2017.2.6(月)雨
長々と書いてきたことは実は本書の主題ではない。「ホロコーストに加担したドイツ女性」という副題のとおり、ホロコーストの加害者としての女性に焦点を当ててその行状と裁判の行方を示している。東部に赴いた教師、看護師、秘書、妻などの立場の女性が登場し、強奪や殺人を繰り返したにもかかわらずそのほとんどが裁かれることはなかった。その行状は凄まじく、読み進めるのもはばかれるほどであるが、本来非力で無垢な女性というイメージで罪に問われることは無かった。
世界中の女性が社会の表舞台に出ることは無かった時代に、重要な仕事をまかされ、小さいながらも権力も得られるようになったのが戦争だったのではないだろうか。そこへもってナチスのプロパガンダだから、彼女たちが殺人者となったとしても当然という考え方もあるだろう。しかし本書の中では良心からナチスの命令に従えず処刑された看護師なども紹介している。ドイツの戦後の復興と民主主義が反ナチズムを軸として行われたことを思えば、ホロコーストに加担した女性たちを断罪するのは必要なことなのかも知れない。
考えさせられることが多すぎてこの場では書き切れないのだが、戦争というのは不思議なものだ。ユダヤ人や捕虜を殺すと殺人者として裁かれるのだが、戦場で兵士を殺した場合はその数が多いほど勲章ものになるわけだ。兵士でなくて民間人を殺したことが犯罪なのなら、東京大空襲や原爆は一体どうなるのだ。戦争裁判は勝者が敗者を裁くものであって勝者がなした重大な犯罪にはなんのお咎めも無い、貝になりたい一兵卒でさえ死刑になったのに、、、。「それが戦争なのよ」ディタのお母さんの言葉が思い起こされる。
そんな時驚くべき新聞記事が現れた。つづく
【今日のじょん】雪に閉ざされた上林でゴンはどうしているかなーと通りがかりに覗いてみた。いやー雪の中で元気に走り回っていた。やれやれ、じょんは車の中でぬくぬくとしているのだ。