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追憶のハイウェイ73

今を去る事、40数年前の1973年に神戸の西隅にあった小さな大学に入った。1学年400人チョイという規模であったが、ちょっと自慢できたのは学食でビールが飲めたこと(笑)、年間1万5千円という国立大より安い授業料、1年生からゼミがある事だった。因みにビールは普通の事だと思っていたら、他大学の友人達からそんなトコあるかと馬鹿にされる(笑)。

1~2年生のゼミは専門学科でなく一般教養から選び、僕は東洋史ゼミを取った。オリエンテーションで担当教官から『他の国には申し訳ないが、長いスパンで見れば東洋史=中国史であり、うちでは中国史をやります』と言い切られたのが、心に残っていたからだ。

そのK先生、最初の授業で『煙草吸いたい人は吸って』と1か月前まではその行為で補導された我々に向かって言い放つ。授業は歴史に留まらず、政治・社会問題ありとあらゆることが題材となった。歯に衣着せずにものを言う人なので、最初はおっかなかったが、研究室と呼ばれた教官の部屋に出入りするようになり、その人柄に引かれる。

研究室にはガスこそなかったが、水道や電気は使えたので茶を入れる位はOK。その内、先生がコーヒー好きなのをいいことにドリップセットを持ち込み、香り付けにとバーボンの瓶まで置かせてもらった。今なら多分叱責処分だろう。ここでロックグラスを手に先生や先輩と色んな議論をたたかわしたのがいい思い出だ。

今でも覚えているのが『お前ら(ぼーず達の学年)な、例年よりちょっと倍率が高かったの鼻にかけてるやろ。でも、ドングリ8つ並べてな、先端にチョロっと生えてる毛みたいなのが他の7個よりちょっとだけ長かった。それがお前らや』と言われた。うーん、上手いことゆーなぁ~(笑)。

K先生は京都から車で高速道路で通勤していたが、方角が一緒という事もあり高速道路を途中下車?する時には乗せてもらったりしていた。気が向くとラーメン屋や喫茶店に連れて行ってもらったこともあったが、どこででも先生の独演会になるのが楽しかった。

先月だったか、このゼミの1年先輩から『センセ、もう80やし、集まれる今、集まろうや』と電話がかかって来た。8日は京都の料理屋で当時のシンパ?10名が集まる。K先生『脳梗塞の後遺症で言葉が不明瞭になって』と言いながらも相変わらずの口の悪さ(笑)。が、それだけでなく自分の恩師が亡くなって10年間は墓参りしていたなんてしんみりした話もされる。

そこで、すかさず元悪ガキ幹事が『わしらも亡くなって10年は行きますわ』(笑)。ところがセンセ『お前ら来たらウザいから、ワシャ墓作らん!息子達にもそうゆうてある』 はいはい、皆でどっかに集まって勝手に偲ぶ会させてもらいます。可愛げの無い師と可愛げの無い弟子達だこと。



先付けを食ってからUP(笑)
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