2007.11.2(金) 晴れ
昨年の旅行で水戸の博物館に行ったとき(11月9日)それはもの凄いぎんなんであった。通路も庭もぎんなんだらけで足の踏み場もない。臭いも強烈で頭が痛くなりそうだ。何人かの人が拾っているのだが、焼け石に水と言うところだ。博物館側の管理は大変だろうと思うが、季節の風物詩ということでいつまでも残していただきたい。
さて我が家のぎんなん拾いも3回目となり、すっかり慣れてきた。最初の頃と違い数も多く落ちているし、果肉も腐ってすぐに実が採れるところがありがたい。調理法も研究し、紙封筒に塩と一緒に入れ、電子レンジで温めるのがいいそうである。あつあつのぎんなんを上燗で頂く、これ秋の最高の楽しみ。
おばちゃんの言うには一人5個までとか。
2007.11.4(日) 晴れ 草刈り機
岡村さんに頼んでいた草刈り機が手に入った。田舎暮らしの最も重要な機械である。鍬も付けて4,500円はお買い得と言ったところか。今年中にしなければならないことは、来年用の薪を集めること、そのための薪小屋をつくることである。草刈り、伐採が最初の仕事になりそうだ。
西村さんにもらった物置の材料を運び込む。家の基礎はしっかり出来上がって建て方を待つばかりである。広い敷地にはえらい小さな家のようだが、街中では大きなものなのだろう。
あっぱれ号に積まれた草刈り機と出来上がった基礎。
2007.11.1(木) 曇り
環境問題に関する書物を3冊読む。それも2回ずつ読んでしまった。いづれもペットボトルなどのリサイクルに対する批判、ダイオキシンや環境ホルモンなどに対する過去の騒動に対する批判、そしてCO2減少を温暖化対策とする京都議定書を疑問視する内容である。ペットボトルのリサイクル、それにともなう分別収集などは確かに問題がある。あわせてゴミ有料化と称し一袋40円ものゴミ袋を売りつけるゴミ行政には腹立たしさを憶える。そのお金が環境の保全に役立っているのなら我慢もしよう。しかしその証は何も示されない。
ダイオキシン、環境ホルモンなどもあの騒ぎは一体何だったのか。家庭に必ずあったゴミ焼却炉はすっかり姿を消した。自ら出したゴミは自らで始末をしていたのがいけないこと、危険なことと見なされたのだ。人が火を使い始めてから暖をとるため、調理をするため火を燃やし続けてきた。それが猛毒なら人類は滅亡しているだろう。環境ホルモンだってそうだ。マスコミは現在の少子化の原因を環境ホルモンによる精子の減少などとさえいっていたのだ。
最も気になる現象は温暖化に対する二酸化炭素の減少が企業や製品の宣伝にこじつけられていることである。二酸化炭素の増加のみが温暖化の原因ではないと思うが、それが必要以上にクローズアップされて、二酸化炭素さえ減らせばその企業や製品が優秀であるかの錯覚を憶えさせるのは危険な状況ではあるまいか。国に本気で二酸化炭素を減らす気があるならば現在の状況では無理だろう。経済成長を追い求めている限り困難である。
先日の新聞紙上に「京都議定書の目標値達成は困難に」という記事があった。その理由がこの夏の高温とか新潟の原電の停止による火電の稼働というのだから笑ってしまう。議定書の発効時から目標を達成できないことは解っているし、二酸化炭素の減少という大義名分が原電開発のお題目に利用されていることは明白である。
今日の新聞に「ダイオキシンは怖くないという嘘」という本の宣伝が載っている。1,890円もするので私は買うことが出来ないが、こうなるともう泥仕合で真実がなにかは解らない。真実はいくらでもあるという時代になったのか。