どうしちゃったんですか皆さん。…そんなに朝まで生ビールが琴線に触れました?…いやね、近頃ずっと右肩下がりだったアクセス数とip数がどんっ!と回復したんでびびってんですわ。ま、言うまでもなくささやかぁなレベルではありますけど。でも、嬉しくないわけないわけで。ありがとうございますm(_ _)m
じゃあ、勇み足で俺の革命の青写真でも公開しちゃいましょうかな。俺だって雌伏十余年、いたずらに歳を重ねてきたわけじゃありませんから。…でも、きっと長くながぁくなりますね。何回も切っては続けますんで、よろしかったらおつきあいください。
まず、俺が天皇家や天皇をどう思ってるかから書きはじめましょうか。うん、それがいいかもしれない。…俺は、幼少の頃、教会学校に通ってた時期がありました。神様やキリストを心から慕っていた時期があります。でも、教会学校も幼稚園や小学校と同じで理想郷じゃないと早い時期に思い知らされた出来事がいくつかありまして。それで、通うのをやめました。いや、思いとしては逆に、「この人たちほんとに神様やキリストが好きなの?好きならこういう行いはしないんじゃないか?」っていうのがあります。だから、俺は俺一人でもっと正しい神様、キリストとのつきあいで生きていこうと幼いなりに思ったのです。…天皇の話じゃないねwでも、「神」との俺の歩みなので、はずせないわけです。
俺、ピアノを5歳の時から習ってまして。3人目の先生にえらく見込まれてしまって、芸大にいける才能があるから、みたいな話さえされておだてられちゃってた頃があったんですよ。そんなこと言われたら、俺だって先生を喜ばせたいなぁと思って、いかにほめてもらえる演奏が出来るか、ということを追求したりしはじめるわけです。方法論の模索ですな。で、俺は俺の方法論を発見したんですな。それは、「神様にお祈りしながら演奏するとほめられることが多い」という法則でした。そんなことは口にはしませんでしたけどね。…ところが、中学三年のときに転換点が訪れました。とあるコンクールに参加することになったんです。で、岩手県大会に出ました。バッハのシンフォニアとショパンの遺作ワルツが課題でした。…本番の時、俺は、いつもにもまして強く祈りながら演奏してましてね。…ところが、ふっと頭の中が真っ白になって、止まってしまったんです。…このことが、俺の神への疑いの強いきっかけになりました。…いや、とりあえずその予選は通過したんですけど、でもね。その後、遠藤周作の「沈黙」を読んだりカートヴォネガットに心酔した時期があったり、ニューアカの影響とかで、がががっと無神論に傾きました。「この世に神がいるとしたら、そいつ、俺達のこと嫌いだぜ」…「プラネテス」の主人公、ハチマキのセリフですが、なんかわかります。俺は、「この世に神がいるにしては、この世は醜すぎる」と思いました。神の名のもとに行われる戦争につぐ戦争、そこからの脱却を求めて無神論に基づいて建国したソ連に共感しました。いや、彼等も至らなかったからつぶれたんですが、ソ連の復活に俺は前向きです。ただし、無神論は捨てたままで構わないと思います。俺は、ソ連崩壊は共産主義の敗北ではなく、無神論の敗北だと考えています。その証拠に、教会が復活しました。それから、俺は無神論を標榜して宇宙進出の先鞭を切ったソ連のそこが好きだしすごいと思います。「ボクには神様がついていて幸せだしこのままでいいやー」と思ってる人は宇宙へ真っ先に出ようとは思わないんじゃないですか?「宇宙は神の領域だ!人間ごときが傲慢な!畏れ多い!」そんなことさえ言い出しそうな教会は腐っていると思います。
…キリスト教信者は、この世の悲惨な出来事の責任は全て人の罪にしたてあげ、人のつくりあげた成果の誉れは神に帰属させます。あるいは、俺は熱心な信者さんと話し合ったんですが、その時彼女は「戦争みたいな悲しい出来事も神様のお考えのあってのことであり、貧富や身分の差などの不平等も、それぞれがそれぞれに見合った幸せと満足を得るべきで不満を言うべきではない」みたいなことを言いました。俺は、がっかりしたし、怒りを覚えました。なにもかもがこのままでよくて、ただひたすら神に祈ってさえいればいい…俺は、それはありえないと強く思います。
とりあえず、ここで切ります。続くと思います。
じゃあ、勇み足で俺の革命の青写真でも公開しちゃいましょうかな。俺だって雌伏十余年、いたずらに歳を重ねてきたわけじゃありませんから。…でも、きっと長くながぁくなりますね。何回も切っては続けますんで、よろしかったらおつきあいください。
まず、俺が天皇家や天皇をどう思ってるかから書きはじめましょうか。うん、それがいいかもしれない。…俺は、幼少の頃、教会学校に通ってた時期がありました。神様やキリストを心から慕っていた時期があります。でも、教会学校も幼稚園や小学校と同じで理想郷じゃないと早い時期に思い知らされた出来事がいくつかありまして。それで、通うのをやめました。いや、思いとしては逆に、「この人たちほんとに神様やキリストが好きなの?好きならこういう行いはしないんじゃないか?」っていうのがあります。だから、俺は俺一人でもっと正しい神様、キリストとのつきあいで生きていこうと幼いなりに思ったのです。…天皇の話じゃないねwでも、「神」との俺の歩みなので、はずせないわけです。
俺、ピアノを5歳の時から習ってまして。3人目の先生にえらく見込まれてしまって、芸大にいける才能があるから、みたいな話さえされておだてられちゃってた頃があったんですよ。そんなこと言われたら、俺だって先生を喜ばせたいなぁと思って、いかにほめてもらえる演奏が出来るか、ということを追求したりしはじめるわけです。方法論の模索ですな。で、俺は俺の方法論を発見したんですな。それは、「神様にお祈りしながら演奏するとほめられることが多い」という法則でした。そんなことは口にはしませんでしたけどね。…ところが、中学三年のときに転換点が訪れました。とあるコンクールに参加することになったんです。で、岩手県大会に出ました。バッハのシンフォニアとショパンの遺作ワルツが課題でした。…本番の時、俺は、いつもにもまして強く祈りながら演奏してましてね。…ところが、ふっと頭の中が真っ白になって、止まってしまったんです。…このことが、俺の神への疑いの強いきっかけになりました。…いや、とりあえずその予選は通過したんですけど、でもね。その後、遠藤周作の「沈黙」を読んだりカートヴォネガットに心酔した時期があったり、ニューアカの影響とかで、がががっと無神論に傾きました。「この世に神がいるとしたら、そいつ、俺達のこと嫌いだぜ」…「プラネテス」の主人公、ハチマキのセリフですが、なんかわかります。俺は、「この世に神がいるにしては、この世は醜すぎる」と思いました。神の名のもとに行われる戦争につぐ戦争、そこからの脱却を求めて無神論に基づいて建国したソ連に共感しました。いや、彼等も至らなかったからつぶれたんですが、ソ連の復活に俺は前向きです。ただし、無神論は捨てたままで構わないと思います。俺は、ソ連崩壊は共産主義の敗北ではなく、無神論の敗北だと考えています。その証拠に、教会が復活しました。それから、俺は無神論を標榜して宇宙進出の先鞭を切ったソ連のそこが好きだしすごいと思います。「ボクには神様がついていて幸せだしこのままでいいやー」と思ってる人は宇宙へ真っ先に出ようとは思わないんじゃないですか?「宇宙は神の領域だ!人間ごときが傲慢な!畏れ多い!」そんなことさえ言い出しそうな教会は腐っていると思います。
…キリスト教信者は、この世の悲惨な出来事の責任は全て人の罪にしたてあげ、人のつくりあげた成果の誉れは神に帰属させます。あるいは、俺は熱心な信者さんと話し合ったんですが、その時彼女は「戦争みたいな悲しい出来事も神様のお考えのあってのことであり、貧富や身分の差などの不平等も、それぞれがそれぞれに見合った幸せと満足を得るべきで不満を言うべきではない」みたいなことを言いました。俺は、がっかりしたし、怒りを覚えました。なにもかもがこのままでよくて、ただひたすら神に祈ってさえいればいい…俺は、それはありえないと強く思います。
とりあえず、ここで切ります。続くと思います。