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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(4) 志古田-4 7/31 

2014-07-31 | 歴史・民俗

2014.7.31(木)晴、夕立

 磯貝氏と梅原氏も現地を訪問され、聞き取りをされているような文体なので、ウメバカの位置は同じなんだろうが、表現の仕方が違うだけなのだろう。では丸山の南側、西側のどちらかというと判断できない。思うに両氏の論文には取材元や取材の日付が無い、しかも全ての取材地に関しても図示されているものは一つも無い。このことが混迷している原因だと思う。
 ウメバカの位置については、そこに埋葬していたのはそう過去のことではないので今後の現地調査で判明する事だと思うが、一応推理検証してみたい。
 磯貝氏の言う、集落に面した緩斜面というのがウメバカの位置と予想する。梅原氏は磁石で確認されたわけでもなさそうなので方角を勘違いされたのではないだろうか。また、「すぐ右上」という表現も曖昧である。向きによってはどの方向も右上となるからだ。
 さてこの丸山の南面、大乗院の石碑から上辺りの斜面をウメバカとした場合どうも腑に落ちないことがある。
 現在の地形図を見ると、長野から上林川を渡り、志古田の集落に入る道は丸山の東側から真っ直ぐ南進しているが、陸地測量部の地形図にはこの道は現れていない。丸山の南裾を廻って集落に入る道が本道であり、これこそがかつての京道と呼ばれる大栗峠につづく幹線道路である。つまりウメバカはこの街道からまともに眺められる、南面の明るい斜面となるわけだ。しかも村人はウメバカの間を縫ってヒキバカ(詣墓)に詣るということになる。
Img_2694
 

ウメバカがあったとされる集落に向かった緩斜面から集落を見る。真下を通るのがかつての街道で左手の道は明治20年代には見られない。

 ウメバカというのが死穢の忌避という点から考えるとこの位置は明らかに矛盾する。山上にウメバカがあり、この集落や街道に面した斜面にヒキバカがあればそれは極一般的な光景である。また、集落からも街道からも人目に付かない西側斜面にウメバカがあるとしたらこれも理屈に合った配地である。
 しかし、このこと以上に不可解な事柄を梅原論文の中に見いだすのである。つづく

【今日のじょん】最近散歩路上に生ゴミや野菜類の端切れが落ちていることが多い。これは猿や鹿によるものでなく、アライグマ、アナグマ、ヌートリア、ハクビシンなどによるものと思われる。つまり生ゴミを不用意に置いていないか、不必要に野菜を栽培していないかということが問われている。
P1030491 P1030509

 


道の左端には卵殻、肉、その先にはスイカの皮があり、残飯。またこの季節あちこちにトウモロコシの食べかすが残されている。

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上林の両墓制(3) 志古田-3 7/30 

2014-07-30 | 歴史・民俗

2014.7.30(水)晴

 志古田の両墓制だが、磯貝論文によると、埋葬墓はミハカと呼ばれ丸山の集落に面した緩傾斜地にあり、土盛りの跡も見られたとある。
 土盛りの周りに7本の竹を立て、これをトウバという。
 詣り墓はヒキバカといい、丸山の頂上に近いところにある。ヒキバカはカブバカでもあり株毎に区画されているようだ。このヒキバカは元々屋敷毎にあったようだが、明治29年頃に現在地にまとめられ、ソーバカとしたそうである。
 ミハカに詣るのは埋葬後ナナタイヤまで毎日詣った。ヒトタイヤとは7日のことでナナタイヤは49日のことである。ヒキバカの方にはミハカの土を一握り持っていくものであるという。
 前述の大乗院の石碑はミハカの入口あたりにあるようだが、磯貝氏は「ダイジゴ」「ダイショウゴン」に関連するのではないかと書かれている。
 磯貝論文は上記の通りであるが、両丹地方史第16号(昭和47年)「綾部市上林地域の両墓制について」(綾部史談会 梅原三郎)における志古田の墓制に関する論文(以下梅原論文とする)では少し内容が異なっている。磯貝論文と異なる点について紹介、考察してみよう。
 ウメバカ(磯貝論文の埋葬墓のことでいずれも記述のとおり記することとする)は丸山の西斜面の低い段で、すぐ右手の少し高い段の平地がヒキバカとある。ヒキバカは現在の墓地であろうから、丸山の頂上近く西向きに石塔の並んでいるところで間違いは無いのだろうが、ウメバカは磯貝氏は「丸山の側の緩傾斜地」とあり、梅原氏は「丸山の西斜面」とある。
 「丸山の側の緩傾斜地」といえば丸山の南面、南西面であって西面とは言いにくい。現在と過去の集落の位置が変わっていることも考えられるので、明治26年陸地測量部の地形図を調べてみると、集落の位置は現在と同じ様子である。気になるのは丸山の南東面、街道の脇に一軒建物があることで、地形的に大乗院の石碑の辺りかとも思える。
 ウメバカは磯貝氏は南面、梅原氏は西面と言っていることとなるが、磯貝氏は「に面した」という書き方をしておられるので、南面であることには間違いないが、それならば梅原氏は方角を厳密に測ることなく、西面と書かれたのだろうか。
P1030274  


現在の墓地、かつてのヒキバカとすると、梅原氏の説ではウメバカはこの墓の奥の下の斜面となるのだが、、、

 梅原氏のヒキバカに対する説明は、「(ウメバカの)すぐ右手の少し高い段の平地」となっている。磯貝氏の言う南面の緩傾斜地がウメバカとすると、ヒキバカはすぐ右手とは言いにくい。梅原氏の文面通りにとると、ウメバカはヒキバカの西側斜面を降った北寄りの部分となる。この辺りは植林の林で行ったことは無いのだが、一体どのようなところだろう。つづく

【今日のじょん】開店前の掃除をしていると山の中に猿の鳴き声がする。群れでいたので追っていくと山中に逃げてしまった。本来なら隣家の栗があるはずなのに、切り倒してしまって、ザマア見ろと思っていたところである。
 昼前に車庫の屋根で音がするので出ていくと、なんと先ほどの群れが畑に来ているではないか。収穫には少し早いカボチャに群がっている。慌てて追ったが、数個がやられた。ネットをしていたのだが、葉が茂って間に合わなくなっていたのだ。P1030506
P1030507


猿の食い残し、残ったのはこれだけ、トホホ

 それにしてもじょんは冷房の効いた家の中で知らん顔して寝ている。ここ一番役に立たない阪神の中継ぎのようなものだ。どうでもいい虫や鳥にはワンワン騒がしいのだが、、、、。
 

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上林の両墓制(2) 志古田-2 7/29 

2014-07-29 | 歴史・民俗

2014.7.29(火)快晴

 綾部高校研究紀要第二輯(しゅう)(昭和30年)に磯貝勇氏の「丹波地方及びその周辺における両墓制について」という論文がある。
 磯貝勇氏は綾部高等学校の前身の一つである綾部工業学校の校長として赴任してこられた方で、理系の方であるが民俗学に興味を持たれ、綾部在住時に多くの論文を書かれている。その研究をまとめられた「丹波の話」(昭和31年東書房発行)は綾部市を中心に民俗学的研究の集大成で実に優れた本である。
 綾部高校研究紀要第二輯は綾部市立図書館、綾部高校図書館に聞いても在庫がなく、府立資料館で複写させてもらった。この地方の両墓制に関する論文の中で特に科学的、論理的な調査をされていて、最も信頼できるものなので、本稿の中でも調査のベースとして使わせていただくことにする。(以下磯貝論文と記する)
 さてその磯貝論文の中に、「大乗院」の石碑についての記述がある。
 この石碑は還流丘陵(川の蛇行により取り残された丘状の地形、志古田、弓削、古城山など上林川には随所に見られる)である丸山の麓に在るのだが、一体何を表すのか解らなくて不思議に思っていた石碑である。郷土史などの文献にも現れず、人に聞いても今一つ要領を得ないものだった。
 石碑には「大乗院 文政六年末ノ十一月 世話人利衛門」とあるようだ。院というぐらいだから元々寺院でもあったのかと思ったが、磯貝論文の内容は意外なものだった。
P1030266


謎の大乗院の石碑
 
「昔、この志古田の通称木ノ下という所に寺があってそこに悪僧がいたが、これを桜の木に登らせてこれを鉄砲で打ちころしたが、これを供養したものであると伝承されている。」(ママ)
 かつて寺があったという部分だけは予想通りだが、後の話は随分物騒な話である。庄のや神さまの伝承といい、この地方では僧が随分と悪者になっているようだ。ずいぶんと悪い僧がこの地域に実際に居たのかも知れない。それにしても桜の木に登らせて鉄砲で撃ち殺すとはなんとも凄惨な事態である。そのうえそこまでして殺さねばならないほど悪い僧を、後に供養するというのもつじつまの合わない話でもある。
 伝承なんてそんなものと言われればそれまでだが、この立派な石碑は現実に存在するものだし、手間も費用もかかっているものである。従ってもう少し現実的ないわれがあるのではないかと思っている。この件については文献や聞き取りの調査を進めたい。つづく

【今日のじょん】今まで種の使い回しをしてきたゴーヤだが、あまりに成長が悪いので今年は新しい苗を3本買ってきた。順調に育ち、実も美味しくいただいているのだが、どうも蔓と葉の成長が悪い。ゴーヤのカーテンにならないのだ。この部分は朝日が強烈で、カーテンにならないとじょんが暑くてたまらないのだ。P1030504
 

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上林の両墓制(1) 志古田-1 7/28 

2014-07-28 | 歴史・民俗

2014.7.28(月)晴

 両墓制については既に6回にわたって書いてきたが(2009.8.11~2011.11.24)今になっても釈然としない思いがある。特に民俗学会で定説となっていると思われる「両墓制は石塔の発生に伴った現象で、近世以降の発生である」(こういう説が一般的であるかどうかも不安なのであるが)ということに対し訝しく感じている。祖霊に対する畏敬の念と死穢に対する畏れ、そして古代人の他界観を想像した時、両墓制の原点的な意識というのは、もっと時代を遡るのじゃないだろうか、形状的な墓制としても存在しているのではないかと想像するのである。ただ、読んだ文献もしれているし、真剣に取り組んだ事も無いのであくまで想像の範囲である。今一度研究してみようと思っているところである。
 それにしても両墓制のはっきりした上林の地においても、それは過去のこととして住民の意識から消え去ろうとしている。いやもう既に消え去っているのかもしれない。数少ない研究資料を収集し、現地の様子を記録し、住民の方々の聞きおぼえでも残っておれば記録して保存することが喫緊の課題であると思う。少なくとも全てが火葬となっている現在、両墓制は過去のこととなっているのだから。
P1030277
 

丸山の麓、大乗院の石碑から大栗峠を望む
 志古田(しこだ)は睦寄町の大字で、近世の志古田村である。角川日本地名辞典にも「両墓制が存在した」と記されている。
 大栗峠(おぐりとうげ)をめぐる幾多のルート、弓削道、(瀬尾谷道含む)、山田道(竹原道含む)、志古田道などの中で、志古田道が元祖京道だろうという説を大栗峠考の中で書いた。現在は上林川に沿った府道1号線が上林の交通の動脈だが、古代、中世は日本海と京を結ぶ山越えの道が主要であったと考えられる。大町、長野、志古田、草壁辺りは交通の要衝と言える。そういった観点で志古田を見ると新たな発見があるような気がする。
つづく

【今日のじょん】昨日からおかーが留守でおとーとふたり暮らしになっていた。おとーだけになるとなぜか殊勝な態度になる。はしゃいだり騒いだりは無くなる。でも、帰ってきたら大喜びしているので、やっぱりさびしかったのだろうか。P1030498 P1030501
 



おっ帰ってきよったと大騒ぎ。

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故障の季節 7/27

2014-07-27 | 日記・エッセイ・コラム

2014.7.27(日)雨、曇り

 年金生活者となると電化製品等の備品の故障はかなりこたえる。現役時代にはさほど気にならなかったのだが、臨時の出費というのは額の大小にかかわらず苦しい。しかも故障というのは予期しないで起きるから余計大変だ。
 一番故障の多い備品はカメラである。カメラだけは値段の多寡にかかわらず故障があるようだ。しかも修理費が高い。大体購入価格の8割程度が標準的である。買い換えた方がいいかなあと思わせる値段なのである。あまりによく故障するので、購入価格の5%で加入できる5年間保証をつけたら、2年目辺りできっちり故障して、保険の元は充分取れた。これは大正解である。
 さて今回風呂水のくみ上げポンプが故障した。6年間で2回故障なので、耐用年数3年ってところか。ところがこのポンプの故障はあまり腹が立たない。やむを得ないなあという値段設定なのである。ホース付きで2,000円あまり、ポンプのみで1,000円以下のものである。
P1030496


お風呂の水を洗濯に再利用する優れものなのだが

 今夜はやむなくバケツで汲み出して洗濯槽に入れたが、5往復の水くみは重労働である。これを1,000回やってもらったとして一回1円の勘定だからこれは安い。もう一度点検して、だめなら購入しよう。
 昨日の新聞にパナソニックのヒートポンプ給湯器がリコールという記事が載っていた。関係ないかと思っていたら、我が家のコロナの製品も対象になっていた。内容は塩分などによる腐食で圧縮機が変形、破損の恐れがあるというものである。現実に事故は起きていないようだが、問題は”塩分などによる腐食”である。
 新聞では、排水の不具合などで圧縮機の底に塩分を含んだ水がたまり云々とあるがどうも納得がいかない。塩分を含んだ水はどこから来たのだろう。
海辺や道路際なら塩分や排気ガスで腐食する可能性はあるのだが、一般的には考えられないことではないか。
 実は数年前、浄化槽の配管からガスが逆流して給湯器の基盤を腐食させ、基盤を丸ごと交換してもらったことがある。給湯器の排水は雨水管に流れるのだが、浄化槽の処理済み汚水の管とつながっている。つまり浄化槽で発酵ガスが発生するものなら、それは雨水管を伝ってヒートポンプ本体に入り込む可能性があるということだ。
P1020375


ヒートポンプというのはこれであります。
 リコールの際にここのところを問いただしてみたいが、このことが解決しない限り、故障の不安はつきまとうことになる。

【今日のじょん】暑い季節なのでドッグランどはお呼びでないと思っていたら、ミルクちゃんが来た。初めての時はこどもこどもしていたが、ちとたくましくなっているようだ。それにしても雰囲気がくるみちゃんに似ているなあ。

P1030493 P1030494
ゆきちゃんともなかよしできるぞ

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穴虫考(96) 香芝市穴虫ー18 7/26 

2014-07-26 | 地名・山名考

2014.7.26(土)晴 

 穴虫における特徴的な事象として現在の所、次のことが考えられる。
(1)近隣に古代製鉄遺跡、あるいは金属関連の遺跡や鉱山等がある。
   マキノ西浜穴虫、草津市馬場町穴虫、亀岡市千代川町穴虫、大津市穴   虫池等
P1020904


マキノ製鉄遺跡は穴虫から3Kmばかり離れているが、近隣にも鉄滓など発見されている。

(2)近隣に別所地名がある。
   マキノ西浜穴虫、大津市穴虫池、綾部市上杉町穴虫、姫路市大塩町穴虫等
P1020892


マキノ町西浜には別所と穴虫が隣接している。(写真左手が別所、右手が穴虫)
(3)近隣に渡来人居住の形跡がある。
  マキノ西浜穴虫、井手町多賀穴虫、宮津市小田宿野穴虫等

 これらの事象は現在メモで残している程度なのだが重要なことと考えられるのでファイリングしようとしている。まだ他にも共通項と考えられそうな次項もあるのだが不確定なので、とりあえず上記三項目を挙げたのだが、実に香芝市穴虫の大坂山口神社周辺は三項目とも該当するのだ。
 ゴボ山の東南にはカナヤ、金谷、西カナヤ、ヨキノクチなどの小字地名が見られ、大坂山口神社の主神は大山祇命だが境内社には金山彦命を祀っている事を見るとこの地域に金属の生産、加工の歴史があったと見ていいのではないだろうか。
 そして近隣に別所地名があるというのは別所ヶ谷の小字ではっきりしている。
 最後に渡来人居住の形跡だが、威奈大村骨蔵器の墓誌銘による埋葬地であるが、大倭国葛木下郡山君里狛井山崗と書かれている。高麗、巨麻、狛などコマと読む地名には高句麗人を主とした渡来人居住説が一般的にある。地形説をとる学者は氾濫原で河川の屈曲点という説を出しておられるが、少なくとも香芝市の穴虫辺りは大きな河川も無く、素直に渡来人の居住地と考えていいのでは無いだろうか。
 香芝市穴虫について書いてきたが、まだまだ不明な点がある。次回訪問をする際には、大字穴虫の中に小字穴虫が無いか調べたい。特に穴虫峠付近については調べていないので確かめたい。そして別所ヶ谷は果たして葬地であるか、つまりそこに葬地としての遺跡や文書が無いかなど調べてみたい。訪問しなくても出来ることは、穴虫地名がいつの時代に出てきたか調べることである。簡単なようでかなり難しい調査である。しかし熱意さえあればヒントぐらいはつかめないかと思っている。つづく

【今日のじょん】舞鶴、宮津で37度とか38度とかとにかく今年最高の気温である。さすがのじょんのびでも朝からカンカン照りで結構こたえる。スプリンクラーで水を撒いているのだが、焼け石に水。P1030488

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穴虫考(95) 香芝市穴虫ー17 7/25 

2014-07-25 | 地名・山名考

2014.7.25(金)快晴 穴虫考(94)は2014.7.14

 大坂山口神社、ゴボ山周辺を本来の穴虫と推測する今一つの理由は、今まで見てきた穴虫のいわゆる穴虫パターンと合致するからだ。穴虫パターンとは幾つかの穴虫に共通する地形的配置とでも言おうか、わたし一人が提唱する説で一般的なものではない。則ち、社寺などの祭祀場所ー谷や街道などで狭まった通路状の地形(穴地形と呼んでいる)ー葬地となっているパターンである。
 穴虫という地名は麓の祭祀地に着いている場合が多い。また、葬地というのは葬地、墓地を表す地名がある所で現実に葬地であるという確証は無い。
 穴虫パターンが偶然なのか必然なのかもっともっと調査地を拡げないと判断できないのだが、大坂山口神社ー参道の谷(別所谷と思われる)ー別所ヶ谷地名というパターンは将に当てはまるパターンなのである。P1030213
P1030208P1030207_2 
 

祀場所(大坂山口神社)~穴地形(参道の谷)~葬地(別所ヶ谷地名)

 ただ問題は、大坂山口神社あたりに穴虫という小字地名は残っていないこと、威奈大村骨蔵器と穴虫地名は関連が無いということである。つまり威奈大村骨蔵器が埋葬された時には穴虫という地名はなかったと考えられるのである。
 威奈大村骨蔵器発見地はゴボ山周辺という説が有力だが、その後もその辺りが葬地として存在したと考えても不自然では無い。別所ヶ谷とはまさに葬地としてつけられた地名なのではないかと思うのである。
 別所については別項「別所探訪」で探究しているところだが、基本的に産鉄の地という感触を得ており、柴田弘武氏の言う蝦夷俘囚の移配地というのは確証が得られない。しかし往生地、墓地という説も根強くあり、一部は柴田氏も認めておられるところである。すでに訪問を重ねている、菟原中別所(福知山市三和町)や小山別所(南丹市園部町)など産鉄の地としての確証は無いが、葬地、墓地としてははっきりしているのである。つづく

【作業日誌 7/25】
 隣家の栗の木伐採、玉切り

 【今日のじょん】あれ~トマトが落ちてるぞ、、、、
P1030483
ありゃあトウモロコシがすっかりやられてる。
森井さんとこの畑、もうそろそろ食べ頃かなと思っていた矢先にやられてしまった。カラス対策として鹿ネットを掛けておられたようだが、アライグマだかアナグマだかこういった類いの動物には効果が無い。トマトも右手のネットの下から取ったみたい。P1030484

 

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じょんのびアラカルト’13.7続々々編 7/24

2014-07-25 | 日記・エッセイ・コラム

2014.7.24(木)晴

 究極のウェア
 速乾性だのクール素材だのスポーツウェアには涼しいウェアが揃っている。確かにゴルフやサイクリングなどスポーツをしている時には涼しく感じる。ところが家でくつろいでいる時これはいただけない。肌触りは悪く、ちっとも涼しくない。そこで暑い日の家に居る時の最高のウェアは?と考えるとランパン、ランシャツなのだ。ランパンはインナーがついているのでパンツをはく必要が無い。そして通気性はピカイチなので、これだとクーラーいらずである。難点はそのまま仕事が出来ないのと、出かけるのもちと勇気が要ることだ。
P1030487_2
 くつろいでいる時はそれで良いとしても、庭仕事や畑仕事、草刈りなどの仕事をする時は長ズボンが必要である。あまりに暑いので短パンで畑に入ったらひどい目に遭った。虫刺されと草のイガイガでかゆくてたまらない。従来は綿のジャージを愛用していたが、裾が絞られていて結構暑い。作務衣のような涼しそうなズボンは無いものかと探していたら、恰好の作業ズボンがあった。
P1030473


690円は安い
 綿とポリエステルの混紡で薄くて裾開き、腰はゴムが入っているが紐もついている、前開きも付いていてなんと690円。庶民の味方ダイコーでの購入である。試しに一本買って使ってみて、良好なのでもう一本買ってしまった。
 軽くて涼しくて安い、ステッチが貧弱そうなのが気になるが、いまのところは最高の作業ズボンである。

 夏野菜万歳
 トマト、キュウリ、ナス、ゴーヤ、オクラ、三度豆、ピーマン、カボチャ
 この夏の野菜だが、ナスだけはどうも出来が悪い。夏野菜は食べて涼しい、身体を冷やすというが冷えて欲しいのだからそれでいい。陰だの陽だのおっしゃる御仁にはとんでもない食べ物かも知れないが、こんなに美味いものを食わない手はない。
P1030474


鶏肉と竹輪以外は畑で採れたもの。美味いはずだぜ。
 涼しいものと言えば、大葉と茗荷が最盛期である。実はこれ、栽培しているわけでなく、勝手に生えているものである。大葉などはあちこちに生えていたのを畑の一箇所にまとめたら恐ろしく増えて、毎年種が落ちで群生している。
 茗荷も一部買って植えていたら周囲にいくらでも生えていてあきれかえったのだが、どうも野生のものは色が悪くてまずいと思っていたら、これは収穫時期の問題であることが解った。つまり昨年までは茗荷の芽がしっかり現れてから収穫していたのだがそれでは遅いのだ。土の中に探さねばいけない頃に採ると色も赤く、ぷっくりと締まっていて味もいい。
P1030479 P1030480
 


蛇の恐怖におびえながら潜り込む、宝探しみたいで楽しい。
 大葉や茗荷を薬味として使うことで食欲も増し、涼しさも増すことである。買えば高いこれらのものをちょいと採ってきて使えるのは田舎暮らしの妙味である。おわり

【作業日誌 7/24】薪割り

【今日のじょん】
 最近天ぷらをする機会が多くなった。茗荷や大葉のてんぷらも美味い。問題は油の処理なんだが、専用吸い取り繊維で吸い取って捨てたりしていたのだが、畑に撒くと肥料代わりになると聞いて、花壇などに撒いている。
 昨晩も少し庭に撒いたら、きっちり何者かが来て掘り起こしていた。よほどいい匂いがするのだろう。というわけで畑に撒くのは止め、庭に縦穴でも掘って捨てるか。P1030478

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じょんのびアラカルト’13.7続々編 7/23

2014-07-24 | 日記・エッセイ・コラム

2014.7.23(水)晴、曇り

 じょんのびクールビズ
 本格的な夏がやってきた。上林の夏は京都の夏に比べれば問題にもならないが、慣れてしまうとそれなりにつらいものである。しかし、どうせ逃げられない暑さなら、夏を楽しんでみようかという気持ちでいる。「暑い、暑い」とぼやいて過ごすより、暑さを楽しんだほうが絶対に得だよね。そこで登場するのが暑さを楽しむアイテムである。
 クールビズというのは今や一般的な言葉だけれど、これってお上が勝手に決めた指針なのを知っているだろうか。夏の暑さに対する対処法ぐらいは自分たちで決めるべきでは無かろうか。民間や産業界で提起すべきだと思う。
 クールビズの最たるものは、ハワイのアロハシャツだと思う。ハワイでは空港もホテルもショップも役所もみんなアロハシャツでとおっており、それでいて何の違和感もない。アロハシャツって日本移民による和服からの転用というからこれまた驚きである。貧困故の発明といえばそれまでだが、なんという素晴らしい文化のスタートだろう。そしてハワイよりも湿気が多い、蒸し暑い日本で革靴にジャケット、ネクタイスタイルで営業マンが仕事している。これって変だよね。と言うわけでじょんのびはじょんのび独自のクールビズを行うぞ。政府指針なんてメジャねえ。
 暑気払い
 「植木屋さん、柳蔭をやってかい」落語青菜に出てくる一節である。古典のクールビズの最高峰である。現在の最高峰は、「のどごし生、Ice製法」である。ビールほど人類に貢献した発明はないと思うのだが、このIce製法はさらに優れた発明である。アルコール濃度は1%下がっている、その他に何が変わったのかは不明なのだが、冷たくて涼しくさわやかなのである。本体の温度は変わらなくても涼しさを感じさせる、現代の柳影と言っていいのだろう。P1030476
 



 ブルーキック
 ニチバンの製品だが、製造中止になっている。ボディパウダーは数あれど、涼しさ、清涼感を満喫できるパウダーは少ない。というよりこれしか知らないのだが、買い占めしていたブルーキックが残り少なくなって、いよいよ薬局で探さなければと思っている。
 要するにメントールとサれチル酸が入っていると言うだけのものだが、新たな製品を探さなければ、、、。つづく
P1030482


最後の一瓶

【作業日誌 7/23】
シマトネリコ植え替え
薪割り

【今日のじょん】じょんもクールビズでアイスノン枕を用意してもらった。気持ちよく寝ていたのだが、写真を撮ろうとすると起きてしまうので、映像なし。
 

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じょんのびアラカルト’14.7続編 7/22

2014-07-22 | 日記・エッセイ・コラム

2014.7.22(火)晴れ、曇り
 
 梅雨も明けたようで本格的な夏というところか。久々におおいのプールで汗を流した。ここんところ運動というのが月2回の水泳だけになっており、そろそろ自転車も乗ろうかなと思っている。
 大岡裁き
 府道51号線菅坂峠を通行する人なら誰でも知っている沿道のアジサイに異変が起こった。この6月に撤去するよう府の土木事務所の立て看板が立った。看板の要旨は、このアジサイが道路法に違反しているので伐採、抜根せよというものである。アジサイが植わっている箇所、実に15本の看板が立てられた。P1030245 P1030246

 

6月24日の状況、このブルーが特別で、この道を通る誰もが楽しみにしている。
P1030340P1030337P1030334   


7月4日通ったら、こんな無粋な看板が立てられていた。そして7月15日通ったところ、看板は撤去され、アジサイは剪定されて残されていた。

 実はこのアジサイ、私たちが綾部に来た時はもう
あったから、6年以上前からあることになる。奇特な方があの殺風景な府道の法面に私費を投じ、苦労を重ねてアジサイを植えられたのだろう。この道を通る誰もが時季になればそのアジサイに魅了してきたのである。それをいまさら、道路法云々で撤去してどうするのか。府はその後に今まで以上の景観を保証できるのか。
 土木事務所だか、府知事にでも電話するかとかみさんが息巻いていたが事態は妙な方向に動いてきた。抜根されるはずのアジサイがそのまま、剪定されて残されているのだ。例の看板は撤去されて花の終わったアジサイは残された。
 道路管理者も道路清掃業者も道路利用者もすべてが納得するだろう今回の措置が府側の結果であったなら、これこそ大岡裁きの名声を得ることだろう。

 獣害対策・隣家の栗の木を伐採
 隣家は空き家なんだが、畑をしたり草を刈ったりで週一回ぐらいは世話に来られていた。野菜や筍、栗、柚など常にいただいていてありがたかったのだが、高齢のために来られなくなった。そこで困ったのが、実のなるものである、特に栗は実がなれば猿、実が落ちれば猪と獣のターゲットになっていた。連日群れなしてくるので、とりあえず追っていた。隣家の栗だけ狙ってくるのならともかく、我が家の畑にまでやってきて野菜やシイタケを襲撃する。それでも収穫に来られて全ての実を落とされたらもう彼らはやってこない。それまでは連日の猿追いに追われるわけだ。そんな地元に住むものの苦労と悩みを知ってか知らずか、「よい栗がなりますんで採ってくださいよ」といって挨拶に来られた。その時に伐採のお願いをしておけば良かったのだが、後日になってしまった。電話で事情を話すと理解していただいたようで了解がもらえた。やはり昨秋、柿の木に熊が襲来したことがきっかけである。猿や猪は腹立たしいだけだけど、熊は命の危険性さえ感じる。
 了解をもらってすぐに伐採にとりかかる。まだ全ては終わっていないが、この夏は奴らの襲来におびえなくていいかと思うと、晴れ晴れしい気持ちだ。
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バンバン切って、すっきり。
 しかしこの問題は我が家と隣家だけでなく、村全体の問題だと思うのだが。

【今日のじょん】今日は一日お留守番で、一体何をしていたのだろう。帰ってきたら眠そうな顔してるので、一日寝とったかなとも思えるが、その後しっかり寝てるので、頑張って番犬していたのかも知れない。
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帰ってきたら嬉しそうに散歩にいきやした。2階から。

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じょんのびアラカルト’14.7 7/21

2014-07-21 | 日記・エッセイ・コラム

2014.7.21(月・祝)晴

 徹底草刈り
 従来の草刈りに加えて、府道側の溝とじょんのび谷をしっかり草刈りすることにした。加えてドッグランどの内外の草刈りは週一回としたので、6月以降草刈りは連日の作業となっている。
 と言っても午前中のみの作業であり、雨の日や都合のある日は出来ないのでその分だけ遅れが蓄積される。今は谷の部分が遅れており、あと一週間もすれば手のつけようが無くなりそうだ。
 問題は草引きだ。これはもう時間が無い。本来は草引きをしなければならない芝生なんかも草刈りでお茶を濁している。ティフトンだけは育成中なので本日草引きをした。
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府道の草刈りは今年もへたくそ、東綾さんの時はぴかいちだったのだが、、
 M2
 昨夏、物置の南西、東北門でマムシ発見、どちらも取り逃がしてしまった。その後目撃することなく、どうしたことだろうと思っていたら昨日南西角に再度現れた。1年たってやや成長しているようにも思える。棒きれを取りに行ってる間に隠れてしまった。昨年とすぐ近くに出現したのでその辺に棒を置いておくことにした。するとだ、じょんの散歩に行く前にやっぱりいるではないか。準備した棒を持って近づくとスッと薪の中に逃げてしまった。なんと逃げ足の速いマムシか。なんとかしないと畑作業が危なっかしくてやってられない。何度も現れるのはその辺に巣くってるに違いない。
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昨年はこの塀の下で日向ぼっこしていた。昨日は右に回り込んだ薪と畑の間。
 散歩から帰るとまたしても出てきていた。間抜けというかしつこいやつだ。このチャンスを逃すわけにいかない。兼ねて用意の棒きれで押さえ込む。首根っこを押さえたが凄い力で逃げるので胴の部分になってしまった。
 棒一本では仕留められない、かみさんが近くに居るのだが超蛇嫌いのこととてアテにならない。片手で押さえて、もう一方の手で竹の棒を拾いこれで頭を潰して仕留める。丁度枯れ草があったので火葬にしてやりましょう。ナムアミダブツ。これでM2である。M1は2012.8.14参照。
 ところがこのM1も2年前に発見して逃げられたものだった。(2010.10.12参照)蛇は執念深いと言うけれど、人間のほうがより執念深いものだ。つづく
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M2、中尾さんはみないでネ
【作業日誌 7/21】
薪割り(玉切り)
草刈り(ドッグランど)

【今日のじょん】マムシ退治で今日のじょんどころではなかったのだ。

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雨読 謎の古代ー京・近江 7/20

2014-07-20 | 雨読

2014.7.20(日)曇り

 京都新聞創刊100周年記念シンポジウム「謎の古代ー京・近江 京滋文化の源流を探る」河出書房新社1981年初版 古書

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 京都新聞の創刊百年を記念して開催されたシンポジウムの内容に加筆されたものをまとめて出版されたものである。謎の古代というタイトルで、なぜ京・近江なのか、古代の京都、滋賀どちらも重要な位置を占めるが、そこには時間的なずれがあって、大局的なところで両府県の脈絡があるとは思えない。ところが京都新聞の販路は京都府と滋賀県なので、京滋文化の源流云々というサブタイトルになっているようだ。従って京都は京都、近江は近江で語りたい先生方が苦労されている様子がうかがえる。
 登場される方々は上田正昭氏、梅棹忠夫氏、梅原猛氏、桑原武夫氏、林屋辰三郎氏、森浩一氏など著名人ばかり15名で、実にそうそうたるメンバーである。そのうち11人が京大卒で古代史における京大の層の厚さというのは絶大なようだ。
 内容についてはあまりにも盛りだくさんで、読んでいる最中には大変興味深く感じるのだが読み終わると一体何だったのだろうという感じに陥る。それはやむを得ない、15人による論文や討論が16種類書かれているのだから。この京都新聞創刊百周年記念シンポジウムというのは昭和54年11月第一回に始まり翌年2月まで5回開催されている。本書一冊で、5回シンポジウムに参加したと同様の値打ちがあるのだが、総満艦飾的にならざるを得ない。
 しかし本書の良いところは、遺跡であれ、政治的舞台であれ、基本的に京滋の中での扱いであることだ。京滋に居住するものに限られることだが、登場する場面や場所がすべて知っている土地だということだ。そのことは内容を理解するのにすこぶる有利な条件となる。知っている土地で知らない事件や事象が起こっているということは大変興味深いことだ。
 今回具体的な内容に触れることは出来なかったが、最後に桑原武夫氏の「私たちの京都」という講演の中で、古代史、古代学が大流行している事について面白いことを述べておられるので紹介しておこう。
 古代学が流行する理由のひとつは、生活が豊かになったこと、つまり古代の研究なんて金儲け、生産性などにはまるで関係しないことだということ。もう一つは天皇制のタブーが無くなったこと、騎馬民族説が正しいとすれば天皇家はツングース系であるなどと言えるようになったということ。
 古代学が流行っている基本的な理由は、それが科学的だからといっておられる。しかし古代学の流行は現実からのエスケープにもなり得るとして、古代学だけに国民や京都市民の関心が向いていては、われわれの京都はどうなるのかという心配を前置きとして話しておられる。
 シンポジウムの主催者にしたらとんでもないような内容になるのだが、実に辛辣に京都、京都人のあり方を提起されているのである。

【今日のじょん】暑いのでドッグランどの利用もないだろうと高をくくっていたら、アレックス君(8ヶ月)がやってきた。若いだけあってボール遊びも俊敏なこと、じょんもあんな頃があったんだなあ。P1030465 P1030467
  

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上林たんけん隊 蒼島(5) 7/19

2014-07-19 | 上林たんけん隊

2014.7.19(土)曇り、雨

 7月15日(火)蒼島神社祭礼行程表
 じょんのびスタート 7:30
 加斗松原の海岸着  8:30
 桟橋スタート    8:50
 蒼島着       9:10
 祭礼        9:30
 加斗海岸着    10:15
 じょんのび着   11:30

 祠の前後に大木が倒れている。周囲の木々に比べてだんとつに太い木なので寿命で倒れたのだろうか、災害ならば他にも倒れていそうだがとなにかと想像する。聞くとどうやらタブノキだそうだが、祠にかかっていればひとたまりも無いだろうと思う。この木が倒れたことは加斗の村の人も知っていて、蒼島山頂辺りの形状が変わるほどの変化であったと言うことだ。

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祠をかすめて倒れたタブノキ、右は祠の下。根の拡がりがよく解る。

 事前に蒼島の植生について下調べをしたが、樹木の種類を見分けるまでにはいかなかった。やむなくポケット図鑑をしのばせて渡島したが、図鑑を見る余裕もなく、また、見たところで種類が解るようなものではなかった。
 帰ってから図鑑やネットの画像など見比べているのだけど、それぞれ違った画像があったり、似たようなものがあったりで特定するのは困難である。身近にあって、葉の形や実の様子など熟知して初めて解ることで、ちょいと見で解るようなものではない。
 後で調べようと撮りまくった写真が何とも空しい。どれ一つ特定できないのだ。
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 何で木の種類を知りたいのかというと、これから若狭や丹波、丹後の森を調査したいと思うからだ。森というのは大島のニソの杜などに代表される民間信仰の聖地とでもいえばいいのだろうか。沖縄では久高島のクボー御嶽(うたき)をはじめ名も無い御嶽を見てきた。これらも森の一種であろう。そして上林の老富町で聞き取りをした時、大唐内に数カ所の森があることも聞いた。森ではないかと思われる数カ所も知っている。
 この地方のこれらの森の元祖が蒼島ではないかと思うのだ。
 宮役をされている西尾さんに、「来年も宮役をしていますので、またお詣りしてください」といわれた。「また、お願いします」
 それまでに一杯課題を持って蒼島に行こう、少なくともタブノキ、ナタオレノキ、スダジイぐらいは確定できるようにしておこう。たった半日の行程でこんなに沢山プレゼントのある弁天さまにまたお会いしたい。おわり
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さよなら蒼島、また来年。

【作業日誌 7/19】昨日伐採の木を搬入
【今日のじょん】昨晩は夕立の雷が引き続いて鳴り、怖かったみたいだ。小さい時は雷もちっとも怖がらなかったのだが、大きくなって怖くなるというのは何だろう。ウロウロそわそわしている様子が窺え、ゴミ箱もしっかり放り出していた。朝のこのちょー情けない顔を見ると様子がわかるでしょ。P1030458
 
  

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上林たんけん隊 蒼島(4) 7/18

2014-07-18 | 上林たんけん隊

2014.7.18(金)晴、夕立

 蒼島神社までの急登は先行部隊の役員さんによって草刈りなど済ませて整備されている。といっても年に一度訪れるだけなので、荒れた道だ。宮役さん達は正装の上、革靴の方もあって大変そうだ。それにしてもこの腐葉土はなんだ、元々は岩の島だったのだろうが広葉樹林の落葉でこんなに凄い腐葉土が出来るのだ。真っ黒でふかふかの腐葉土が蒼島のジャングルを養っている。
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勝手に写った足下、腐葉土の様子が分かる。
 やがて頂上の祠に着く、先行部隊が祭礼の準備をしている。神主さんも正装して、祠横のござの上で祭礼の準備をされている。御幣を榊に取り付けたり、お供えをしたり、こういうことは神主さんの仕事のようだ。この風景、どこかで見たぞと思い起こす。そうだ高知県物部町のいざなぎ流の神事の風景だ。いざなぎ流の場合は神主ではなく、太夫という。
 お供えは餅、野菜、果物、昆布、御神酒等々でやがて祭礼が始まる。長い祝詞があるのだけど、蒼島神社のいわれがあるはずと注意して聞く。弁才天は後世に祀られたのではないかと予想していたのだが、果たして祝詞の中に綿津見神の名が出てきた。おそらく元々の神は綿津見神(海神)でこの地にたどり着いた海人族の信仰であると思う。
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祝詞、玉串奉納

 祝詞が終わると玉串の奉納で、各地区の宮役さんが順に奉納され、余った二つを他所から参拝のわたしと鈴木さんといったか、例年参拝されている方が行った。
 さて気になる天然記念物の植物群落だが、密かに山渓のポケット図鑑を持ってきたのだが、開いてみる間もないし見たところで解らないだろう。キョロキョロウロウロしていると村の人が、「わたしもよく解らないのですが、あの白いのがナタオレノキですよ」と教えてくれた。「祠の横で倒れている大きな木は何ですか?」「タブだな」てなことで、ナタオレとタブは解った。つづく
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白い幹がナタオレノキ、鉈の刃も折れるぐらい硬い木だそうだ。

【作業日誌 7/18】隣家の栗、柿伐採(獣害対策)
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これでこの夏の猿うつは避けられそう。

【今日のじょん】最近ぽんぽこぽんしてもラストんしてもすぐに帰ってこない。ワンワン運動会以前の問題だ。「もっと遊んでくれい」というのか、「暑いからやってらんねえよ」といってるのか、それともなにか、、、、。とにかく早く帰ってこいP1030454
 

 

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上林たんけん隊 蒼島(3) 7/17

2014-07-17 | 上林たんけん隊

2014.7.17(木)曇り

 9月に訪問予定となったので、落ち着いて情報を集めるべくネットの中を探っていると、蒼島の祭礼が例年7月15日に行われているという情報があった。さっそく小浜市の観光協会に問い合わせると、加斗(かど)の公民館を紹介してくれた。そして後日公民館から「当日の9時に船がでるのでお詣りしてください」という返事をいただいた。
 てなわけで15日の記事のとおり憧れの蒼島に渡れることとなったのである。
 蒼島は小浜市加斗にある周囲800mの無人島で、頂上に弁天様を祀る蒼島神社がある。周囲は岩壁と岩礁に囲まれており、北方に貫通した洞窟がある。
 蒼島の特長は照葉樹林の森で全島を覆っている樹林は「蒼島暖地性植物群落」として一括して国の天然記念物になっている。タブ、スダジイ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ、モチノキ、シロダモなど暖地系の植物が77種あるというが、ナタオレノキは自生するものは最北限とされている。かつては九州の遠賀川流域が最北限だったそうだから、大発見でもあり不思議な生態でもある。
 民俗学者谷川健一氏の青の島の論説により葬地、墓地といったイメージが先行し、幾つかの本の中にも、ネット上の記事にもそういった風のものが見られる。しかし谷川氏の書かれたもの熟読すると、葬地というのは本質的なことではなくて、先人の最も大切なところ、崇高なところ則ち聖地であって、そこに先祖の魂を祀るというのは当然の事という風に理解できる。
 従って興味本位に遺骸を運んだところ、葬地、墓地という面をのみとらえるのは本質を見失う事と思う。
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おおいのうみんピアに行くたびに、あれが蒼島かなあと眺めていた。蒼島は見えるはずもなく、児島のようだ。

若狭の地にたどり着いた海人族が、蒼島を聖地として崇めたことは間違いないだろう。だからこそ船を降りて鳥居をくぐり、その核心部に登っていくことがこんなにも感動的なことなのだ。つづく
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鳥居をくぐり、急な坂を登っていく。

【作業日誌 7/17】
ノウゼンカズラの杭、立て直し(背丈が足りないんだって)P1030453
薪割り

もっと高いのがいるんだって。
【今日のじょん】農協からヒマワリの種を2粒配布して各家庭で育てている。以前は背比べのコンテストになっていたようだが、今はどうだか?
市民新聞には記録の記事が載っており、3mを越えている。我が家のは2mあまりでたいしたことはない。農協の庭に貧相なのが植わっているということ、しゃれの効いた楽しいはなしだ。
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