それまでは輸血用血液は売血でまかなわれており、頻繁に売っていた人の血が黄色い血と呼ばれ社会問題になっていた。そのため売血が廃止となり、献血が主流になった頃であった。当時の献血はゴムで蓋をしたガラス瓶を立て、2本のチューブを突き刺しておく。1本を献血者の静脈に刺した針につなぎ、もう1本を真空ポンプにつなぐというもんだった。
現在は横になるが、当時は車内のカウンター前に座ったまま、腕をカウンターに乗せ採血する方式だった。手のひらを握るたびに血液がガラス瓶に勢いよくほとばしり、なかなかのスプラッターな光景であった。因みに血の出方には個人差があり、僕の場合泡立つくらい勢いが良かったが、隣の友人F永はチョロチョロ。
思わず『おい、見ろ!見ろ!この勢い』とジャージャー出してやった所、貧血を起こし、気分が悪くなりカウンターに突っ伏したのはF永の方であった。確か5~60人が初めての献血を終えたと思う。献血手帳が残っていれば記念品になったと思うが、親父の手術で使ってしまい手元には残っていない。
売血を止めたのはいいが、手術用血液が不足したためかなり長い間、輸血するには同量の献血手帳もしくは物納?が必要であった。確か、80年前後それが不要になったのだが、怪我が付きもののスポーツをやっていたこともあり、献血回数は10回を超えた。この調子で行けばかなりの献血が出来ると思っていたのだが、今は出来ない。
怪しげな病気に罹ったわけではない。85年から3年間お世話になったドイツでの暮らしが引っ掛かったのだ。狂牛病の疑いありと言うことらしい。まぁ、肉だけでなく牛骨髄まで食ったからなぁ。誕生日と10月、1回で400gのいいダイエットだったのに(笑)。
そのかわりと言う訳ではないが、数年前から誕生日の行事が新しく出来た。眼科に行って眼底検査を受けるのだ。糖尿気味のこの体。1年に一度は検査した方がいいと言われたからなのだが・・・情けない話でもある。この際、原点のありがとう運動に戻るかなぁ。今は使用済み切手を集めるのが主流らしい。
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