晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「ヒトラーの娘たち」-(5) 2/8

2017-02-08 | 雨読

2017.2.8(水)晴れ

 アウシュビッツなどのホロコースト現場の映像がはっきりと脳裏に浮かぶのはなぜだろう。もちろん現地に行ったことはないし、本の中に当時の写真があるわけではない。よくよく考えるとドキュメント「映像の世紀」、映画「シンドラーのリスト」で観た映像を憶えているようだ。その「シンドラーのリスト」のいわゆる「命のビザ」の真実は巷間言われていることと違うようだという新聞記事が掲載されたのだ。杉原千畝の研究者でもあるシモナス・ストレルツォーバスという歴史学者によって書かれた記事である。映画のストーリーでは、杉原千畝の「命のビザ」はリトアニアにいたユダヤ人をナチス・ドイツのホロコースト(大量虐殺)から救ったものとされているが、歴史の真実はどうもそうではないようだ。考えてみれば、いかに同盟国の大使とはいえナチスがそのようなことを見逃すはずはないだろう。杉原千畝は1940年の6月から8月下旬まで2千通を超えるビザを発給したとされている。ビザは一家族一枚で足りるので、約6千人のユダヤ人が救われたとされている。ところが事実は1940年の夏にはナチスによるユダヤ人の大量虐殺はまだ始まっていなかったということである。占領地の絶滅収容所が機能するのは41年以降だということだ。それでは杉原氏はいったい何のために大量のビザを発給したのだろうか。それはユダヤ教のソ連による迫害を逃れるためのものであったようだ。欧州では既にユダヤ人に対する迫害が始まっていただけに、彼らはソ連極東から日本を経由し中米を目指したというものである。宗教を否定するソ連がなぜ彼らの通過を認めたかというと、在米のユダヤ人による旅費の支払いが、外貨の不足していたソ連にとって容認する理由となったという説が出ている。
 結果として多くのユダヤ人をホロコーストから救うことになるのだが、杉原千畝の大量ビザ発給の理由について歴史的に語られていることと真実とは違うということである。
 このことは「ヒトラーの娘たち」にもいえることだ。彼女たちの罪について断罪するということはさておいても、その具体的な行状を膨大な資料から拾い出し、整理し記録することは歴史的にとても大きな意義があると思うのだ。そうしなければいつかは歴史の闇に消えていくことばかりなのである。おわり

今回4冊も借りてしまって、完読したのはこれだけ。

【今日のじょん】雪に埋もれて運動不足になりがちなので、出かけられる日にはおおいの芝生広場に連れて行こうと思う。とても寒い日だったけれど、歩くこと、走ること、こんな元気なじょんは久々だ。

 

 

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