2006.11.21(火) 曇り
7:00 起床
8:55 狭山ビジネスホテル松井発~R16~R467~
15:30 大和第一ホテル着~南林間往復
本日は旧暦の10月小春の入りだそうだ。小春日和の一日ということだ。静かなルートを楽しく走りたい日和なのだが、昨日同様交通量の多い国道を耐えに耐えて走ることになるのだろう。
狭山(埼玉県)は泊まるだけになり申し訳ない。ホテルを出てすぐに「市歴史民俗博物館 信号手前左折」の表示があり、その通り行くが見あたらない。次の信号かなと思い行くがそこにも無い。重い荷物でうろうろ探すのはご免だ。もう少しわかりやすい案内をしていただきたい。そういえば狭山は石川被告の狭山事件のあったところだ。最近あまり聞かなくなってきたのだがどうなっているのだろう。
R16は千葉県富津から横須賀まで東京を環状に走っており有数の幹線国道である。果たしてその通行量たるや恐ろしいもので、とにかく車の切れ目が無い、しかも大型のトラックがほとんどで自転車で走るのは最悪。道路の造りも悪く、入間を過ぎたあたりかとんでもない交差点があった。歩道を南下していくと、横断歩道が無い、横断陸橋があるのだが自転車用の歩道ではなく、自転車では通行不可である。やむなく車道を車の合間に無理矢理横断し、歩道を行くがすぐに歩道は切れる。車道を進むのは道幅、通行量から言って無理、仕方なく元来た道を100m程戻り反対側に移って細い歩道を行く。近くに学校があるらしく学生が多く、そのほか主婦やお年寄りも自転車の人間は大型のトラックの間を右往左往、こんなひどい交差点は初めて見た。狸しか通らない高速道路造るよりなんとかせいよな。
横断歩道無し、陸橋は通れず自転車は車の間を右往左往
最悪の交差点
やがて左に米軍横田基地が現れる。行けども行けども基地が続き、国道沿いは米兵向けの横文字の店が並ぶ。
八王子や町田のあたりでは道幅も狭くなり歩道も消える部分があって、そこを大型のトレーラーやトラックががんがん通るのである。通学の子供達や住まいしている人々は一体どうしているのだろう。一瞬通り過ぎる私でさえこれだけ困っているのにだ。
国道は八王子で本線とバイパスに分かれる。バイパスは有料で八王子の街を迂回することができる。ここに歩道があればこれほどありがたいことはない。白バイのお巡りさんに聴いたが、要領を得ない。ままよとばかりバイパスを行く。有料部分が近づくと「自転車通行禁止」と書いてある。いや、よく見ると「自転車、車道通行禁止」なのだ。歩道なら良いと言うことなら、歩道が続いているはずだ。なるほど歩道は続いており、自転車や歩行者がそこそこ通行している。住宅地が続いているからだ。住宅地の先100mほどで歩道は行きなりきれる。最初からバイパスは通り抜けられないと書いてくれよな。こういう裏切られ方はもう何度も経験しているのであまり腹も立たない。自転車の文化なんて永久に日本には根付かないのだろう。
左のように続いている歩道が
右のように突然無くなる。予告もなしに。
昨日同様歩道の狭いところも多い、ところが昨日と少し様相が違うのだ。避けてくれないのだ。確かに狭い歩道をでかい荷を積んで、幅広く走っている私は気に入られないかも知れない。しかし避けなければ事態は解決しないのだ。歩道は歩行者優先といっても、避けなければお互い進むことはできない。おやじと若者は特に避けることはない、権利意識とは少し違うと思うのだが。
南林間は学生時代4年間を過ごしたところだ。今回は下宿や風呂やアルバイト先のスーパーなどを訪ねてみたい。大和市まで行けばホテルもあろうかと思い、大和の駅前のビジネスホテルに泊まる。今までと違い料金が2割方高い、総てそのようだ。荷を解いて電車で南林間に向かう。33年ぶりの駅に降り立つのは流石にドキドキした。良く通った中華料理屋、タイプのお姉さんの居たクリーニング屋、どれも無くなっており、古い商店街の面影はすっかり無くなっている。そりゃそうだ、今住んでいるところだって33年前とは雲泥の差があるもんねえ。お得意のお風呂屋さん松ノ湯さんはありました。私が学生の頃は近所に米兵の宿舎が沢山あって、ポパイのような兵隊さんがよく風呂屋に来ていたもんだ。
中華料理屋やクリーニング店のあった通りと
残っていたお風呂屋。
当時のスーパーは忠実屋というスーパーで、できた頃は街の唯一のスーパーで賑わっていたものだ。卒業後忠実屋が経営的にあやしくなってきたのを日経紙で見たが、やはりすっかり変わっている。忠実屋が駄目になってダイエーになり、それも駄目になって、今は一階が生鮮食料品のスーパー、二階は100円均一のショップが半分、残り半分は空き屋状態、3階は真っ暗で使用不可の状況、当時の華やかな面影は微塵もない。私はここである人を見つけ出したかったのである。当時忠実屋で味噌やお漬け物の店をやっていた荒井さん夫婦に合いたかったのだ。そのまま店が無くても、なにか手がかりが得られるならと思っていたのだが、この様子では皆無である。学生時代に本当に良くしていただき、出世返しは出来ないけれど、お礼を一言言いたい夫婦なのである。街は華やかになったけれど、このスーパーで働いていた店員さんやフランチャイズの人達、みんなお世話になった人達なんだけど、会社の破綻やなんかで一体どうなったのだろう。
下宿は台所付き4.5畳の部屋が4部屋ある建物で、私が入ったとき新築第一号であった。大家さんは大野さんといい退職された夫婦であった。もう建て変わって見つからないかなあと思い、そのあたりをうろうろするが、周りがすっかり変わっているので場所の見当が付かない。相当歩いてやっと見つけた。当時のまま残っており、明かりもついている。
綿々と下宿人が続いているのだ。大家さんの表札は養子さんの姓になっている。と言うことは大家さんは亡くなられた様子、呼び鈴を押すも返事は無し。
左:旧忠実屋
右:茶色の建物が33年前住んでいた下宿
周辺を歩いてみるが当時の面影を残すものは何もなく、宿に帰ることにする。小田急の南林間駅は原町田の次の急行停車駅だったのだが、今は中央林間駅に取って代わられホームの片側は空き地となっている。なにか寂しい思いがするスーパーと駅であった。
走行距離 65Km 累計4,677Km 費用9,733円
★大和第一ホテル 大和駅前 6,900円 古いけれど高い、周りもみんな高いようだ。