🌸🌸オペラと日本人🌸🌸④
🔹村上、もちろんです。今日は佐藤さんのお話をお聞きするために来てもらったんですから。
🔸佐藤、私は6年前に母を、昨年には父も亡くし、
命の終わり方について考えるうちに、
お医者さんや看護師さんなど、日々、人間の命に携わっている職種の方々に、
感謝とエールを贈る歌を聴いていただきたいなと思い始めました。
父が亡くなる日、私も病院に泊まって父の傍にいたのですが、
目の前の患者さんの命を必死で守ろうとされている皆さんの姿を見て、本当に感動しました。
医療の原点、「手当て」と「歌う」ことは似ていると思いました。
ささやかですが、感謝とエールを込めた歌を贈りたい。
そして、できれば、看護師さんにも患者さんに日本の歌を少しでも歌ってもらえたらと思っているんです。
🔹村上、佐藤さんのような元気な人が来てくれたら、それだけで皆さん元気になれますよ。
🔸佐藤、歌い手さんって、皆さん元気なんですよ。
私はその秘密は呼吸にあると思っていて、
呼吸を制するものは世界を制すると豪語しています。
かく言う私は、いまだに制することができず、一生の課題なんですが(笑)。
歌を歌うのは大変健康によいことだと思います。
🔹村上、僕もそうだと思うな。言葉を発して歌うこと自体、遺伝子のスイッチをオンにする要素を含んでいるんじゃないかと思う。
🔸佐藤、私は言葉というものができる前から、歌があったように思います。
例えば、最初は喜びや恐れを伝えたかったのかもしれません。
「あー」とか「うー」って思わず声が出て、それに抑揚や節がつくことで、それを聞いた人が共感したり、警戒したりする。
そこからコミニケーションが始まり、やがて言語も生まれていたのではないかと独断と偏見を持っているのです。
だからバーチャルの世界がいくら進んでも、人はきっと歌い続けるでしょう。
それに音楽をやっていると、命との繋がりを感じることが多いんですよ。
🔹村上、どういうことでしょうか。
🔸佐藤、例えば、心臓は自分でコントロールしなくても、勝手に動いてくれているでしょう。
そのことに初めて気づいた時、レッスン中にもかかわらず、涙が止まらなかったことがありました。
声は生きている楽器です。
ですから、こうやって歌が歌えること自体、健康であるからで本当にありがたいことです。
だからこそ少しでも進歩したい。
音楽って自分がそれまで培ってきた感性や知性を含めた人間性すべてで表現されるものなので、
私もいよいよこれからですね(笑)。
また、だんだん年を重ねてくると、舞台に立つことに勇気が要るようになってきました。
一所懸命にオペラに恋して歌っていた時のほうが楽しかったかもしれません。
でも、長く続けてきたからこそ見えてきたものもあるし、理解できるようになったこともある。
だから歌とはなんぞやと考えると、なかなかどうして奥の深いものだと感じています。
🔹村上、長く続けることで見えてくるものがあるというのは、僕もその通りだと思うな。
ところで、僕は最近になって日本人には使命があるということを感じることがよくあるんですが、
佐藤さんは世界を見てこられて何か感じることはありますか?
🔸佐藤、私は日本人は素晴らしい特性があるように感じます。
例えば世界を見渡すと厳格な一神教の国々は、
八百万の神を持つ私たちの穏やかな世界観を理解することが難しいのです。
しかし、私たちが持っている温かさや寛容さこそ、世界の平和に貢献できるのではないかと思うんです。
🔹村上、ダライ・ラマ法王は、21世紀は日本人の出番だと言っています。
僕もそうなって欲しいと思っているし、実際に西洋の科学技術や経済力といった理知的な面と、
東洋の寛容な精神といった感性的な面を持ち合わせているのは、日本人だけですからね。
🔸佐藤、オペラをやる上で、イタリア人に生まれればもっとスムーズだったかなと思った時期もありましたが、
私は日本人に生まれて良かったと思います。
私が忘れられない「トスカ」の公演があります。
この作品が大好きで何十回も聴かれたという外国のお客様が、
私の歌を聴いて、この作品で初めて泣いたと言われたのです。
でも、どうして自分が泣いたのか分からないから私に教えて欲しいと言われました。
その時は。はっきりとお答えすることができませんでしたが、
もしかしたら私のヨーロッパ的ではない感受性の働きが伝わったからかもしれない、
と後から思うようになりました。
というのも、私が演じるヒロインは、皆、愛する男性のために自己犠牲を払う役目と決まっているんです。
作曲家の多くが男性なので、そこまで女性に愛して欲しいという理想を描くと思うのですが、
ヨーロッパでは宗教上、基本、自殺は禁止されているので、
女性にいくら思いがあっても、自ら命を断つことは極めて少ない。
にもかかわらず、オペラで愛する人のために命を捧げる女性が描かれているというのは、
自己犠牲こそ、人間の行為の中で1番尊いことだからだと思うんです。
🔹村上、なるほど。
🔸佐藤、その尊さを深いところで自然に感じ取って歌うことができるのは、
もしかしたら私が日本人の魂を持っているからなのかもしれません。
だから、魂が大事なのではないかと。
🔹村上、この人のためなら死んでもいいという人に出逢えることは、
ある意味、その人にとって最高の幸せかもしれません。
そして、それは人だけではなく、仕事でも同じですね。
この仕事のためなら死んでもいいと。
どうせ人間一度は死ぬわけですから、自己犠牲できるような出逢いに巡り合うことができれば、
その人に大いなる幸福をもたらすかもしれない。
僕はそう思いますね。
(おしまい)
(「致知」5月号 佐藤しのぶさん村上和雄さん、対談より)
🔹村上、もちろんです。今日は佐藤さんのお話をお聞きするために来てもらったんですから。
🔸佐藤、私は6年前に母を、昨年には父も亡くし、
命の終わり方について考えるうちに、
お医者さんや看護師さんなど、日々、人間の命に携わっている職種の方々に、
感謝とエールを贈る歌を聴いていただきたいなと思い始めました。
父が亡くなる日、私も病院に泊まって父の傍にいたのですが、
目の前の患者さんの命を必死で守ろうとされている皆さんの姿を見て、本当に感動しました。
医療の原点、「手当て」と「歌う」ことは似ていると思いました。
ささやかですが、感謝とエールを込めた歌を贈りたい。
そして、できれば、看護師さんにも患者さんに日本の歌を少しでも歌ってもらえたらと思っているんです。
🔹村上、佐藤さんのような元気な人が来てくれたら、それだけで皆さん元気になれますよ。
🔸佐藤、歌い手さんって、皆さん元気なんですよ。
私はその秘密は呼吸にあると思っていて、
呼吸を制するものは世界を制すると豪語しています。
かく言う私は、いまだに制することができず、一生の課題なんですが(笑)。
歌を歌うのは大変健康によいことだと思います。
🔹村上、僕もそうだと思うな。言葉を発して歌うこと自体、遺伝子のスイッチをオンにする要素を含んでいるんじゃないかと思う。
🔸佐藤、私は言葉というものができる前から、歌があったように思います。
例えば、最初は喜びや恐れを伝えたかったのかもしれません。
「あー」とか「うー」って思わず声が出て、それに抑揚や節がつくことで、それを聞いた人が共感したり、警戒したりする。
そこからコミニケーションが始まり、やがて言語も生まれていたのではないかと独断と偏見を持っているのです。
だからバーチャルの世界がいくら進んでも、人はきっと歌い続けるでしょう。
それに音楽をやっていると、命との繋がりを感じることが多いんですよ。
🔹村上、どういうことでしょうか。
🔸佐藤、例えば、心臓は自分でコントロールしなくても、勝手に動いてくれているでしょう。
そのことに初めて気づいた時、レッスン中にもかかわらず、涙が止まらなかったことがありました。
声は生きている楽器です。
ですから、こうやって歌が歌えること自体、健康であるからで本当にありがたいことです。
だからこそ少しでも進歩したい。
音楽って自分がそれまで培ってきた感性や知性を含めた人間性すべてで表現されるものなので、
私もいよいよこれからですね(笑)。
また、だんだん年を重ねてくると、舞台に立つことに勇気が要るようになってきました。
一所懸命にオペラに恋して歌っていた時のほうが楽しかったかもしれません。
でも、長く続けてきたからこそ見えてきたものもあるし、理解できるようになったこともある。
だから歌とはなんぞやと考えると、なかなかどうして奥の深いものだと感じています。
🔹村上、長く続けることで見えてくるものがあるというのは、僕もその通りだと思うな。
ところで、僕は最近になって日本人には使命があるということを感じることがよくあるんですが、
佐藤さんは世界を見てこられて何か感じることはありますか?
🔸佐藤、私は日本人は素晴らしい特性があるように感じます。
例えば世界を見渡すと厳格な一神教の国々は、
八百万の神を持つ私たちの穏やかな世界観を理解することが難しいのです。
しかし、私たちが持っている温かさや寛容さこそ、世界の平和に貢献できるのではないかと思うんです。
🔹村上、ダライ・ラマ法王は、21世紀は日本人の出番だと言っています。
僕もそうなって欲しいと思っているし、実際に西洋の科学技術や経済力といった理知的な面と、
東洋の寛容な精神といった感性的な面を持ち合わせているのは、日本人だけですからね。
🔸佐藤、オペラをやる上で、イタリア人に生まれればもっとスムーズだったかなと思った時期もありましたが、
私は日本人に生まれて良かったと思います。
私が忘れられない「トスカ」の公演があります。
この作品が大好きで何十回も聴かれたという外国のお客様が、
私の歌を聴いて、この作品で初めて泣いたと言われたのです。
でも、どうして自分が泣いたのか分からないから私に教えて欲しいと言われました。
その時は。はっきりとお答えすることができませんでしたが、
もしかしたら私のヨーロッパ的ではない感受性の働きが伝わったからかもしれない、
と後から思うようになりました。
というのも、私が演じるヒロインは、皆、愛する男性のために自己犠牲を払う役目と決まっているんです。
作曲家の多くが男性なので、そこまで女性に愛して欲しいという理想を描くと思うのですが、
ヨーロッパでは宗教上、基本、自殺は禁止されているので、
女性にいくら思いがあっても、自ら命を断つことは極めて少ない。
にもかかわらず、オペラで愛する人のために命を捧げる女性が描かれているというのは、
自己犠牲こそ、人間の行為の中で1番尊いことだからだと思うんです。
🔹村上、なるほど。
🔸佐藤、その尊さを深いところで自然に感じ取って歌うことができるのは、
もしかしたら私が日本人の魂を持っているからなのかもしれません。
だから、魂が大事なのではないかと。
🔹村上、この人のためなら死んでもいいという人に出逢えることは、
ある意味、その人にとって最高の幸せかもしれません。
そして、それは人だけではなく、仕事でも同じですね。
この仕事のためなら死んでもいいと。
どうせ人間一度は死ぬわけですから、自己犠牲できるような出逢いに巡り合うことができれば、
その人に大いなる幸福をもたらすかもしれない。
僕はそう思いますね。
(おしまい)
(「致知」5月号 佐藤しのぶさん村上和雄さん、対談より)
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