ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

康考

2006-09-17 19:32:43 | Weblog
あの肥満体である。フニャチンでも突っ込もうとする噂のある、とんねると一心同体少女隊の、ホリエモンと近づこうとしてしくじった。


走るバスの窓からきみは身を乗り出し ずっと手を振りながら何か叫び続ける
きみの麦藁帽子風にさらわれても きみとぼくの心は終わらない夏休み

海を抱きしめた西向きの部屋 すこし壊れかけていた扇風機
赤いウォーターメロンほおばりながら 厚いドリルを片付けた
きみと二人で撮った写真栞にして 日記書きかけのまま終わらない夏休み
遠いセミの鳴き声潮が退くみたいに 早い黄昏きても終わらない夏休み

入り江の近くの秘密の場所で叱られている花火を試したね
マッチ擦るたびにきみの横顔大人になっていくようで

”恋はまるで忘れられたパラソルみたい”
古いラジオでは次の台風北上すると伝えてた

バスが見えなくなってきみの名前呼べば なぜかわからないけど頬に冷たい滴
きみが街に帰って秋が近づいても 今もぼくの心は終わらない夏休み

終わらない夏休み 終わらない夏休み 終わらない夏休み


「夏休みは終わらない」おニャン子クラブ(1987)


デブの歌詞に高橋研先輩がメロディをつけている。

80年代の若者文化は嘲笑文化だった。デブととんねるはその筆頭だった。だが、この歌の基底にあるものが嘲笑だとするならば、デブの才能は驚くべきものだと思う。嘲笑やシニック、ニヒル・ダダからこの歌詞が出てくるのならば。

凡庸に見える言葉の羅列。誰でも思いつきそうな。しかし溢れる詩情と情感を同じテクニックで再現できている詩人は存在しない。

「長い髪の少女」という歌がある。

80年代後半、MTVの影響でPVを作るのがめちゃくちゃ流行った時期があった。

「 長 い 髪 の 少 女 」 の P V な ら ば 実によく理解できるというPVがあり、俺は当時ある深夜にそれを観た。

それはまた、夏休みは終わらないのPVとしてでも魂に直撃するPVだった。俺はそれをもう一度でいいから観たいと願い続けて十年以上経った、が、叶わない願いだろう。

そして、「長い髪の少女」を聴いた結果、そのPVはそれのPVではなかったことが判明している。

白いワンピースと白い帽子の少女と、少年の出てくるPVである。バスまで出てくる。ロケーションはとある田舎だ。

少女は長い黒髪。

歌としては同じコンビの明るい「真っ赤な自転車」のほうが成功してるし人気のある歌である。内容も理想的だ。揺るぎないラブラブソング。真っ赤な自転車はメジャーコード、終わらない夏休みはマイナーコード。

更に言うなら、おニャン子クラブはやはり「セーラー服を脱がさないで」だし。さりげなく今年、CMに使われている。なにやってんすか、三谷さん。

しかし、この日本の男に通底する共感としてのこの風景は、いつ、だれの、どこのものなのだろうか、と、思いをはせたくなる。セーラー服よりも自転車よりも、俺はそうだ。

叶わなかった初恋を直接には思わせる。

しかし、よく考えると「夏休みが終わらない」ことは、かろうじてその恋が持続していることも示唆している…マイナーコードに歌われた永遠の…。

俺は今世紀に入って前よりずっとデブを評価するようになった。デブのコラムは二十年来相変わらず最悪だが。STARS。
コメント
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