2014.7.31(木)晴、夕立
磯貝氏と梅原氏も現地を訪問され、聞き取りをされているような文体なので、ウメバカの位置は同じなんだろうが、表現の仕方が違うだけなのだろう。では丸山の南側、西側のどちらかというと判断できない。思うに両氏の論文には取材元や取材の日付が無い、しかも全ての取材地に関しても図示されているものは一つも無い。このことが混迷している原因だと思う。
ウメバカの位置については、そこに埋葬していたのはそう過去のことではないので今後の現地調査で判明する事だと思うが、一応推理検証してみたい。
磯貝氏の言う、集落に面した緩斜面というのがウメバカの位置と予想する。梅原氏は磁石で確認されたわけでもなさそうなので方角を勘違いされたのではないだろうか。また、「すぐ右上」という表現も曖昧である。向きによってはどの方向も右上となるからだ。
さてこの丸山の南面、大乗院の石碑から上辺りの斜面をウメバカとした場合どうも腑に落ちないことがある。
現在の地形図を見ると、長野から上林川を渡り、志古田の集落に入る道は丸山の東側から真っ直ぐ南進しているが、陸地測量部の地形図にはこの道は現れていない。丸山の南裾を廻って集落に入る道が本道であり、これこそがかつての京道と呼ばれる大栗峠につづく幹線道路である。つまりウメバカはこの街道からまともに眺められる、南面の明るい斜面となるわけだ。しかも村人はウメバカの間を縫ってヒキバカ(詣墓)に詣るということになる。
ウメバカがあったとされる集落に向かった緩斜面から集落を見る。真下を通るのがかつての街道で左手の道は明治20年代には見られない。
ウメバカというのが死穢の忌避という点から考えるとこの位置は明らかに矛盾する。山上にウメバカがあり、この集落や街道に面した斜面にヒキバカがあればそれは極一般的な光景である。また、集落からも街道からも人目に付かない西側斜面にウメバカがあるとしたらこれも理屈に合った配地である。
しかし、このこと以上に不可解な事柄を梅原論文の中に見いだすのである。つづく
【今日のじょん】最近散歩路上に生ゴミや野菜類の端切れが落ちていることが多い。これは猿や鹿によるものでなく、アライグマ、アナグマ、ヌートリア、ハクビシンなどによるものと思われる。つまり生ゴミを不用意に置いていないか、不必要に野菜を栽培していないかということが問われている。
道の左端には卵殻、肉、その先にはスイカの皮があり、残飯。またこの季節あちこちにトウモロコシの食べかすが残されている。