晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

サイクルショップ タケチ 5/11

2007-05-17 | 旅行記

 2007.5.11(金)快晴   
  7:00 起床 
 9:10 高松YGH発~高松城~宇高国道フェリー11:07発~宇野港着12:10~R30~県道62~林~県道21~県道22~県道275~サイクルショップタケチ
~R430~
18:00 倉敷YH着~倉敷市街

 四国は日本の縮図である、という貴田君のおおせの通り海有り山有り、都会有り田舎有りである。古代文化で言えば、畿内の文化、九州の文化、中国地方の文化が入り交じり、総満艦飾というところである。さて道路事情だが、山間部は狭くて大型車の通行が多い。
山地が急峻な上、迂回路がない場合が多いからだ。しかし全体的には交通量は少なく、走りやすいといえる。歩道の段差は四県とも少なく、九州、特に福岡の強烈な段差に比べ、人と自転車に優しいといえる。気にくわないのは下り道のスリップよけの縦の線である。急な下りには必ずと言っていいほど切ってあり、マウンテンバイクならともかくロードレーサーでは恐怖だろう。
 香川県は過去に9回訪れている、それでも高松城は訪れていなかったので、四国の最後の訪問として行ってみる。この城は秀吉の四国征定後、生駒氏四代、以降松平氏が明治まで城主であった。天守閣は明治17年に取り壊されており、現在発掘調査が進行中である。残った櫓や御門も空襲で焼け、どうも当時のものは月見櫓、水手御門のようである。
 旭門から入ったのであるが、この門と枡形は素晴らしい巨石の切り込みハギで、コンクリートでつないであるのではないかと近寄ってみたほどだ。ところが桜御門は切り込みと打ち込みハギが同居しているのだ。途中で改修したものか。空襲時の焼け跡も残っていて生々しい。Img_5334
Img_5344Img_5341




左:旭門(切り込みハギ)  中:桜御門(切り込みハギと打ち込みハギが同居)
右:天守台 

 
  月見櫓の方に行って、珍しいものを発見する。かんかん石と呼ばれるサヌ カイトが石垣に使われているのだ。ほとんどの石は花崗岩なのだがその中に黒いサヌカイトの断面が覗いている。たたいてみると確かにカンカンと金属音がして、ニヤリとする。その黒い断面を見ると、かつて石器の材料として使われたことがよく解る。鹿櫓跡の方に歩いてゆくと、サヌカイトばかりの低い石段まで出てきた。二の丸跡の石垣にも少し使われているが、天守台には見あたらない。よく観察すると、低い石垣にしか使われていない。
強度的に問題があるのだろうか。また、お城の南側、桜馬場や旭門あたりでは見かけない。これは単なる偶然なのだろうか。Img_5350 Img_5347

月見櫓で見つけたサヌカイト、その右方にはサヌカイトだらけの石垣もあった。


 もう一つの高松城の特色は、堀の水は海水であるということだ。海とつながっているために、潮の干満に左右され、水門を設けて調節をしている。水門を覗くと、凄い勢いで海水が流れ出ており、引き潮の時間なのだろう。Img_5355
 高松城から数分のところにフェリー乗り場がある。高松、宇野間のフェリーは30分おきのフェリーが二社あるので、実質15分おきに出ているそうだ。私が初めて四国を訪れたときは勿論橋など架かっていなくて、宇高連絡船というのが本四間の主要交通機関であった。奇しくも今日乗った栗林丸というのはその時乗った船ではないか。名前だけで船は変わっているのかも知れないが、確認のしようがない。一時間で宇野に着く。やはり橋より船の方が旅情がある。ここで四国でお世話になった四国パスポートを廃棄する。四国四県で通用する割引券が着いており、大きなところでは宿泊料2割引なんてのもあってなかなかお得である。最近こういう類の冊子が流行みたいで、必ず観光案内所のようなところで確認すべきだ。割引もともかく旅のプランを立てるのに参考となるのではないか。Img_5333 Img_5364 Img_5367 Img_5371 Img_5376





左:玉比咲神社  中:由加神社  右:藤戸源平合戦跡

 武智君は私がトライアスロンの審判講習会で全国を回っているとき、鳥取の講習会に参加して資格を得て、その後各地の大会で活躍されたものである。
まじめな姿勢とポリシーのある態度で大変好感を持っていた。サイクルショップをやっているので、行くぞというメールは既に入れていたのだが、おどかしてやろうと思い、いきなりの訪問となった。仕事をしているところへ「こんにちは」なーんて行ったら驚いたこと、私がまさかツーリングしているなんて半信半疑だったそうである。ご両親も交えていろんな話が弾み、今夜は倉敷で一杯飲もうという約束をして、倉敷の宿に向かう。その間私の自転車をいろいろと手入れしてくれて、快調に走ることができた。ちょっとさわるだけでこれだけ調子が変わるか、さすがプロの技である。Img_5378 Img_5380

1万キロを走行した初恋号を手入れしてくれる武智君。

 宿に着くとすぐにシャワーを浴び、倉敷駅に向かう。倉敷らしい居酒屋で昔のこと、今のこと、未来のこと、楽しく話する。そういえば今日は走行1万キロを超えた日である。
 
 走行距離59Km 累計10,048Km 経費4,050円

★倉敷YH 一泊2,940円 スクエアガーデンの南の小高い丘の上にある。市街の夜景が最高。 Img_5381  
  
★峠列伝(56)由加の峠 岡山県県道62号線由加神社付近 困難度2 景色2 水場無し 歩道一部有り トンネル有り   長尾あたりから直線的に登っているので、結構きつい。Img_5372

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相栗峠 5/10

2007-05-17 | 旅行記

 2007.5.10(木)雨のち曇り   
  7:00 起床 
 9:00 美馬温泉保養センターで雨宿り、10:30発~県道7号線~相栗峠11:40~塩江~R193~
15:10 高松YGH着~県立歴史博物館

 朝方から雨が降っている、予報では午前中にあがって、晴れてくるそうだが食事が終わっても荷物が整っても降り続いている。いつでもスタートできる状態で雨宿りする。この美馬温泉は地滑り対策のボーリング途中に偶然発見された温泉で、昭和51年から地元の方々に愛されている。老人福祉施設となっており、お年寄りの方は無料のようだ。朝から続々と入浴に来られる。こういう施設のある地域は幸せだ。10時半になって、空はどんよりしているがとりあえず雨は上がったようだ。重い腰を上げる。昨日からの峠登りの続だ。首が痛くなるほど見上げる峠に、点々と家が見える。ここもえらいところに住んでいる。美馬温泉の職員さんがこの上から来ているというので、なんでそんな高いところに住むのかと聞いたが、はっきりした返事はなかった。本人も解らないのだろう。
 葛籠折れの細い道を登って行くと、村の小学校が現れる。生徒は10数名だとか、美馬温泉で聞いていた。その上にも家がぽつりぽつりとあり、これが最後の家かなと思い写真を撮るが、またしても家が出てくる。何回も同じ事を繰り返し、峠のそばまで家があった。
これはもう感動ものだ。美馬のマチュピチュと呼びたい。Img_5318 Img_5320 Img_5325





左:温泉の真上に小学校がある。 中:いくら登っても民家がある。 右:相栗峠

 峠を越えると香川県である。徳島県側に比して明るく開放的に感じるのは天気のせいか。
晴れてはきたが、とにかく寒い。ウィンドブレーカーの上に雨具を着て、まだ寒い。昨日は夏日、今日はそれより10℃以上気温が低い。そして強烈な西風だ。やがて奥の湯温泉に着く。駐車場をはみ出して、道路に多くの車が駐まり、ウィークディというのにえらい繁盛だ。この温泉も老人福祉の施設のようだ。Img_5326 Img_5329

香川県川は明るく感じる。右は奥の湯温泉。


 塩江で193号線に出合うとやたら大型トラックが増えてきた。道が狭いだけに苦しい走行、特に風が強くふらふらするのが怖い。高松市にはいると道路は広くなり、歩道も完備され安全に走ることができる。ただし、寒さと、横風に疲労は相当だ。
 宿に荷物を置いて、香川県歴史博物館にゆく。古代の石器にサヌカイトが使われていること、この地方独特の製塩土器、そして弥生時代の高地性集落が興味を引いた。弥生時代の高地に住む習慣が今に残っているとは思えないが、ひょっとしてその可能性も有りや無きや。江戸時代の古地図があり、大歩危部分の街道は現在の国道32号線沿いであり、先日の右岸の私の予想は怪しくなった。

走行距離51Km 累計9,989Km 経費14,660円

★高松YGH 4,130円朝食700円 ユースゲストハウスというのだが、ビジネスホテルと変わらない。 
  
★高松温泉 Na-Ca塩化物泉 循環、加温、 ホテルにあり、宿泊者は無料
  市街地での温泉は貴重、サウナ有り
★峠列伝(55)相栗峠 徳島県県道7号線 570m 困難度4 景色4 水場有り 歩道無し トンネル無し 県道7号線スタート地点から美馬温泉まで5Km、峠まで7,7Km計13Km弱の強烈な峠、道は狭いが通行はほとんど無く、安全。峠まで住居があるのに驚く。

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大歩危小歩危 5/9

2007-05-17 | 旅行記

 2007.5.9(水)快晴   
  7:00 起床 
 9:00 空音遊発~R32~R192~池田商家群~加茂の大楠~三加茂町立歴史民俗資料館~県道12号線~県道7号線~
16:35 美馬温泉保養センター着

 旅人の宿空音遊(くうねるあそぶ)は大歩危駅から祖谷に向かう県道45号線を少し登り、右の市道に入る。これはおそらく豊永までうねうねと続いている道で、国道が開通するまでの街道ではなかったか。確認する機会が無かったので残念だ。かなり登って、再度右の枝道を今度は吉野川に向かって、恐ろしく下る。将に転げ落ちるように下り、コーナー毎に民家や神社、お墓などがあり、その最終地点、川から100mぐらいだろうかの地点に空音遊は存在する。古民家の母屋とノリ君の寝起きする小屋、犬小屋、山羊小屋そして村の人々が集えるようにともう一つ小屋を製作中だ。眼下には吉野川が緩いカーブで続き、その間に石垣で作られたいくつもの畑が段になってせり上がっている。その石垣が例の緑色片岩で出来ており、大変美しい。「こりゃあまるでマチュピチュだ」というと「そうおっしゃる方が多いですよ、大歩危のマチュピチュと呼んでます」だって。
 吉野川流域のいわゆるマチュピチュ状態の家々を見たときに、よく崩れないなあと思う。恐ろしい傾斜で、和歌山の山中に似ているのだが、和歌山は毎年のように土砂崩れが起きているではないか。ここではそれらしい跡も見られない。よく見ると、草木の生えている表皮の下はすぐ岩盤である。まるで岩の上に立っているような村なのだ。降った雨をいかに効率よく吉野川に流すかという工夫もされているそうだ。土砂崩れが起きたら村全体が全滅するような地形だから、絶対に起きないという前提で、昔からの村づくりができたのだろう。もう一つ感動するのは石垣である。お城の石垣のように多くのお金と労力を使って作ったものでなく、村人が力を合わせてつくっていったものに違いない。見ると母屋を支えている大きな石垣は武者返しのように反っているのだ。これは石垣の強度の問題だそうだ。その石垣の間に、一枚岩を組み合わせて作った石段がある。これがまた芸術的と言うべき造りである。Img_5232 Img_5233

母屋下の石垣と階段


 後ろの山で、南に見える山の山影が私の好きな形をしており、「あの山の形はいいですねえ」と言うと、「そうなんですよ。あの山には岩場があって国体の岩登りの競技会場になったんですよ。」と言う答えで、彼もまんざらではないようだ。
 主のノリ君は千葉県の出身で、カヌーをやっていてこの地が気に入り、この空き家を購入し、4年前に宿を始めたそうである。すっかり村に溶け込んでいるのがえらいと思うし、「村の生活が最優先です」という言葉に、村を大切にして、またそうでなくてはやっていけない彼の信念が見えて、心強い。記念撮影をして出発する。いきなり、押し歩くことになるが、ちょうど村のおばちゃんがいて、いろいろお話をする。村の道もいまや舗装されて車が通行できるようになっているが、旧の道があちこちに残っており、それも一枚板の岩で出来ている石段だ。かつては稲作も行われており、村人は何もかも背に背負って往来したそうだ。この傾斜じゃ車も、牛馬も使えまい。
 坂が最も急なあたりに、村の神社がある。割れた銅鐸があり、明治の時代に鋳掛屋が割って溶かそうとしていたのを、村人が取り返したといういわれが書いてある。出土地については不明である。まさかこの地から出たとは思えない。Img_5237 Img_5206
Img_5240




左:スタイルが抜群の裏山、名前は忘れた。 中:神社に残る壊された銅鐸。 右:旧道


 大歩危小歩危は見ていて飽きない渓谷である。国道から見る以外に、遊覧船やラフティングをする方法がある。所々国道から降りて行く道もあるが、遊歩道のように渓谷沿いに行く道は無い。渓谷側に歩道が張り出していて、歩行者はよく見える。歩危(ぼけ)というのは変な呼び方だが、急峻で歩行困難な箇所をホケ、ホッキなどといい、それが訛ってボケとなったそうだ。
 大歩危は瀞が主体の渓谷で、遊覧船も航行が可能である。昨晩入った温泉のところに鯉のぼりが谷渡しにかかっており、大歩危の名所になっている。山林王赤川庄八氏が山林開発のため作った橋を、町に寄付をされたという。そのつり橋は自由に渡ることが出来、昨日の祖谷渓のかづら橋よりよっぽど値打ちがある。吊り橋からの眺めもすこぶる良い。 Img_5241 Img_5248_1 Img_5256





大歩危の風景

 小歩危は瀬が主体の渓谷である。よく見ると岩が崩壊しやすく元々渕であったところが埋まって瀬になっているようである。岩盤も固まりが大歩危より小さくて、割れやすいようだし、周りの山も傾斜が緩やかだ。太古からの水による浸食の度合いが違うのではないか。などと色々想像しながら眺めて行く。
  小歩危にも吊り橋があり、床の部分がグレーチングになっており、鉄枠越しに川が見える。早足で歩くと、この鉄枠が消え、まるで宙を浮いて歩いているように感じられ、ゾクッとする。これは面白いと思って、携帯電話の動画で撮影すると、目の錯覚はデジタルには通用しないようで面白くも何ともない。Img_5261 Img_5264 Img_5263





左:小歩危の風景 中:小歩危の吊り橋 右:甌穴(おうけつ)
 やがて小歩危も終わり、祖谷渓との出合いに着く。川は緩やかとなり、河原が広がる。
ゆったりと流れる川を見ていると、人生も終盤はこういう感じに落ち着きたいなあと思う。
 逆に国道は歩道が無くなり、緊張感が増すこととなる。四国を南北に結ぶ主要国道でもあり、木材の運搬車や大型のトレーラーが結構なスピードで走ってくる。信号がないからスピードが出るのだろう。
 池田に着くと、国道192号線と合流し、通行量は増すが、歩道に逃げることもできる。
池田はかつて高校野球の甲子園での活躍で名を挙げた町だが、伊予街道の交通の要所の町で、古い商家の町並みが残っている。大きな庚申塔が祭ってあったり、白壁づくりの商家が続いていたりして情緒のある町並みだ。Img_5273 Img_5279

池田の庚申塔と白壁の商家群


 国道に戻ると、広い歩道が出て気持ちよく走る。ところが1Km程行くと行き止まりとなっているのだ。両横は高い柵なので越えられない。仕方なく元のところまで戻る。最近道路に関しては怒ることが無かったが、久々に頭に来た。ちゃんと書いとけよな、と思うが、実は通行止めの柵が誰かに避けられていたようだ。
 辻の駅付近で薬師丘の大ケヤキなどの案内看板があり、昼食を兼ねてうどん屋で尋ねる。
場所は解らなかったが、うどんは美味しかった。高松から来たという、流石に本場のうどん屋さんだ。近所のおばさんに聞いても解らず、なんでも案内看板に書くなよなあと思う。
がっかりして加茂の大クスに向かう。これは地図にも載っている名所で、しっかり案内もあり、国道から4,500mのところにある。天然記念物だけあって、樹齢は千余年、目通り13mの大木である。樹容が優れていて武雄(佐賀県)の大クスのように穴が空いていたり、曲がっていたりしてなくて真っ直ぐに傘を開いている。立派な枝は、直径50mの木陰を造り、昼休みの人の格好の休憩場所となっている。
 三加茂(現東みよし町)には立派な歴史資料館があり、訪ねてみるが訪問客が少ないようで、名簿は4月の中頃で終わっている。町内の古墳などの展示があり、石器、土器、古文書など盛りだくさんである。加茂東原の石敢当は沖縄を思い起こさせなつかしい感がする。また木地屋の証文は本で読んではいたが、本物を見たのは初めてである。Img_5285 Img_5298

加茂の大クスと木地屋証文


 貞光を超えたあたりで川を渡り、美馬に向かう。県道7号線に入るなり緩やかな登りで、美馬温泉まで5Kmの道のりである。今日は真夏並みの暑さで、気温も30度を超え、ビールもロング缶、レギュラー缶、大瓶と一気に飲んでしまう。ごちそうさま。

走行距離72Km 累計9,938Km 経費920円

★美馬温泉保養センター 一泊二食6,000円 リーズナブルな公共温泉施設。職員さんも親切で、温泉もいい。
  
★美馬温泉 単純硫化水素泉 15℃ 無色透明、硫化水素臭ほとんど感じられず。
 循環、加温 一般400円Img_5315

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秘境? 祖谷渓 5/8

2007-05-17 | 旅行記

 2007.5.8(火)快晴   
  7:00 起床 
 8:25 緑の時計台発~R439~R32~R439~大豊町立民俗資料館~
R32~大歩危~県道45~
13:00 空音遊(くうねるあそぶ)着(徳島県三好市)~県道45~県道32~
祖谷渓谷かづら橋~県道32~祖谷渓~R32~空音遊着18:00

 緑の時計台はラフティング好きの夫婦がいつも仕事があるようにと始めた宿で、学校を借りるという発想は素晴らしいが、また、それが実現することが素晴らしい。部屋はなるべく学校のままを残し、お風呂やトイレは清潔に改造がしてある。自炊も調理室があるので完璧、石窯まであるのでいろんな事が出来そうだ。ランチルームの調度など女性らしい手が加えてあり、ほっとする。昨晩おふくろに電話したら、「学校なんて怖くないかい」と言っていた。そういえば子供の頃夜の学校って怖かったよね。忘れ物をして夕刻に取りに行ったことがあるが、廊下で後ろなんか振り向けない。そんな憶えないかな。私は小心者で臆病者なんだが、今回の旅でかなり変わってきたことがある。怖くなくなっているのも事実だが、怖くても行ってしまうてとこあるのだ。昨晩泊まった図書室など、広い部屋に、石膏のレリーフなどあって、一般的には怖いところかも知れない。でもちっとも怖くないのだ。
 酔っぱらってるせいもあり、あっという間に朝となる。他の部屋や施設を写真に撮り、
調理室でコーヒーを湧かし、菓子パンの朝食とする。奥さんが当地のみかんを持ってきてくれる。ありがたい、貴重なビタミンだ。ご主人が出勤だ。「出稼ぎに行ってきます」と明るく出勤、好きなことしている人は明るい。食事を済まし、準備をして奥さんから色々情報を得る。記念撮影をして出発、天気がいいと気持ちもいい。Img_5167 Img_5170 Img_5175





左:泊まった図書室 中:身体測定や理科の実験用具も残っている。 右:奥さん
 今日は距離的には楽勝なので、行きたいところをゆっくり訪問する。
 国道32号線を豊永に向かって北上する。途中大豊からの県道が合流する。しまった、これを来れば良かった。出発前に良く検討すべきだ。国道は交通量はさしてないが、狭い上に大型トラックが多い。高速を使ったら割が合わないのだろう、信号がないのをいいことに凄いスピードで走ってくる。かつての私は戦々恐々の状態であったが、今は悠然たるものである。後ろでブレーキの音やクラクションがあっても平気、道はてめいらだけのもんじゃねえんだ、みんなのものなのだ。
 先程から気になるのは、両岸の山の遙か上部にぽつんぽつんと家があることだ。山国では普通のことだが、ちょっと異常だ。なしてあそこに住むかなあ。というのは、今日の宿は時計台の紹介で大歩危の近くの古民家の宿なのだが、地図で見れば大歩危からすぐなのだが、例の状態だととんでもないこととなる。いまさら心配しても致し方ないので、最初の目的地、粟生山定福寺にある大豊町民俗資料館に向かう。国道439号線に入ると、緩やかな登りとなり、天神ヶ嶽という断崖に出る。天神さんが祭ってあり、断崖の底に川が流れている。少し休憩をして再度登り始める、やがて定福寺ユースホステルの看板に出合う。あれっユースホステルってあったかなと思うが、今はやっていないみたいだ。私なら絶対泊まるが、普通の人はちょっと来ない場所だ。着いたところは立派なお寺で、真言宗智山派粟生山定福寺といって山門からして由緒がありそうだ。建物総てお参りするが、民俗資料館なるものは見あたらない。庭の手入れをしているおじさんに聞くと、史料館の場所と管理をされている住職の所在を教えてくれた。住職から鍵を預かり、四方山話に花が咲く。この年で自転車旅行をしていることに随分関心を頂いて、住職の50代での八十八カ所参りの話やチベットへの旅行の夢などお話しいただく。特にこの美しい川の上流にダムができる予定であったという話は考えさせられる話である。住職が中心になって反対を唱え、村が二分されるという事態もあったそうだが、結局反対の意見が多く、川は守られたということである。日本中廻ってきて、美しい川、ついこの間まで当たり前であった美しい川が本当に無くなっている。岩手県、高知県の川は美しい。今やダムを造らない事だけでは美しい川は守れない。住民の一人ひとりが真剣に取り組まないといけないことなのである。 民俗資料館は住職が中心となり集めに集めた資料が12,000点あり、よくぞ集めたり、よくぞ分類したりである。この地域の文化の奥深さを感じられる。Img_5184 Img_5188
Img_5190







左:山の上に民家が点在する。 中:天神ヶ嶽  右:定福寺

 お礼を言ってお寺を後にする。収納された民具も貴重だけど、対面の山にみえる、人々の暮らしももっと貴重な文化遺産のような気がする。Img_5192 Img_5199

夥しい数の道具とお寺からの遠望

 昨日から気になっていたのだが、川は緑色のきれいな岩石が占めているのだ。愛媛では伊予の青石と教えてもらった緑色片岩である。四万十川では石灰岩が多く、そう気にしなかったのだが、ここでは主役である。この石がこの地方の文化を左右していると言ってもいいのではないか。32号線に戻ったところの吉野川の河原には夥しい青石が並び、壮観である。写真に納めようと思うが、そのうち幾らでもこの景色は出てくるだろうと、先を急ぐ。しかしこれほどの景色は遂に出なかった。

 清流に 溶けたる新緑 緑石    うとく
 
 大歩危に着き、宿にむかう。予想通り、えらい坂を登り、えらい坂を下る。転げ落ちるような斜面に今日の宿はあった。荷物を置いて、祖谷渓に向かう。空身とはいえ、えらい坂だ。そりゃそうだ平家の落人が隠れ偲んで住んだ里だ、ちょっくらちょいの山道では済まないだろう。途中に平家屋敷の史料館があり堀川家という平氏の筋の屋敷がある。古い茅葺きの屋敷に数々の宝物があるのだが、平家の面影のあるのは赤旗ぐらいか。
 ひたすら登り、長い祖谷トンネルを越えると、恐ろしく下って一宇に着く。平家落人の谷としてはあまりにも明るく、家々も立ち並んでいる。私のイメージとは大違いで、がっかりである。それどころかようようたどり着いたかずら橋は大きな駐車場やホテル、店が出て、大賑わいである。その上かずら橋は500円の入場料が必要で、馬鹿馬鹿しくて引き返す。あちこちに書かれている秘境という言葉がむなしい。Img_5213 Img_5215 Img_5217





左:平家屋敷堀川家  中:峠から祖谷渓方面  右:ご存じかづら橋
 ただ、ここから奥の東祖谷を遡れば、きっと期待どおりの景色が見られると思う。剣山に向かう祖谷川の上流こそ本当の秘境があるのではないか。
 時間も無いので、来た道を引き返したいのだが、どうも欲求不満である。祖谷渓を下って祖谷口に出て、小歩危大歩危峡を戻る事とする。一宇から下流は秘境である。離合も困難な道が、断崖の中に刻まれ、遙か下に祖谷の渓谷が見え隠れする。曲がり角の先から平家の残党が出てきそうな気味悪い道を、ひたすら走る。途端に駐車の車が増え、祖谷温泉が現れる。ケーブルカーで谷底に降りていく人気スポットだ。入るつもりだったのだが、車の量を見て止める。せっかく広がった秘境のイメージが壊れてしまうからだ。
 松尾川との出合いを過ぎると家が出てきて、渓谷も渕となってくる。きれいな渕だなあと思い、写真に納めるが実はこれはダム湖となっているためだ。「ダムができると川は死んでしまうよ。」という定福寺の住職のおっしゃるとおりだ。Img_5221_1 Img_5222 Img_5223





左:祖谷渓  中:小便小僧、冬は寒かろう。  右:大繁盛祖谷渓温泉

もうここに至っては祖谷渓もなんの魅力もない。祖谷口以降の小歩危大歩危は明日も通る道なので写真などは撮らず、ひたすら眺めながら走る。思っていたより素晴らしい景色だ。
 大歩危マートで夕食と朝食の材料を買い、急坂を登り返す。飯のあとは宿の主ノリ君に
送ってもらって大歩危のホテルまんなかの温泉に行く。きれいにリニューアルされた温泉で、客も少なくゆっくりする。

走行距離93Km(宿まで36Km) 累計9,866Km 経費8,548円

★空音遊(くうねるあそぶ)大歩危近くの4年目になる古民家民宿。宿泊のみ2,600円、温泉送迎着き3,100円(入浴料込み) 調理は設備が整っているので何でも可能。
大歩危駅周辺にショップがあり、大抵のものは揃う。風呂は五右衛門風呂が有るそうだが、温泉に行くのもいい。主の人柄か、人気が有りそうだ。Img_5239
  
★大歩危温泉 まんなか 単純硫黄泉(低張性弱アルカリ冷鉱泉)循環、加温、消毒
 無色、無臭 500円 露天風呂有り、岩盤浴や貸し切り風呂(有料)もあり。Img_5244

★峠列伝(54)徳島県県道45号線、大歩危から祖谷川に抜ける峠 困難度4 景色4水場有り 歩道無し トンネル有り 大歩危から登り続ける、つらい峠、峠のトンネルも狭くて暗い。

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お宝発見 5/7

2007-05-17 | 旅行記

 2007.5.7(月)曇りのち快晴   
  7:30 起床 
10:15 ホテルタウン錦川発~県道~旧関川家住宅~R32~根曳峠~大豊町の大杉
15:15 緑の時計台(長岡郡大豊町)~レトロお宝屋敷おおとよ

 ホテルタウン錦川は100円で朝食が頂ける。最近朝食無料のホテルが増えているが、朝が早くて食べられないときに、なんか損したような気になるので、こういうシステムの方がいい。メニューも豊富で三回食べても飽きない。今朝もいつものように食べていたら、スタッフの女性が「やっと晴れましたね」と声を掛けてくれる。三日前、ようやく予約が取れた話をしていると、「私がその電話とったのです、丁度五分前にキャンセルがありまして、自動車の方ならお断りしているのですが、自転車とおっしゃったので取れました」と話してくれる。いやはや危機一髪のところだったのだ。皆さんにお礼を言って出発、高知の町も三日も居たら名残惜しい、あちこち眺めながら、ゆっくり走る。国道沿いは面白くないと見て、県道を東北に走って行く。なんてことはない昨日の歴史資料館への道だ。このあたり愛宕山があり、逢坂峠があり、大津がある。薊野(あぞうの)のあたり史蹟コースの案内が沢山ある。椿神社はすぐに解ったが、一番見て見たかったノツゴ様はいくら探しても解らない。続いて一宮の太古橋というのに出合う。明治時代国道の新設に伴う苦労話が記述されている。次は土佐日記所縁の綱掛け松など歴史的に楽しい街道である。Img_5137 Img_5139 Img_5142





左:こういう案内が楽しい  中:紀貫之ゆかりの綱掛松  右:旧関川家住宅
 最高は重要文化財の関川家住宅である。道端にそっとあり、自転車でなければわからない文化財である。この住宅はいわゆる郷士の住宅で、土佐における郷士とは長宗我部氏の家臣で普段は百姓をし、いざ戦時には武士としてはせ参じる「一領具足」の武士なのである。昨日大川筋で訪れた上士(掛川からの家臣)との対比において興味あるところである。 まづ、屋根は茅葺きである。そして台所の裏に農作業をする土間があること、蔵が二つあり、米倉と用具蔵があること。用具蔵は武具が納められていたのではないか。私は郷士が薩長においても土佐においても幕末に重要な役割を果たしたことについて、現代にも通用する大きなキーポイントであると思っている。地元に根ざした者、土着した者が世界をも動かすということである。
 国道に出合い、いきなりの大峠である。根曳峠(ねびきとうげ)への道のりは久々に闘争心を奮い立たせてくれた。約7Kmの登りだ。大型車の通行も多く、歩道も少ない。
もうちっとも怖くない。登りに反して下りはそんなに下っていない。
 大豊トンネルのやたら長いトンネルを越えると、日本一の大杉の大杉に着く。400m登って大杉に行くと、200円の協力金が必要とある。大体、何が日本一なのか解らない。
高さなのか、太さなのか、樹齢なのか、金なんか取るなよな。馬鹿馬鹿しいから遠くから写真撮って帰ってきた。美空ひばりのなんとかもあるが、もっとちゃんと説明してよ。センス無いぜよ大杉はよ。Img_5148 Img_5150




峠手前から四国山地、大豊町の大杉


 緑の時計台という廃校の宿に荷物を置き、村の散策に行く。民俗資料館に行こうと思うがどこまで走っても行き着かない。穴打小学校のところに「昭和レトロお宝屋敷おおとよ」というのがある。骨董品やさんかなと思っていたら、個人の人が無料で開放している昭和レトロの博物館なのだ。昭和30年代の看板、道具、家庭用品、衣装、その他ありとあらゆるものが小さな民家に展示されている。こりゃあ下手な博物館より凄い。主が出てきてお話をする。「何年かかって集められたのですか」「半年じゃの」「えー」「どうやって集めたのですか」「みんないらんもんをくれよったのでの」なんて調子でただで集めたお宝がおしゃれにレイアウトされている。その種類たるや日本一だぜ。マブチモーター、よど号ハイジャック犯人手配ポスター、大阪万博入場券のボックスなどお涙もの。いろんなお話を聞いている間に奥さんがお茶を入れてくれる。こんな博物館無いぜ。本業は写真屋さん、いっぱい写真を取り合ってお別れする。テレビや新聞でもおなじみだそうで、連休には一日600人の訪問客もあったとか。「あんた変人やね」「あんたの方がよっぽど変人じゃきに。」大杉のつまらなさの反動か、この町の集客率No.1の人気施設となっている。 Img_5164 Img_5156 Img_5158




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おおとよレトロ館とくとご覧あれ。

走行距離64Km(昭和レトロ往復16Km含む) 累計9,837Km
経費2,335円

★緑の時計台 旧川口小学校校舎の宿 一泊3,500円 個人で学校校舎を宿としてやっておられる凄い夫婦。校舎はそのまま残っており、教材や図書、賞状や作品まで残っている。風呂や便所は清潔に作られており、安心して利用できる。Img_5152  

★峠列伝(53)根曳峠高知県南国市と香美市の間の峠、R32号線 410m 困難度4 景色3
水場無し 歩道一部有り トンネル有り 約10Km程登り続ける苦しい峠、大型車の通行も多く、トンネルも歩道無く厳しい。

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