ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

苦手なこととこにためしにつっこむ

2007-09-30 10:24:51 | Weblog
仏教は苦手で、さらにイスラムは興味すらおぼつかない。

それはつまり俺の科学開拓好きに因るのだと思う。仏教は「いーじゃん今のままで。平和ならば。ついでにちょっとくらい不幸や闇があるのが世です世」、と、俺には受け取れるのだな。それはひょっとしたら本来と異なるのやもしれんが、意味もわからずただ暗記詠唱を求める求心力のありかたであった昭和仏教を眺めてきた俺としては、「バカな大衆をどう抑え込むか」を追及した結果としてのマキャベリズムパッチファイル蓋然打算宗教にしか受け取れんかったわけよ。過去形なんだけどさ。なにゆえかとゆえば、例えば「資本主義大国」日本を演出した功績は確かにゆるぎなくある。今となっては功罪だどもな。陰陽だのゆうてはなから堕落あてがいを備え付けなわけやし。

考えてみれば、遠藤周作先生は仏教のそういうとこに屈した作風だったとゆえるである。

「お前は愛の純潔を求めて裏切られた。さあ、次はお前が裏切る権利を手にしたのだ。しろ。」

仏の裏面は、そう言ってるに俺には思える。

そして、表の顔は平易にこやか。これは確かにむっつりすけべいの日本人に大方合致しとったべねい。

俺の煩悶は、「転換点における対立」
にあったのだな。

「はい。ここからは、真実の愛を享受できる世代。これまでの方はおひきとりください。これが進化です。」

これは納得せんだろう。俺の他の憂いとして、「「おれたちもえっちなビデオみたかったなー、狡いよおにーちゃんたち」というものがあったが、それは

俺の、「美と愛の断つことのできぬ関連」

を無知ゆえであった。背筋の寒くなるほどの真実。

美というと…魅力、といってもいい。みせかけの美はある。そのみせかけの美の教育に余念無き商人は多い。ちょっと中断。

**  いんたあみっちょん  **
「みせかけの美は 無表情を要求する」。

きっすは~そうぞうしてたぁのと~ちょっとちがう

あぷりこっときっす。

**  いんたあ芳本美代子 おすまい  **
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「心の声を聞くんだ」2.0

2007-09-30 01:33:23 | Weblog
ほほー。聞いていいの。ほほおおお。モシモシ俺の心の声さん、どう思われまする?

「マドンナ気取りのブタ女が居るのお。失笑じゃ。」

だ、そうです。

2.0:
これわりかし展開することが判明。

「俺が今こっちが前向きになればおなのこ挿れまくれりな珍奇な状態にあることを指して、『やりまくりすてぃーにおなりなさいなそすっとたすかるのよんさま売春機構が円滑に廻るから』といいたいのかしら。じゃあおなのこに手、つけまくろうかしら」

マア昭和平成ヤリチ節ヤネ。

したっけそりゃー心の声でネグテ
ちんこの声じゃね?

どうもあゆよ。

お前がお前の心の声をきいてないんじゃねーのかな。

そう考える。ともあれ、今のお前はださっ。
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