ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

light darkness

2006-04-30 21:01:10 | Weblog
323A.D.に滅亡した朝鮮半島の傀儡国家「楽浪郡」の落人を「倭」に招聘したのが、天皇家の始まり。それはもう確定に等しい。戦後、古墳の管理が緩かった時期があるのが…まあ、言ってみれば命取り、なのだろうか。いや、命拾いなのかもしれない。楽浪郡は後漢の後ろ盾が無くなったために権力を失ったのであり、古墳の埋葬方式は後漢のそれである。

俺は、この国で嘘を正史として教えるのでなければ、当座天皇家存続で構わない。言うなれば、客人権威製造機関。不必要な存在ではない。ましてや「あらひとがみ」。この概念はこんにち重要になりつつある、日増しに。

受け容れがたいかもしれないが、誰もが「あらひとがみ」を目指さないと、地球の諸問題は解決しないというなんともはやハードルの高いオチが待っていた、というわけだ。西暦世紀末を越えてみたら。

今年は皇紀2666年なんだそうだ。聖飢魔Ⅱがはしゃぐわけだ。閣下の声が健在なのに、今日未明のNHK総合で驚いた。今年の理科年表には、神武ナントカ暦2666年、と新しい表記が記され、由来まで記述されているそうだ。なんなんでせうなw

タイトルだが…

半島由来をかつぐのもいい。民をたぶらかすのは憤る。この仮説を導入すると辻褄が合う話を思い出せるだろうか。

御簾。

朝鮮語しか話せないから、直に話すことを許さなかったという、連れてきたやつの頭の良さ。しばらくこの伝統が続いた。

天皇家を哀れむのは、半島出自でありながら、やまとことばを任されているところだ。年明けに必ず催される歌会。天皇家は、朝鮮語を忘れずにいるだろうか。俺なら、嫌で嫌で仕方ないだろう。ずらりと並んだ「うたうたい」が大和言葉を並べるのを聞いているのは。なにしろ、朝鮮人なのだ。

国籍を頑として持たないところが、天皇家の矜持だろう。

天皇家にもかわゆこちゃんは歴史的に現れるらしい。
そういう娘が何をすのかと言うと、田舎者の成り上がりをたぶらかして、半島を奪い返しにそそのかす。女のまんこはすごいね。よくやるよ。

これが闇だ。男と女の闇が重なる時。それは心の闇と言うより、身体の闇と言うべきだ。

希に、この国にはとっても優しいやつが現れる。そいつがしたことで、なんとかこの国の淫らさを他の国々に許して貰っている。優しいだけではないからだ。皆の暮らしを良くし、幸せをもたらしてくれるという。謎めいたやつが、希に、現れる。誰のパーソナリティなのかは俺は知らない。

悪魔を自認している奴等が、それに固執し続けるかどうかが、これからの行方の鍵だ。彼らは破壊が生業。究極には永遠の滅び、永遠の無を望む。肯んぜない願い。説得とかなんとか、そういう生ぬるい言葉で言うことを受け容れるものなのかどうか。

それと同時に、地球の25万年周期の磁場変動の兆し。この世のハルは、まだ来たのかどうか、怪しくはある。

「誰もがあらひとがみを目指」し始めた時、それを止めようとする誰かがいたとしたら。まさに、そのアナウンサー、スポークスマンが、「最も腐った者」を依代とした「組織」を代弁している筈だ。そして、それは「大東亜戦争」の焼き直しに過ぎなくなるだろう。それこそが、その悪しき者らの思う壺である。ハルマゲドンというふざけた物言いをうつつにもたらすこと、それが何よりの願いのやつらが、確かにこの星にいる。生きて、息をしている。

ここまで考えてくると、様々言われたポストモダン、現代フランス思想のシンセリティがわかってくる。それを避けるには、「脱構築・脱体系」…いや、「脱組織」。これしかない。言葉のやりとりはまず構わないだろうが、組織に抗う組織を作ると、シナリオに載せられる、そういうことだ。

愛、平和、正義、良心、慈悲…善性を再び心に宿すことを恐れない。身体を汚すことでひとりごちない。そんなに難しい答えではなかったのに、何故これほど回り道をしたのだろうか…それは、いつかゆっくり考えよう。
コメント
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