晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

山下清の絵 11/14

2006-11-18 | 旅行記

 2006.11.14(火)     快晴       道中21度
 6:45 起床   
 8:40 小金屋旅館(松戸市小金)発~県道~流山~江戸川サイクリングロード~
12:00 千葉県関宿城博物館着12:40発~利根川サイクリングロード~三国橋~
15:00 古河グリーンホテル着(茨城県古河市)
 
 夕べはいささか飲み過ぎで朝がつらい。食堂に行くと同宿の3人に拍手で迎えられる。
一人の方は若いときにバイクで日本一周をやったとか。いろいろ質問攻めで朝食を終え、富山宅にお礼の挨拶に行く。お母さんに挨拶もしなければいけないが、もう一つ今回の旅で会っておかなければいけないものがあるのだ。もう37,8年前富山宅に数回泊めてもらい、当時塾をやっておられたのでその広い教室で二人布団を並べて休んでいたのだ。
その部屋に一つの絵が額に入れて掛けてあり、「おい、あの下手な絵は妹が描いた絵か」
「ばか、山下清だよ」「えっなんで山下清の絵がここにあんだよ」「常磐線界隈を放浪してたろ、それを親父が連れてきたんだよ」なるほどあの親父ならやり兼ねん事だ。その絵をもう一度確かめたいのはずっと思っていたことである。お母さんに言うとさっそく持ってきてくれて、おもむろに袋から出すと、百合とあじさいのクレパスで描かれた絵である。
当時思っていたより繊細で緻密な絵である。クレパスは当時の富山君のものを使ったらしい。庭に咲いていたあじさいと百合を飾ったら、2日間じっと眺めていたそうだが、3日目から描き始め一週間ほどかかったということだ。描き上げる頃には花はすっかり枯れてしまったとのこと、その様子を近所の人も見に来ていたということだ。富山君は銘が無いのよと言っていたが、絵の裏には「書き上げた日昭和30年云々山下清」と鉛筆で記入してある。彼の作品集にもない貴重な作品である。Img_1726


本邦初公開「百合とあじさい」




 お礼を言って宿に帰り、再出発、今日はサイクリングロード特集だ。宿の前の道を西へ西へ進むと江戸川に出る、ここは全線サイクリングロードが走っており、快適この上ない。
河川敷ではゴルフ場、野球場、サッカーコート、滑空場など様々な遊びができる。ウィークディというのにゴルフ場が満杯なのはやはり近郊のせいか。ロード上もジョギング、ロードレーサー、マウンテンバイク、普通の自転車と賑やかだ。野田市は醤油の本場でロード沿いにキッコーマンの野田工場もある。Img_1729 Img_1730

河川敷のゴルフ場が続く、右はキッコーマン野田工場



 途中竹馬に乗ったおじさんにあう、逃げ出したのだろう孔雀がいたりして退屈はしない。
江戸川が終わるところに公園と関宿城博物館がある。利根川の歴史が詳細に展示してあり、驚くべき事に利根川は江戸時代より前には東京湾に注いでいたのだ。江戸時代の東遷事業により難工事の末遂に銚子に流れ出すのである。また江戸川というのも人工的に造られた川なのである。このような大河の流路を変えたり造営したりする当時の土木技術に感心する。それにしてもこれだけの大河であるので過去の水害はすさまじい。このあたりの歴史は水害との戦いの歴史でもある。
 境橋を渡ると利根川となり、江戸川同様のサイクリングロードあり、今日の目的地古河まで続いている。古河の町は日光街道沿いの城下町で町並みも落ち着いていて、気持の良い町である。良い町にはコンビニが少ない。歴史博物館のあたりは美術館や文学館が並び、石畳の道路で格好の散歩道となっている。博物館では渡辺崋山の「鷹見泉石像」におめにかかる。歴史の教科書に載っていた崋山の最高傑作である。鷹見泉石は古河藩の家老であり、学者としての偉業の数々が展示されている。今日は良い絵に巡り逢った。Img_1735 Img_1737
関宿城博物館と古河歴史博物館



  夜、ニュースを見ていると「70才、竹馬で千葉県一周、飯塚すすむさん」というニュースがあった。その風貌から河川敷であったあの方ではあるまいか、止まってお話しておけば良かった。

  走行距離 67Km  累計4,403Km   費用8,767円

★古河グリーンホテル 5,800円 朝食500円  古いホテルで割高感有り イン           ターネット室でインターネット可能

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筑波りんりんロード 11/13

2006-11-18 | 旅行記

 2006.11.13(月)     快晴 
 6:45 起床   
 8:20 筑波山荘YH発~つくばりんりんロード~R6~
15:00 小金屋旅館着(千葉県松戸市)
 
 冷え込みの夜が明けると快晴の朝である。今日は行き先を決めていない。松戸の富山君に連絡が取れれば松戸に行くし、取れなければ房総半島に向かうか等と適当に思いながら出発する。富山君は明治の山岳部で最も親しくしていた同僚で、松戸の家は有名な塾をしておりたびたび泊めていただいていたのである。私が下宿なのでとお母さんが手料理を一所懸命つくってくれたのを思い出す。富山君が八ヶ岳の海ノ口牧場にいるときは毎年のように訪ねていたのだが、二本松に越してからは没交渉になっていたのである。千葉県の目標は彼に再会することなのだが、住所はわかっても電話番号はわからず、果たして連絡が取れるかもわからないのである。公衆電話で番号を調べ電話するも留守番電話で、とりあえずりんりんロードで土浦まで行くこととする。筑波からの道を降りきって北方を見ると日光か那須の方面の山が真っ白である。もう冬はそこまで来ているようだ。Img_1717

筑波山、右が女体山、左が男体山

 つくばりんりんロードは岩瀬から土浦までかつての私鉄の廃線路を自転車道として整備したものである。このような経過のサイクリングロードは初めてなのでさっそく走ってみる。路面はきれいで景色も良く、駅毎に休憩所もあり、なによりも元鉄道なのでカーブやアップダウンが少ないことである。難点は以前の踏切部分が総て一旦停止となっていることとそのための車止めのポールがやたら多いことぐらいか。ポタリングやツーリングには最適だがロードレーサーの練習にはつらいかなと思っていたら結構練習の人に会う。今日は茨城県の日で学校は休みで子供達のサイクリングも多く、これほど親しまれているサイクリングロードも珍しい。
 駅跡の休憩所にはトイレや水場、いすの設備等整っており、近隣の名所旧跡の案内などもあって楽しい。途中ロードが線路跡を迂回しているところがある。見ると小田城跡ということで、大勢の方が発掘に当たっている。線路は城の真ん中を突っ切っていたのだ。
各地で鉄道が廃線となっているが、このような活用をされたら本当に良いと思う。例えばその鉄道で通勤していた人なら、そのまま自転車通勤すれば安上がりで健康にも良いということになるのだがいかがでしょうか。直線的に走るのであっという間に土浦に着いてしまった。Img_1719 Img_1721

筑波りんりんロード、かつての駅が休憩所となっている。
電車は上田城跡を突っ切っていたのだ。


 再度電話するが留守、思い直してお父さんの名義の電話を調べる。やはりあった、お母さんが出て携帯の番号等を教えてくれる。しかしそれも番号違いでつながらず、ままよとばかり松戸に行くことにする。
 R6は幹線道路だけあって交通量が多く、歩道走行を強いられる。歩道の広いところもあるがほとんどは狭い歩道ですれ違いや追い越しが大変、その上信号も多く、恐ろしく時間がかかる。都会の道路はこりごりだ。
 松戸に到着し、再度富山君の母堂に電話すると奥さんの番号を教えてくれた。奥さんから携帯電話の番号を聞き、やっと連絡が着き今夜のアポイントを取る。安宿を探し、夕方から駅の近くで富山夫婦と3人で談笑、過去のこと未来のこと、今日も楽しい夜をありがとう。彼が山で遭難し、入院していたとき話していた幽霊の話はでっち上げであった。
私は信じていたのに、、、、それほど気味の悪い病院であったのだ。

  走行距離 70Km  累計4,336Km   費用5,875円

★小金屋旅館 松戸市北小金 朝食付き4,500円 いわゆる商人宿 とりあえずバストイレ付き 朝食はパンとコーヒー、カップ麺等もあり

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筑波山登山 11/12

2006-11-18 | 旅行記

 2006.11.12(日)     晴れ 
 6:45 起床   
 8:05 筑波山荘YH発~白蛇弁天8:30~弁慶七戻9:25~女体山9:50~                男体山10:50~筑波山神社12:15~
14:00 筑波山荘YH着
  
 風雨の朝が明けると、同宿の方が「富士山がみえるよ」と言って起こしてくれた。寒い中を外に出るとなるほど富士山だ。もう真っ白になっている。学生時代には11月の後の連休には冬富士合宿やってたのだから雪もあるはずだ。Img_1694 食事を済まし筑波山に向かう。白雲橋コースから登り、御幸ヶ原コースを降りる予定だ。晴天の日曜日とあってもの凄い人出を予想していたのだが、白雲橋コースの登りは全然人がいなくて静かな杉林を写真を撮ったり休憩したりして楽しく登る。ところがつつじヶ丘からのコースと出逢った途端恐ろしい人出となってしまった。スカイラインから車を置いて登ってくるようだ。楽しみにしていた石の造形も写真を撮る暇もない。とにかく並んでぞろぞろと登って行く。もっとも石の方も弁慶七戻と出船入り船以外はそうたいしたこともなかったのだが、、、。Img_1698 Img_1699

左:弁慶が七回戻ったという弁慶七戻の落ちそうな岩
右:女体山山頂

 女体山山頂もこぼれ落ちんばかりの人で、写真も撮れない。さっさと下り、男体山に向かう。男体山山頂は少し余裕があり、富士山や麓の眺望を楽しむことができる。都市から近いこと、ロープウェイやリフトが完備していること、低いけれど100名山であることなどの理由で賑わうのだろう。下りも登りの人が多くて大変である。ウィークディの登山は中高年ばかりだが、休日の登山は若者や家族連れが多く華やかである。都会のお嬢さんも多く楽しい雰囲気がある一面、この人ほんとに登れるのかなあと言うバテバテの人も多く、悲壮感も漂っている。神社に降りるとあたりは河原町状態で七五三のお参り、写真を撮る人、参詣をする人、お土産をあさる人、その陽気なこと。名物がまの油売りの口上を聴き、ビールと蕎麦で昼飯をし、宿に帰る。蕎麦850円ちょっと高いのと違うか、立ち寄り風呂も1,000円から1,260円もする。入りたくても入れない。1,000円以上の蕎麦と立ち寄り風呂はしないことと心に堅く誓う。Img_1714 Img_1716
 左:がまの油売り口上
 右:赤富士、写真に撮るとなんかわからない。

昼寝をし風呂に入り富士を見に行くと予想通りの赤富士で、しばし見物、写真に撮っても旨く撮れないので私の脳裏に焼き付けておく。

 
  走行距離 0Km  累計4,266Km   費用2,880円

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