の国✨なんだと。

その八紘一宇の言葉、精神から、日本政府🏤がユダヤ人を受け入れなかったということは、あり得なかったと分かるはずです。😊

🔹岡田、おっしゃる通りです。😊

🔸服部、それで杉原千畝の「命のビザ」より少し前、

一説に2万人ともいわれるユダヤ人難民😵を救った日本人🇯🇵がいたんですね。

それは、陸軍中将・樋口季一郎です。

この樋口中将の前例があったから、杉原千畝はユダヤ人を救う決断⚡️ができたのではないかと私は思います。😊


🔹岡田、この方も立派🌸な方です。

🔸服部、樋口中将が、どのようにユダヤ人難民😵を救ったかというと、

それは昭和13年3月、樋口中将が満州国に駐留していた関東軍💣のハルビン特務機関長🌸を務めている時のことでした。

満州国と国境を接するソ連🇷🇺のオトポール駅で、

ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民😵たちが、

満州国に入国できず立ち往生😵しているという情報⚡️が飛び込んできたんです。

そこで樋口中将は

「ユダヤ人難民を助けましょう。🎵
私が引き受けます」

と、ユダヤ人難民を助けることを決断⚡️し、

即座に⚡️南満洲鉄道の松岡洋右総裁に電話で特別列車🚂の運行を要請🌸。

事態の深刻さ⚡️を理解した松岡も快諾🌟して、

13本の特別列車🚂で、すべてのユダヤ人をハルピンまで送り届けたんですね。😊🎵

🔹岡田、樋口中将だったからこそできた決断⚡️ですね。

🔸服部、このあとがまた、すごいんです。😊🎵

ユダヤ人救済に対し、ドイツ政府🇩🇪から抗議💢が来ると、関東軍司令部は樋口中将を呼び出す🎵わけです。

しかし、樋口中将は

「ドイツは同盟国であり、私も日独の友好🌸を望んでいます。

しかし、そのやり方が、ユダヤ人を死に追いやる⚡️ものであるなら、

それは人道上の敵💢です。

日本🇯🇵は、ドイツの属国ではありません!」

と堂々🌟と答えたのです。

それで日本政府🏤も

「当然なる人道上の配慮🌸によって行ったものだ」

と抗議💢を一蹴👞💨しました。


🔹岡田、毅然✨とした態度です。

🔸服部、樋口中将は、弱い者や虐げられた者を放っておけない、心の優しい🌸方だったことが、様々なエピソード🎵から伝わってくる方ですが、

ご本人は

「自分がユダヤ人を救った」

とか、周囲にあまり語らなかったそうです。

先日お話を聞く機会のあった樋口中将のお孫さんも、

「お祖父さんは、本当に自分がやったことを語らない人だった😊」

とおっしゃっています。🎵

そういうところも、偉いというか、男らしくてかっこいいな😊と思います。😊💕


🔸服部、それからもう一つ、樋口中将の偉業🌸として触れておきたいのが、

「占守島(しゅむしゅとう)の戦い💢」です。

🔹岡田、これも本当に長く語り継がなくてはならない偉業🌸ですね。

🔸服部、第二次世界大戦💣が終戦を迎えた8月15日。

日本🇯🇵は、あと武装解除🚫し、降伏🙌するだけという状況の中、

日ソ中立条約を破棄💢して宣戦布告していたソ連🇷🇺が、

突如⚡️として、カムチャッカ半島から千島列島に侵入💨、攻撃💢🔫してきたんですね。😵

スターリンは北海道まで占領しようとしていたといわれてます。😵

それでその当時、北方の最高責任者🌟である北部司令官だった樋口中将は、

千島列島の最北端に位置する占守島で、ソ連軍に断固✊反撃💢することを決断⚡️します。

抵抗すれば本国に帰れるはずの将兵たちを死なせて😇しまうかもしれないと、非常に悩まれ🌀たと思うんですが、

ここで戦わなければ、日本🇯🇵の名誉🌸が潰れる、

ソ連の行為は正義🍀に反する💢として戦い⚡️を決意🌟したのです。

🔹岡田、ああ、名誉🍀と正義🍀のため。

🔸服部、そして占守島の守備隊は、ものすごい激戦💢を繰り広げ、ソ連軍を撃退。💨

結局は、日本政府🏤🇯🇵の指令で抵抗を止めざるをえなくなるんですが、

ソ連軍が千島列島の最初の1歩でつまずいた😵ことで、北海道を占領するというスターリンの野望😈も潰えるんですね。

というのも、ソ連軍がようやく国後島あたりまで来た頃には、

すでにアメリカ軍🇺🇸が北海道に進駐していたからです。

ですから、樋口中将の決断⚡️がなければ、今頃北海道はソ連領🇷🇺になり、

日本も朝鮮半島🇰🇷のような分断⚡️国家になっていたかもしれません。😵

樋口中将は日本🇯🇵を分断国家の危機⚠️から救ったといえます。


🔹岡田、そう思うと大変な功績👑ですね。

私の故郷は北海道深川ですから、樋口中将🌸がいなくては私もどうなっていたかわかりません。😊🎵


(つづく)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)

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