2011.3.18(金) 晴
暑さ寒さも彼岸まで、ということなんだけどいつまでも寒く、雪もまだ降りそうだ。この寒さが地震被害で避難している方々には如何ばかりかと思いやる。
さて大原についてだが、今回はその地名についての考察であるが、今後はその歴史や文化についても調べてみたい。それは連載中の奥上林大唐内とあまりにも酷似した集落と思われるからだ。前回の記事を(1)として今回を(2)という風に継続していきたい。
由緒ある大原神社がどういう訳で桑田郡の野々村庄樫木原村(現在南丹市美山町樫原)から遷宮したのかは解らない。福知山市史第一巻に「丹波志」に基づく大原神社の詳しい内容が書いてあるが、樫原(かしはら)にも大原神社があり、大原ではそこを『元社』(もとやしろ)と呼んでいるそうだ。地図で樫原を見てみると、大野ダムの右岸にあり、大原谷という小字がある。大原神社もその付近にあるのだろうが、訪ねてみないと解らない。
大野ダムの近くに移転されたみちしるべ。
ここで読みについて整理しておこう。
福知山市三和町の大原は(おおばら)
三和町の大原神社は(おおはらじんじゃ)
南丹市美山町樫原は(かしはら)旧名は野々村庄樫原村(かたぎはら)
美山町樫原の大原谷は(おおはらだに)
樫原の大原神社は不明
以上角川日本地名大辞典によるが京都市周辺にもある地名なので間違いやすい。
三和町の大原が美山町の大原(谷)に由来するものかどうかは確証がないが、どちらも決して大きな野原でないことは確かだ。
大原神社に参詣することを「大原指」(オバラザシ)といい、3月の春指(ハルザシ)、9月の秋指(アキザシ)には遠近の参詣者で賑わったとある。(角川日本地名大辞典)京都市の大原が大原女(オハラメ)のごとく小原であったというのと似ている。大原の大がことの大小を指しているのでは無いようだ。つづく
【作業日誌 3/18】
薪割り