キリストの見せた行いで特筆すべきは「甦り」の概念を身を呈して一般化 大衆化したことだ、と以前記した。
しかし、それは。
おそらく、「そう仕組まれていた」のであって、彼ははめられたことを悟った時はもう遅かったという。
ワルガキだったレノンがどこぞの東洋人と接触してからは聖人になってしまったことから類推して欲しい。
「さんざん愉しんだだろ?じたばたしなさんな」
っぽい御託が下ったことと思われる。
さて。キリストは、踊らされていることを悟りながら、何か己が言葉を遺せないものかと考えたことと思う。それで紡ぎだされたのが
「貧しき者は幸いである。天国は彼らのものである」
これだ。キリストが地球初の宇宙飛行士と呼ばれる所以だ。そして、確かに最も宇宙へ真っ先に飛び出したのは、「貧しき国家」ソ連だった。
「いつか、あの星へ連れて行ってあげる」
「うん」
恋にときめく二人の間で交わされる言葉。それはきっと1万年前から繰り返し交わされ、常に嘘で終わってきた。前世紀、人類はそれを嘘で終わらせなかった。
それを「貧しさ」と結びつけたキリスト。常識との逆転、ねじれ。
特筆すべきである。なぜなら、富める者はごく僅かであり、僅かの者が宇宙にちょろちょろ出たところで状況は殆ど何も変わらないからだ。
「んなこと言ったって、ロケットは高くつく」
確かに。これまでは、そうだった。
しかし、ロケットはとどのつまり、「ガスを噴き出し続ければいい」のだ。ガスの種類はなんでもいい。極端な話、おならだって全く構わないわけだ。ただ、「大量高圧に」「長時間(少なくとも数分)」出し続けなければならない。専門用語で比推力と言う。
ここにつけ入る隙がある。と、俺は見ている。
技術は革新され続けている。ゴダードやオーベルトの時代には、無かったものがゴロゴロしているのだ。エクソダスは金持ちの為にあるのではない。
えーくそだす。