9🌟独自性、個性は積み重ねて初めてあらわれる🌟
型や戦法をデータとして蓄積することは、いってしまえば暗記だ。
基本的な知識を押さえておく、この形になったら、こうしてはいけないといったことを、極端な話、全部覚えておけばいい。
そうすれば、少なくとも最悪の局面にはしないように心がけることができる。
その局面にしてはいけないという形を何百通りか記憶しておけば、
その前段階から回避するために、作戦を立てていくことができる。
覚え形を回避しさえすればいいのなら、それは単純に暗記とか記憶の問題だ。
こうした情報がどれだけ増えても変わらない大切さは個性だと思っている。
さまざまな経験や知識、その集積からなる価値観に基づいて表出される独自性だ。
時には、今まで築いてきた経験則をゼロにして考えてみることによって生まれるものもある。
ものすごく遠回りしながら熟考し導いたもののほうが、長期的視点に立てば、後々まで役立つことが多いといえる。
深く考えて得られた自信、確信こそが、疑念や迷いが生じたときの支えになるのだ。
独自性、個性は、一朝一夕にはつくれない。
さらに、それを常に発揮するのはもっと難しいことだ。
一手ずつの指し手に個性を出すのは難しい。
ひとつの局面でどの選択肢を選んだところで、たいていそんなに違わない。
そのとき可能性のある三つの選択肢の中からどの一手を選ぼうが、たいてい大きな差が感じられるわけでもない。
ただし、それを一局としてまとめ上げたときに、個性は自ずと生じてくる。
それはたとえば何人かが思い思いに絵を描くときに、
たまたま同じ一カ所に同じ色を付けたとしてもその違いは分からないが、
その作業を続けて何十カ所と色を付けていったら、
仕上がりはみんな違う絵になるのと同じだ。
ミクロの一点だけを見れば違いが分からなくても、
ある程度まとまったかたちになったときには違いが出てくる。
何十手と重ね、やがてそれが何十局何百局となっていたときに、ひとつの個性、その人のカラーが自然と明らかになってくるのだ。
それと同時に忘れてはならないのは、将棋そのものの変化に対する認識だ。
非常に速いスピードで変わり続ける現代の将棋に乗り遅れずついていくことも、大切なのだ。
常に戦型を研究し、覚えるといった基本は押さえた上で、プラスアルファのものを付け加えるということをしたい。
基本的な知識を踏まえた上でこそのオリジナル、個性だろう。
将棋の世界では、データの重み、定跡や研究の結果といったものは、やはり軽視できない。
個性が積み重ねであらわれてくるのとちょうど同じように、一局だけなら基本や流行への対応を知らなくても通用することがあるかもしれない。
ただ、一局ですぐにダメだということはないとしても、
半年、1年と指すうちにだんだんとやりようがなくなってくる。
基本的なところをきっちり押さえておくことは、欠かせない経路だ。
それを踏まえた上でいかに自分の個性を出していくか…
それは、今日意図したから出せるというものではない。
基本を踏まえ、一手ごとの選択をし、時にはリスクを冒して決断するといった経験を重ね、道のりを歩いてのちに、自然とあらわれてくるものである。
そして、自分の意識や意図とは離れたところであらわれるその個性こそが、総合的な自分の「力」なのではないだろうか。
(「直感力」羽生善治さんより)
型や戦法をデータとして蓄積することは、いってしまえば暗記だ。
基本的な知識を押さえておく、この形になったら、こうしてはいけないといったことを、極端な話、全部覚えておけばいい。
そうすれば、少なくとも最悪の局面にはしないように心がけることができる。
その局面にしてはいけないという形を何百通りか記憶しておけば、
その前段階から回避するために、作戦を立てていくことができる。
覚え形を回避しさえすればいいのなら、それは単純に暗記とか記憶の問題だ。
こうした情報がどれだけ増えても変わらない大切さは個性だと思っている。
さまざまな経験や知識、その集積からなる価値観に基づいて表出される独自性だ。
時には、今まで築いてきた経験則をゼロにして考えてみることによって生まれるものもある。
ものすごく遠回りしながら熟考し導いたもののほうが、長期的視点に立てば、後々まで役立つことが多いといえる。
深く考えて得られた自信、確信こそが、疑念や迷いが生じたときの支えになるのだ。
独自性、個性は、一朝一夕にはつくれない。
さらに、それを常に発揮するのはもっと難しいことだ。
一手ずつの指し手に個性を出すのは難しい。
ひとつの局面でどの選択肢を選んだところで、たいていそんなに違わない。
そのとき可能性のある三つの選択肢の中からどの一手を選ぼうが、たいてい大きな差が感じられるわけでもない。
ただし、それを一局としてまとめ上げたときに、個性は自ずと生じてくる。
それはたとえば何人かが思い思いに絵を描くときに、
たまたま同じ一カ所に同じ色を付けたとしてもその違いは分からないが、
その作業を続けて何十カ所と色を付けていったら、
仕上がりはみんな違う絵になるのと同じだ。
ミクロの一点だけを見れば違いが分からなくても、
ある程度まとまったかたちになったときには違いが出てくる。
何十手と重ね、やがてそれが何十局何百局となっていたときに、ひとつの個性、その人のカラーが自然と明らかになってくるのだ。
それと同時に忘れてはならないのは、将棋そのものの変化に対する認識だ。
非常に速いスピードで変わり続ける現代の将棋に乗り遅れずついていくことも、大切なのだ。
常に戦型を研究し、覚えるといった基本は押さえた上で、プラスアルファのものを付け加えるということをしたい。
基本的な知識を踏まえた上でこそのオリジナル、個性だろう。
将棋の世界では、データの重み、定跡や研究の結果といったものは、やはり軽視できない。
個性が積み重ねであらわれてくるのとちょうど同じように、一局だけなら基本や流行への対応を知らなくても通用することがあるかもしれない。
ただ、一局ですぐにダメだということはないとしても、
半年、1年と指すうちにだんだんとやりようがなくなってくる。
基本的なところをきっちり押さえておくことは、欠かせない経路だ。
それを踏まえた上でいかに自分の個性を出していくか…
それは、今日意図したから出せるというものではない。
基本を踏まえ、一手ごとの選択をし、時にはリスクを冒して決断するといった経験を重ね、道のりを歩いてのちに、自然とあらわれてくるものである。
そして、自分の意識や意図とは離れたところであらわれるその個性こそが、総合的な自分の「力」なのではないだろうか。
(「直感力」羽生善治さんより)
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