ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

アニメ!あとこまごま!

2005-07-10 18:54:29 | Weblog
トップをねらえ2!の第三話を借りてきて観ました…。
ガイナックスはかなり力を入れてますね。ニコラの顔なんかかなりクオリティ高いです。
子供達を話に絡めたのはどうだったんだろう…「いい話」にこだわるのは…キャラクターが泣くだけ泣いてこっちはおいてけぼり、じゃあ困るんですよね…でも、嫌いじゃないです、第三話。ただ、宇宙怪獣はもう少し描き込んで欲しいなw

いろいろ面白い試みはありましたね…マイナス1兆2千億度なんて、絶対零度がマイナス273度だとわかってて使うあたり、思わず笑ってしまいます。あと、子供達三人の一人、女の子がかわいかったし、チコの幼少時代もカナーリいいです。こういう細かいところで↑に書いたようなアラが隠れるんですよね…まあ、こーゆーところを誉めると剣呑なのかな?w俺は心は南海キャンディーズの山ちゃんのみかけそのままの男ですからw「しずちゃん、俺のルックスにその発言はリアル過ぎるよ~」ってなことで。

俺は36歳ですけど日曜の朝7:30からのテレビ朝日の90分が至福な男ですからね!まあ後ろ指を指されても仕方ありませんや!でも、小さな子とどうにかなりたいとマジで考えちゃうあたりのセンスは全くわかりません。性的聖性や純情無垢をそこに見出すのかな?でも、俺は個人的な経験から言って、小学校や中学校の頃の同級生の女の子なんててんであばずれだったですからねぇ!…いや、っつっても口だけなんですけどさ。それが、体を実際に使っちゃうあたりが一時期流行った援助交際とかで邪悪な結実につながるわけで…妖しい妄想は頭の中だけで!体は使うな!それが、俺のそーいった方面の指針です。でも、悪い大人たちはそれを崩させようとするんですよね…それが大人の仲間入り?俺は、それは嫌いです。

他にもふたつ、DVDを借りてきました。「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」と「ショーシャンクの空に」。うる星2は久しぶりに観たくなったので。今でも押さんのマスターピースだと思ってます。ショーシャンクは…好きな方には悪いけど、なめてます。俺はとにかくトム・ハンクスが嫌いで、「フォレストガンプ」なんざあもうペッペッですよ。その感動路線を踏襲してる臭いがショーシャンクからはするんですよね…でも、友達がほめてたので…俺の先入観が当たってるか外れてるか?ま、ほどなくわかります。

ん~、とりあえずこれくらいにしときますね。又。(~o~)ノシ
コメント (8)
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あたりさわりがありますが

2005-07-10 17:25:33 | Weblog
友達に読んでもらって「難しい!」と不評だった文章を転載します…わかりやすさは心がけているつもりですが…まあ読んでください。

 自分は宗教的な人間ではないと思い込んでいたが、それへ疑問符が点灯したのは郷ひろみの「ハレルヤ・バーニングラブ」を好きになった時だった。たった今聴いているSMAPの「SHAKE」にも「ハレルヤ」という言葉が繰り返し出てくるが好きな歌だ。そうなると曲調で騙されてノせられれば何でも受け容れる公衆便所なのか俺は?しかし西城秀樹の「ヤングマン」がYMCA賛歌なのにはそれと判ってから今でも違和感が続いている。何がOKで何がNGなのか?「もうなんでもありだよ~」とか言っちゃう物言いはささやかなレベルでは構わないのだが核戦争で人類滅亡もありがと問われるとやはり少しためらう。やはり越えてはならない一線というのがある。そこでけろっとした顔で「核戦争?アリじゃない?」という発言もありうるがそれはミサイルのボタンを持ってない人間だから言える言葉であって、俺としてはそれをアリだと言えるほどダダでデカダンスではない。
 村上龍がこだわる「希望」という言葉は思ったより重要なんだな、と、それが俺の十代の頃との考え方の違いかもしれない。「人生って愛も希望もなくても生きていけるんだよね」と卒業の言葉を遺した友達がいた。高校全体のムードは友達の言葉に準拠したものだった。安易な説明だが「シラケ」が漂い覆う集団。俺はそれが嫌だったが熱血を演じきれるほど幸せなやつでもなかったし…「人一人の力なんて小さいんだよね 何も変えられないんだよね」みたいな言葉も聞いたがそれも嫌だ。未来は素晴らしいものになるという根拠の無い強烈な思い込み、それだけで俺は生きてきたと思う。二十歳そこそこの頃、ノストラダムスの予言にびくびくしていたのにある夜「無量大数規模の人が住む宇宙」のイメージが天啓のごとくベッドの俺へ舞い降りた。「続けていかなければならない 滅びは救いではない」平井和正が「幻魔」を通して伝えたかったことから、今の俺はそう考える。俺が宗教を肯んぜないのは宗旨徹底・宗旨達成のためなら殺しも辞さないというその直情とも冷徹な論理ともつかない妖しが嫌いだからだろう。そうでなければ、俺は理想郷とか好きだし万人が幸せな星とか宇宙とか、善いものだと思う。
 無量大数とは一兆に一兆をかけて一兆をかけて一兆をかけて一兆をかけて更に一億をかけた位の数字だ。しかし…俺の言いたいこと、もう判るかな?判りますか?w

…という文章なんですが…コメント、お待ちしておりますφ(_ _)m
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