花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

晩秋の庭

2005-11-12 | Weblog

過ごし易くなったと思う間もなく、朝晩ストーブを焚くようになりました。

《称名寺》の銀杏が美しくなっている頃かしらと、訪ねて見ましたがまだ青々としていて残念でした。
桜の方が色付いていてこちらに焦点を当てることに・・・


我が家は毎日の落ち葉で寒々しいばかりです。

《秋のバラ》は日持ちしますが 花数が少しになってしまいました。

        


《山茶花》の一角だけが明るく壁を作り 散り敷いた花びらもそのままにして「母の面影」を偲んでいます。
 ・・・ 山茶花は密かにも咲いている 幼き日庭の垣根に降り立った 母の面影偲ばせて・・・
        
        


《ツワブキ》だけはシッカリと立ち上がり、隅のほうで存在感をアピールしているように見えます。

        
        


オークション

2005-10-31 | Weblog

オークションのことは TVでもWeb Siteにも有るようだけど、私には無縁だと思っていました。

ところが「ピンポーン」と、可愛い女性が一人門前に佇んでいて「リサイクルで参りました」と言うのです。

つい先日夏物の入れ替えをして3年も着なければ、多分来年も着ないと思って━それでも全部ではなくて━(なんてウジウジと引きずっているのでしょう)
仕分けた袋を差し出すと、しっかり点検してキチント領収書を書いてオークションに出すとの事。

箱入りの食器もあればと言う・・ジバンシーのケーキ皿を出すと、ブランド品は高いのですと言って30円をいただきました。

洋服は15点くらい有ったでしょうか お掃除券と引き換えでした。5種類くらいの中から台所を磨いてもらう約束をしたのでした。

ゴミになるよりもとても良い気持ちです。


 《写真:フウセントウワタの花 1cm位の花に5cm位の袋状の実が成ります》

愛の時計 

2005-10-25 | Weblog

ニュース性は薄れてしまいましたが、登山とその後の諸々で今頃blogに顔出しとは・・・でも ヤッパリ書いてみたい!!

《AFP時事》の記事として、マリリンモンローからケネディ大統領への「愛の時計」がオークションで落札されたと言う。

この腕時計は大統領から「捨てるように」と命じられた側近が保存していたもの。

写真の如くケネディの誕生日に「マリリンより変わらぬ愛を込めて━1962年5月29日」と刻まれ、そしてケース底の紙には「心からのお願い」と題した詩があり、最後に「愛せないなら死なせて!」との愛の言葉で結ばれていました。

そして同年8月4日マリリンモンローは死亡しました。2ヶ月待っても返事がなくそれが原因だったのでしょうか・・・この謎は永遠にナゾのまま・・・

其の頃私もまだ若くモンローは好きでは有りませんでした。
今見ると顔は愛らしく魅惑的で容姿に匂い立つ美しさがありますね! この死は世界中に衝撃が走った事でしょう・・・その辺の記憶が曖昧なのが残念です。






コアラ

2005-10-13 | Weblog

横浜市立金沢動物園は我が家からクルマで10分の所にあって、日本に初めてコアラがやってきたところです。
もう20年位前になるでしょうか 始めのころ2~3度行って此処10年位ご無沙汰でしたが、今日コアラに会いたくなって行ってきました。

コアラ舎では皆んな夢の中。顔すら見えないほど首を深く折り曲げて、ユーカリの幹の股に丸くうずくまっています。
それでも屋外のユーカリの高みで一匹、こちらを向いているらしいのでズームで撮ってみました。 《雄のニポポ》

一番に感じた事は森が深くなって居心地の良さを満喫できた事でした。

植物園は稔りの季節を迎えていました。例えばトケイ草はサクランボのような実になるまでのプロセスを何通りにも見せて呉れていましたし、コキア(ホーキ草)は赤く色付いて並んだ所が可愛いかったなぁ~。フウセントウワタも小さな花からあんな大きな実に変身するなんて、そして綿毛を園の人に摘んで戴いて嬉しかった!

★初めてコアラと触れ合って

10年前オーストラリアでコアラを抱かせてくれると言う話だったけど、ストレスになるからと抱く事は出来なかった・・・《思い出の写真》

 


★コアラずくし

クッションやコアラ人形をお土産にして・・・いつの間にかマイカーに同乗するようになって。  《後部座席に》

 

 《運転中に目が合ったりして》  
   
 

やまぼうし(山法師)

2005-10-01 | Weblog
友人から小さな郵便小包が届き、真っ赤なヤマボウシが入っていました。
どうやら花水木の好きな私が、ミズキ科の話をしたのを憶えていての事だったようです。

ヤマボウシは至る所に生えていて、しかし果実は見た事がないなんて話をしたのでした。
写真で想像してはいたけれど、やさしい色合いに遂口に含んでみました。かすかに甘く粒々が口に触りました。

グラス二杯くらいのお酒は出来るかしらと、漬けることにしました。




   《我が家の幼木 紅色ヤマボウシ 8コ花が咲いて果実にならず 》

    《 ヤマボウシの果実 》





   《 ヤマボウシをホワイトリカーに漬け込む 》




一昨年花水木酒を造って、独特の匂いが好き嫌いの分かれ目になりそうなのですが、そして真っ赤な果実にも拘らず黒い色が難点と思いつつも これが美味しいのです!




   《 2年越しの花水木酒 》


今年も花水木は沢山の赤い実を稔らせました。ヤマボウシより1/3くらいの小粒なので少々面倒だけど 又造ろうかしら。

銀座 絵更紗展へ

2005-09-29 | Weblog

長年絵更紗を手がけている従姉妹からの誘いで、銀座清月堂画廊での展覧会に出かけて来ました。
更紗とは染物の意。インド ジャバァ ペルシャ等が有名ですが、絵更紗とは大正時代 元井三門里氏の創案による染色工芸を言います。
赤・青・黄の三原色の染料から色を作り出して、身近な小物類・額・軸・屏風・帯・着物等の大作まで、大変手の込んだ 時間を掛けて生み出された芸術性が感じられるものでした。

日展に油絵を出展したほどの従姉妹ですが、今では絵更紗が楽しいそうです。


 

   《 「香嵐渓 三州足助屋敷の炭焼き」の回想 》 


 

   《 「飛騨高山の朝市」の印象 》


 

   《 展覧会場の一角 》


 久しぶりの銀座は刺激的で楽しかったです。

道東への旅

2005-09-25 | Weblog
この時期寒暖の心配もなく、大好きな北海道での撮影会に参加してきました。

新しくなった羽田空港から釧路空港まで1時間半。
根室半島→野付・風蓮自然公園→羅臼→知床峠→網走→美幌峠 を回っての3日間でした。


一日目

晴天の中大型バスは二人掛けに独り占めして、右手に海岸線を眺めながらスタートいたしました。

 
 

   《さざ波の煌き》


 

   《ナナカマドはまず実から色付き始めるのですね》


 

   《風蓮湖 白鳥の飛来する頃に再訪したいなぁ~》


 二日目

昨夕 日の出撮影のための下調べをしました。
集合3:50 そこから1時間の最東端にあたる納沙布岬で、手元もまだ暗く三脚の位置やアングルを確かめて満を持したのです。
こんな早い集合を今まで一度だってしたことがあったでしょうか! そしてこの時だけは寒さ対策も。




  《日本一早い 日の出》 




  《トドワラ 野付半島には海水の浸食と潮風の影響で、立ち枯れたトドマツが
   倒れて荒涼とした奇観を見せていました》




  《ハマナスの花 バスを降りてトドワラまで20分を歩くのですが、原生花園   が両側にあり少し時期が遅かったかなぁ・・の中で見つけました》




   《ハマナスの実 ナスは梨の訛った意、食べられるそうですが、プチトマト    位の大きさでその気にはなれませんでした》


 三日目

一番期待したサンゴ草に逢える日が来ました。網走には荒涼とした印象がありますが、網走湖 能取湖 サロマ湖 そしてオホーツクが・・・以前天都山からこの全てを視野に入れる事ができた時は感動しました。稀なことのようですから・・・そして再びの・・・サンゴ草は中でもノトロ湖が特筆されるようです。

塩分の多い湿地に生えるサンゴ草は、季節 気候 土壌など様々な条件を満たしたこの場所に大群落を呈したものでしょう。




  《サンゴ草 白い千鳥とも映えあって》




  《サンゴ草を愛でて》




  《美幌牧場 霧立ちぬ》




   《積雪標識 かなりの高さ(3m位)で主要道路は100m間隔で道路の片    側あるいは両側に立ち並んでいました》


 『世界自然遺産』に登録された知床半島。 峠は霧雨になってしまいましたが、
 根室半島辺りから水平線上に、いくつも島々が横たわって長くなったり 短くな ったりと遠くに有ったものが、知床峠で突然山の間に大きく長々と横たわって現 れたでは有りませんか! ぜ~んぶが国後島だとは大いなる驚きでした。

 二度の夕食は毛蟹やタラバ蟹一匹が付き、バス弁も常にカニがあって、カニ尽  くしだったなぁと。 写真は進歩無しに終わりましたが・・・。

続 「義経記」   (抄文・抄訳)

2005-08-22 | Weblog
   
   ▲前編▲

 [第三巻]

■{弁慶の父親・誕生} 諸説あり 御伽草子の『橋弁慶』では、実在の第21代熊野別当「湛増」としています。
生年出生地は未詳 『平家物語』では(湛増は、平家・源氏の何れに味方するか迷った末に、熊野権現の神前で赤鶏七羽と白鶏七羽の闘鶏を行い、赤鶏は一羽も勝たず皆逃げ出したので、源氏に味方する事にした)と有ります。

■{義経・弁慶の決闘} 弁慶思うに 「人の重宝は千揃えて持つもの」買ひても持たず夜に入り人の太刀を取り歩く。
六月十七日の夜 弁慶が五条天神を南に下ると妙な笛の音と共に、立派な黄金造りの太刀を帯びた若者に出会います。「太刀をこちらへ差し出して通れ」と言うと、義経は「欲しければ寄って取れ」 弁慶が大太刀で飛び掛りますが、義経は稲妻のように左脇に避け相手の胸を強かに踏みつけたので、太刀を落としてしまいました。
義経は其の太刀を拾い九尺の築地に飛び上がりました。弁慶は義経が土塀から降りるところを、駆け寄り斬りつけますが地に足を下ろさず、空中を引き返して土塀の上にユラリ飛戻り、弁慶は空しく引き返したのでした。

■{弁慶 義経に臣従の誓い} 翌六月十八日 夜更けて清水坂に昨夜の笛の音が聞こえてきます。弁慶は再度襲い掛かりますが失敗します。
其夜 清水寺御堂内に義経を見つけた弁慶は三度目の強請りをします。二人は外に出て斬合いとなり人々は大騒ぎになりました。弁慶が打ち損じた所を、義経は刀の背で強かに打ち据えました。流石に弁慶も降参し臣従を誓うのでした。
その後 義経は東山道から途中「義仲」にも会って奥州に向いました。奥州の義経はやがて二十四歳なりました。

■{頼朝謀反} 治承四年(1180)伊豆の兵衛佐殿謀反を起こす。真鶴ヶ崎より舟にて三浦を指すも風激しく安房の国洲ノ崎に上陸。やがて和田義盛・佐原義連の勢三百余人、丸太郎・安西太夫の五百余騎、上総の豪族達一千余騎が参陣、更に上総介
広常や千葉介常胤三千余騎が源氏勢に加わりました。
又 伊豆・常陸・上野・武蔵の豪族、武蔵党の丹・横山・猪股も集まり、市川では
十九万騎を数えました。
隅田川では水嵩が溢れ、対岸で待ち構えた江戸重長の勢に浮橋の組上げを命じ、千葉介常胤の助けを借りて総勢は隅田川を渡り小板橋に着いたのでした。

■{義経奥州を出立} 頼朝のこと奥州にも聞こゆ。秀衡は「兵衛佐殿こそ平家を攻めて都に上る御方。御曹司追着き奉りて一方の大将軍をも望まばやと存じ候」とて三百余騎をつけ、武蔵坊・常陸坊・伊勢義盛・佐藤継信・忠信兄弟が従い全速力で出立いたしました。

             (第四巻以降は後日に續きます)
   
  
 写真:源氏の家紋は笹竜胆。オヤマリンドウが相応しい・・(中澤久氏 撮影)





 

続 「義経記」  (抄文・抄訳)

2005-08-21 | Weblog
   
   ▲前編▲

 [第二巻]

■{強盗退治} 奥州下向の途中鏡宿で強盗に狙われる。吉次は六波羅の追手と錯覚
して逃げ出すが、遮那王は強盗と見当をつけ 太刀を抜いて盗賊の中に切り込み、
打首にして晒しました。
以後吉次は遮那王を益々丁寧に扱いました。やがて尾張の国熱田神宮に到着。

■{遮那王元服} 熱田の大宮司は義朝の舅。一行は懇ろなもてなしを受けます。
遮那王は「熱田大明神の御前にて元服す」と。「祖父は為義 父は義朝 長兄は義平で自分は義経と名乗ろう」 自ら烏帽子を被り《源九郎義経》と名乗りました。

■{藤原秀衡・息子} 秀衡には泰衡・国衡・忠衡・高衡・通衡・頼衡の6人の男子
が有ります(本によっては多少の混乱が見られます。)
秀衡は源氏の訪れを「嬉しけれ」とし、家の内も庭も整え 衣冠を正して勢三百五十余騎にて栗原寺へ馳せ参り御曹司の見参に入りました。
秀衡は吉次に唐櫃の蓋一杯の砂金を与え、泰衡達からも贈り物があり、吉次は満足して京に上ってゆきました。
義経は何の不自由もなく過ごしていましたが、無為の生活に倦んで又京に向いました。

         (第三巻以降は後日に續きます)
 
 
  写真:緋縅の甲冑から花なら赤色・・「鶏頭と御曹司」無理ならば御容赦を。



30年前を髣髴するような

2005-08-15 | Weblog

郷里から小学生と中学生の男の子と、そのお母さんがやって来ました。
6ヶ月前はそのお父さんもいて、数時間だけだったので風のように駆け抜けて行きましたが 今回は2泊しました。

あちらの要望も聞いていたので、丸一日使えるなかびを「MM21~中華街へのコース」の幾通りかを温めていたのですが「お買い物が大好き!」が解って、其のお付き合いがたいへんだったので~す。

 (ランドマークタワーは初めてと言うことで360°楽しそうでした。
  眼下↑のコースからと決まる) 

お母さんはファッションや鞄・子供たちは靴や本やetc・・・
夫はその都度ベンチでお待ちを、私は3者を何時も視野に入れておく羽目に。

三菱みなとみらい技術館やシーバスは立ち消えになって、ワールドポーターズや
赤レンガ倉庫・山下公園から元町商店街と渡り歩いて(チョットはタクシーにも)中華街でお食事が終わった時は、9時に近くヨコハマスタジアムの側で大歓声を聞いたのです。(それは ウレシイ逆転劇!! 疲れも飛んでゆきました)

私も同じ年齢差の子供を連れて帰省していたんだった な~んて思い出したりしたのでした。

続 白い花

2005-08-02 | Weblog
★シロツメグサ

先月の登山は早池峰山でした 高山植物の宝庫なのです。一番逢いたかったのは
山名を戴く「ハヤチネウスユキソウ」 白い綿毛に包まれて神々しいほどでした。

それと同じくらい「シロツメグサ」にも楽しい出来事があったのです。
我会長が一面のクローバー畑の中から《四葉のクローバー》を探し出されたのです。
子供の頃から見つけるのが得意だったとか。

胸に翳し満面の笑みの一枚を撮らして戴きました。本当にいいお顔でした!
 


白い花

2005-08-02 | Weblog
白丁花
夏は涼やかな花を・・私は子供の頃ホタルグサと言っていました。キット姉や兄の真似をしていたのだと思うけど、本当に蛍の宿だったのかしら? あの頃はホタルが沢山いたなぁ~「こっちの水は甘いぞ」と呼び寄せて、手のひらにソットのせて蚊帳の中に放したりして、その小さな宇宙は楽しく 思うだに胸がキュンとする程の懐かしい思い出です。

プロ野球 オールスター

2005-07-23 | Weblog
今年のオールスターは面白いかもと見ていました。
交流戦で見つけたパの選手を思い出したりして・・・

我がベイスターズから只一人監督推薦の金城が、1回でツーベースを打って大拍手。
次の出番でも高いバントヒットで一人帰し、その後逆点打と大活躍。
ま これも当然と言えるものでしょう。新人王と首位打者の両方を獲得した経歴が
あるのですもの!

最終回は1点差でセが勝っているのですから、クルーンの登場は満場一致の期待で。
自己最速こそ出無かったものの、絶対の信頼でセの勝ち~!!

最優秀選手は金城。 優秀選手に4名が其の一人にクルーンも。
牛島監督 良かったですね!

頼朝 範頼 義経

2005-07-21 | Weblog

NHKの大河ドラマが大好きで、もう何十年も見てきました。
丁寧な時代考証に基ずく衣装 背景 配役 等々他の追随を許さず、一年間の
長編で歴史も学べて楽しみにしています。

表題で金沢文庫でも企画展示されていますし、又中世軍紀「義経記」を読み解く
講座の聴講もしていて、趣味の世界では構えず気楽に学べます。

頼朝 範頼に比べると義経に関する資料は少なく、頼朝との確執から不遇な、
短すぎる一生を閉じましたが、それ故に判官贔屓と呼ばれて人気が生まれ、その
思いが後世の江戸時代になって「義経記」を生んだと言われています。

この「義経記」及び「吾妻鏡」「平家物語」を主軸に ~乃図と称する絵 下文
願文 聞書、社寺での遺跡・・・等々を手掛りに、色々な人が想像を駆り立てら
れて幾つかの話が作り上げられ、文学や芸能で語り伝えられて来たようです。

                            (後日につずきます)