先週木曜日の昼前、訃報が届いた。
Aさんの長男からの着信。
彼からの電話が鳴ることはほとんどないので、いや〜な予感はした。
Aさんは私のプライベートレンタルショップの店主。
そう、公私ともに大変お世話になった兄のような存在の人。
昨年、大腸ガンの手術を行ったが、今年5月に再発、腹膜播種と診断されていた。
治療方法がないからと緩和ケアを薦められたが、納得がいかないと啖呵を切ってその大学病院とは縁を切り、
生きる強い意志をみせていた。
水曜日に腹水を処理するための簡単なバイパス手術を受け、木曜日に退院するはずだった。
その早朝に急変、帰らぬ人となった。
そうした状況だったので、多少の覚悟はしていた。
来年の桜の季節くらいにはお別れなのかな、、、、、と。
それまでにいろいろと話をしたかった。
通夜から帰宅後、弔辞をしたためたので棺にいれさせてもらった。
Aさん、あなたと出会ったのは私が社会に出た年だと記憶しますので、もう41年前のことになります。あなたが36歳、私が22歳でした。
その時すでにあなたは会社の代表を務め、私が入社した会社の取引先であったあなたの会社は、新入社員である私の教育を担当してくれたようなものでした。以来、どこでどう気があったのか、一回りも年下の私をとてもかわいがっていただきました。
仕事で分からないことがあれば教えていただき、迷いがあればアドバイスをいただき、そして社員旅行に同行させていただいたり・・・・・
私が会社の運営を任されるようになってからは、企業経営について多くを教えてくれました。また、経営が苦しいときには援助もしていただきました。感謝の念に堪えません。
あなたが私の自宅の近く、佐倉市に転居してきてからは通勤を共にするようになり、より多くの時間を共有しました。
プライベートの時間を共にすることも多くなり、ゴルフに釣りにと付き合っていただきました。釣りでは印象深い想い出があります。アジ釣りに出掛けた私たちは結局1匹も釣れず、あなたは「ボウズでは家族に示しがつかない」というので、帰路、鮮魚店に立ち寄りアジを仕入れ、大きさの揃ったアジをクーラーボックスに放り込んでいました。あなたらしいお茶目なシーンでしたが、きっと奥さんにはバレバレでしたよ。あなたのことですから、すぐに白状したのかもしれませんが。
思えば32年前、私たちの結婚式で乾杯の発声をしてくれたのはあなたでした。そして今年、わが家の長男の結婚式ではあなたの自慢の息子たちの一人、芸能界で活躍する○○君が宴にとても素敵な演出を加えてくれました。A家の皆さんにはお世話になりっぱなしです。
私はリタイア後には山歩きを楽しもうと計画しており、あなたにはそれに付き合っていただくつもりでした。山に囲まれた土地で育ったあなたはきっと賛同してくれたはずです。それが叶わずとても残念です。
人は二度死ぬといわれるそうです。一度目の死は肉体が滅んだとき。二度目の死はすべての人の記憶から消えたとき。
いまあなたは一つ目の命、人生を終え一度目の死を迎えました。二つ目の命、つまりあなたとの思い出、あなたを知る人々の記憶からあなたが消え去るのはまだまだ先のことになります。あなたのお孫さんが人生を終える頃、あなたは二度目の死を迎えることになるのでしょう。それまでどうか、天国から私たちを見守ってください。
Aさん、私にとってあなたは、面倒見の良い兄のような存在でした。
ひとまず、さようならです。また、お会いしましょう。
74歳と11か月。
まだまだ一緒に遊びたかった。
合掌