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ラグビーワールドカップ

2019-12-09 17:53:00 | 色んないい物を勝手に応援!
🏉🏉ラグビーワールドカップ🏉🏉


4年に1度、ラグビー🏉世界一🌏を決める第9回ワールドカップ(W杯)日本大会は、南アフリカ🌸の優勝👑で幕を閉じました。

南アフリカ🌸は2007年以来3大会ぶり3度目の優勝👑でした。

W杯ロスを味わっているいま、改めてラグビー🏉と今大会について考えてみました。😊🎵


1823年、ラグビー(正式名称はラグビーフットボール)は、

名門パブリックスクール🏫のラグビー校🏫で生まれたといわれます。🌸

パブリックスクール🏫は、イギリス🇬🇧では私立校🌸に当たります。

地主階級🌸「ジェントリ」が、やがて貴族も合わせて
「ジェントルマン=紳士🌸」と呼ばれるようになり、

彼らを養成🍀する学校🏫として発展🌟しました。

その中でもさらに名門とされるのが、ラグビー校を含む「ザ・ナイン」と呼ばれる九校🏫で、

イギリスの指導層の大半は、その出身者🌸で占められています。

ラグビー校の卒業生🍀たちが進学先のケンブリッジ大学🏫でラグビー🏉を広めたことで、

当時の上流階級⛪️を中心💓に一般化💚したといいます。

パブリックスクール🏫においてラグビー🏉は重要⚠️なスポーツ🎵です。

ラグビー🏉をすることで、フィジカル💪(肉体)もメンタル⚡️(精神)も鍛えられるからです。

そして、何より、自分のためではなくチーム🌸のためにプレーすることの大切さ🍀に気づき🌟、

フェアプレイ🍀の精神を学べるからです。

その精神⚡️はイギリスの指導層における
「ノブレス・オブリージュ」
(恵まれた才能と環境🍀に生まれた真のエリートは率先⚡️して社会の責任🌸を果たす義務がある)

という伝統🌸とも繋がっていると言えるでしょう。😊🎵


ラグビー🏉では他の競技で見られるような、選手がレフリーに詰め寄って文句💢を言っている姿がめったに見られません。

レフェリーという存在✨が選手からリスペクト🌸(尊敬)されていて、

レフェリーの判断⚡️が非常に重い意味🍀を持つのです。

ラグビー🏉は、屈強な選手たちが体をぶつけ合う競技でありながら、

「紳士のスポーツ」と言われ、
規律(ディシプリン)が重んじられます。

レフェリーへの接し方も、その一つと言いますが、

そうした姿勢🌸はプレイヤーだけでなく観客者🍀の側にも共通🌟しています。


W杯👑日本🇯🇵大会は、9月24日から11月2日まで44日間、日本各地で熱戦💓😍が繰り広げられました。

日本代表は強豪✊ぞろいの一次リーグを4戦全勝🌸で終え、史上初の8強入りと、

決勝トーナメント進出🌟を果たし世界を驚かせ😵ました。

その戦いぶりは4年前よりずっと進化⚡️し、

すべての試合🍀は私たちに興奮😍と感動😭を与えてくれました。

私は、1964年の東京五輪🌈で、
「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール🏐日本チームが、

体格において遥かに勝るソ連チームを打ち負かし、
金メダル🥇に輝いた時のことを思い出しました。😊🎵

当時、私はアメリカ🇺🇸に滞在していましたが、
「東洋の魔女」の活躍は遠くアメリカまでも伝わって🎵きました。

当時のことを彷佛とさせるほど、
今回のW杯👑における日本人の熱狂ぶり🔥はものすごい😍ものがありました。

私は今大会をテレビで残らず観戦🌸しましたが、

日本にいながら世界の一流🌟選手のゲームを観戦できることの幸せ💕を感じました。

印象的🌸だったのは、大会2日目に南アフリカ代表との大一番を制したニュージーランド代表を皮切りに、

アイルランド🇮🇪、イタリア🇮🇹、サモア、ナミビア、ウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿といったチームが、

勝敗にこだわらず、試合後は1列に並んで日本式のお辞儀⤵️して観客に感謝🌸の気持ち💓を伝える姿でした。

試合後に感謝🌸の気持ち💓をお辞儀で表す。

これが今大会だけで終わらず、今後も世界のラグビー界🏉で続くようになれば、

W杯日本🇯🇵開催の思いがけないレガシ(遺産)になるはずです。


また、試合後、「ノーサイド」(敵味方なく)で選手🍀がだがいを抱き合い、

お互いの健闘をたたえ会う💕姿は実に清々しい✨ものでした。

そしてノーサイドは選手🍀だけのものではなく、

スタンドでは両チームのサポーターが笑顔😊で記念写真📷に収まっていました。

実は本場の英語圏で今は使われない「ノーサイド」(試合終了)というラグビー🏉用語が、

ラグビーの精神⚡️を表すものとして、今回改めて日本🇯🇵から発信🌟されたといってよいでしょう。😊🎵

それぞれのサポーター💕が交ざり合って、座るW杯式の観客席というのは、日本の試合ではあまり見られないものでした。

この「ノーサイドの精神」がさらに日本🇯🇵で広まってほしいものだと思います。😊🍀


日本🇯🇵代表チームの選手の国籍🌎は様々で、代表31人中15人が外国籍🌏でした。

これも他のスポーツではあまり見られない光景🌸です。

日本代表チームに外国籍選手が多いことに関しては当初、批判的💢な意見もあったようです。

しかし、その戦いぶり✊を見ている中で、そのような声🎵はいつの間にか鳴りをひそめました。

選手たちのW杯までの道のりがメディア📺で紹介されて、彼らが血のにじむ努力🌸の上に、日本代表🇯🇵として、

日本人の精神⚡️を自らのものとして戦ってくれたことに、

多くの日本人は驚き😵と感動💓を抱いたのです。

彼らは並々ならぬ思い💓で日本🇯🇵の代表🍀を務めています。

なぜなら、

「一度でもどこかの国での代表歴🌸があると、

別の国で代表選手となることはできない🚫」

というルール📖が存在🌸するからです。

一度日本代表になってしまうと、
自国の代表🍀になることはできないのです。

ラグビー日本🇯🇵代表は国外出身の選手やジェイミー・ジョセフヘッドコーチら外国人スタッフも含めて、

全員🌸が日本の国歌🎵「君が代」を覚え、歌っています。

それだけの覚悟🌟を持って日本代表に選ばれているからこそ、

私たちも国を挙げて応援🌸できたのだと思います。

日本代表チーム🎵のメンタルコーチ荒木香織さんは

「日本代表チームの選手🍀たちに何か共通点🌟はありますか」

との問いに、

「高校🏫や大学🏫で日本一🇯🇵を経験していない人が多いですね。😊

すごくラグビー🏉が好き💕でみんな優しかった。

黙々とチームのためにプレー🌸し、他人に共感💓できる選手が残っている気がしました。

わがままな選手🍀は一人もいなかったです」

と答えています。

日本ラグビー🏉の歴史を変えた男たちは、
ラグビーが好き💕で優しくて思いやりの心を持っていた。

ラグビーを愛する💕人は、それを知っただけでも嬉しく😊なります。

また、前回のW杯👑で一躍有名🌸となった五郎丸歩氏は

「ラグビーが注目👀されている今だからこそ日本🇯🇵代表にいる外国人選手🌸にもスポットを当ててほしい。😊

彼らは母国🌸の代表より日本🇯🇵を選び、
日本🇯🇵のために戦っている最高の仲間🍀であり、

国籍は違うが日本を背負っている😊」

とツイッターで発信しました。

元駐中国大使の宮本雄二氏は、2015年W杯での日本代表🌸の活躍を受け、

同年10月の日本経済新聞📰のコラム『明日への話題』での中で、

「欧州🌍の国家はDNAより、文化🌸を重視した区分けである」

と説明🍀しました。

「DNAの研究が進み日本人自身、縄文時代から多様なルーツ🎵を持っていたことがわかってきた。🌟

そうなると、そろそろ血統💕だけではなく文化🌸を重視した日本人論が出てもいい。

ラグビー日本🇯🇵代表の選考基準🍀は、我々にそのことを考えさせる重要⚠️なきっかけを作ってくれたのではないだろうか」

と書き、日本代表🌸が今後の日本社会🌆のあり方のモデルの1つとなりうるという考えを示したのは実に興味🌸深いことです。


今回のW杯👑を制した南アフリカにとってのラグビー🏉は、この国を象徴🌸する特別なスポーツです。

1995年第3回ワールドカップ👑はその南アフリカが初出場🌸でホスト国を務めた特別な大会でした。

アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止🚫され、
ネルソン・マンデラが黒人初の大統領👑に就任したのは1994年。

マンデラは黒人⚫️と白人⚪️の融和🌸を成し遂げたいと願い、

報復を恐れる白人の不安を緩和させるため、

白人中心💓のスポーツでアパルトヘイトの象徴🌸と言われ、不人気であったラグビー🏉の代表チームを、11年ぶりに編成しました。

そして、異なる人種🍀が協力する✊必要性を訴え、

白人への敵対心が拭えない人々に対して、

「(ナショナルチームの)スプリングボクスを応援🌸してほしい」

と説いて回り、スプリングボクスを

「マイ・ボーイズ🎵」と呼んで応援🌸してしたのです。

アパルトヘイト政策をとっていた南アは
制裁により1985年から91年まで国際🌍試合をしてもらえませんでした。

だからこそW杯には南アの国際社会復帰🌸をアピール🎵する狙いが込められていました。

その時、南アのラグビー史上初、
そしてただ1人の "黒人" 代表選手が、「黒い真珠」と呼ばれた

"快速" チェスター・ウィリアムスです。

残りの25人は全員白人⚪️でした。

迎えた開会式。

マンデルは前日のチーム激励⚡️の際にもらった緑(スプリングボックスのチームから)のキャップ🧢をかぶってグラウンドに登場🌸し、大歓声🎵を浴びました。

最大の理解者🌟に守られた選手🍀たちは、
国全体のために戦うことを誓い✊、

新しい国歌🎵を誇り高く歌いました。

国民和解🍀の象徴🌸として、黒人運動で盛んに歌われた

「神よ、アフリカに祝福🌸を」
(コサ語、ズールー語、ソト語)

と旧国歌
「南アフリカの叫び」
(アフリカーンス語、英語)

を1つに編曲🎵した新しい国家

「虹色🌈国歌」が5つの言語🍀で歌われました。

すべての国民を代表🌸する新国家を建設すると宣言🎵したマンデラの願いが新しい国歌🎵には込められていたのです。

マンデラが投獄されていた当時の囚人番号「46664」をジャージに縫い付けた南ア代表は、

「ワン・チーム、ワン・カントリー」

のスローガン🎵のもと快進撃💢を続け、決勝進出を遂げました。😊🌸

6月24日、マンデラの長年にわたる努力🌸と苦労が実を結びます。

黒人も白人も、あらゆる肌の色を持つ国民がスプリングボックスを応援🌸し、

ニュージーランド🇳🇿代表との激闘💢の末、

南アフリカは優勝👑🎊を遂げたのです。

会場は「ネルソン!ネルソン!」の大合唱🎵でした。

主将🌸のフランソワ・ピナールがカップを高々と掲げ、

マンデラは笑顔😊で手を何度も突き上げました。⤴️⤴️✊

マンデラがピナール主将🌸に優勝杯を渡した場面は、
ラグビー🏉史上最も印象的💓なシーンの1つといわれます。


まさにスタジアムの観客🌸だけでなく、南アは国民4300万人の願い✊と祈り🙏がもたらした勝利👑でした。


2007年のW杯、南アにとって2度目の優勝👑は、いまの多くの代表選手の心💓に刻まれました。

2019年のW杯主将🌸を務めたシヤ・コリシもその1人です。

「家にテレビがなかったので居酒屋で見た」

というコリシは

「優勝👑が国に何をもたらしたのか覚えている。

今回も同じことをしたい😊」

と語り、主将🌸という大役を務め切りました。

そして試合後、

「一丸となって困難に立ち向かいは国として何を成し遂げられるかを示せた勝利👑になった」

と話ました。😊🎵

黒人選手⚫️として初めて南ア代表の主将🌸になったコリシは、

ウェブ・エリス・カップ(W杯👑の優勝トロフィー)を母国の国民に捧げました。

感極まった😭様子で、

「私たちの国には本当に多くの問題⚠️がある。

今回も異なるバックグラウンド、人種🍀が集まったチームだったが、

1つの目標を持ってまとまり、優勝👑したいと思っていた」

と語りました。😊🎵

コリシによれば、南アを率いるラシー・エラスムスヘッドコーチもまた、

「チームのためだけでなく国民のために戦おう」

と励ましたといいます。😊🎵

母国からたくさんのメッセージ🎵をもらったコリシは、

「生まれてから、こんな南アフリカ🌸を見たことはなかった」

「本当にありがとうございました。

南アフリカが大好き💕。

一つになれば何だって成し遂げられる✊」

とつけ加えました。😂

1995年はチェスター1人だった南ア代表の非白人選手は、今大会では11人まで増え⤴️ました。

南アではラグビーはもはや白人のスポーツではなくなったのです。😊🍀


私はいま、日本🇯🇵においてW杯が行われたことの意味🍀は大きいと感じています。

興奮🌸と熱狂😍に沸き上がった日本人(私もその1人でしたが)の姿を眺めて、

スポーツには一瞬⚡️にして空気☁️を変え、

流れを変える大きな力✊があることを改めて感じたからです。😊

おそらく多くの国民の強い思いが、うねりとなって現状🌸を変える大きなエネルギー⚡️を生むのでしょう。

今大会の日本VSスコットランド戦は、台風19号🌀の影響で開催が危ぶまれました。

その一部始終を目の当たりにした英国🇬🇧ガーディアン紙の記者は、

日本人の「おもてなし」に感銘し記事📰にしています。

「ラグビー協会🏉は、当日の開催の有無を日本の組織委員🌸に委ねた。

堤防が壊れ、川は溢れ、会場の近くで100万人が避難し、

多数の方が行方不明、その時点では犠牲者の数さえ把握できない状況🌸だった。

にもかかわらず、彼らは開催🌟を決定した。

組織委員🌸は、スタジアムに泊まり込んで、

更衣室から水💧を吸い出し、

ピッチに流れ込んだ泥やゴミを一掃し💨、

政府🏛や交通機関🚄と協力し、開催に向け困難な課題🌸に取り組んだ。

まさに開催国としてのおもてなしの心💓で動いた。

W杯開催にあたって日本🇯🇵では、

『おもてなし』とは何かを問う議論が活発になされてきた。

日本で過ごした記者は、日本人の『おもてなし』とは、客人を喜ばせる💕ために全力✊を尽くすことで、

その姿は他国の予想☁️をはるかに上回るものだった」。

国際統括団体ワールドラクビー🏉のボーモント会長は、

すべてのレベルで際立った成功👑を収めた日本🇯🇵開催を高く評価💕し、

「将来W杯が日本で再び開催🌸されることに躊躇(ちゅうちょ)はない」

と話しています。

惜しくも3年前に他界した「ミスターラグビー」平尾誠二氏は10年後、20年後に日本がW杯で優勝🎊するという夢🌈を抱いていました。

それが「夢」ではなくなる日が来る。

いま私はそう強く思えるのです。😊🎵


(「致知」1月号 村上和雄さんより)


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