ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

ニーチェもういっこ

2011-09-20 17:56:19 | Weblog
をれらのオヤジの世代はニーチェを嫌悪している

をれのオヤジも文句を言っていた

西部邁さんも佐高信さんもなんだいあいつなんかみたくゆうておった

要は、ナチスの精神的支柱を成した点が気に入らないということなのだろう。

をれも、ニーチェが強者を賛美する姿勢は嫌いである。支配者たらんすることは恥ずかしいことではないと彼は言うが、をれはそこは弱者のルサンチマンで大いに結構である。

をれがニーチェを評価するのはそういう部分ではなく


彼がドイツの若者を鼓舞し扇動したから

二十世紀初頭のドイツの科学力の大躍進があったのではないか

という 社会現象に基づくものだ。つまり



ドイツの若い科学者たちは、超人たらんと生活したから あのような世界に比類しない成果を収めたのではないか

ツァラトゥストラは人類の英知の進歩に実効性があったのだと。をれはそう考えている。オヤジの世代は難しいことばかりはわかってるくせにそういう簡単な話ほど、からっきし不得手である。


ツァラトゥストラとは、ゾロアスターのドイツ読みなのだそうだ。
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哲学 性について

2011-09-20 17:35:07 | Weblog
別冊宝島のニーチェの本を買った

通読書としてなかなかよくできていると思う。このシリーズの哲学は、正義の話をしよう的なやつも以前買ってなかなか悪くなく思っていたので。

ニーチェというひとは要はこういうことだと思っている。



彼は、売春窟で娼婦を買った。そして、その経験を自己否定することを嫌悪した。これは男として潔くないんだが、しかしそういう性格の男だったから仕方がない。当該書籍には彼が梅毒に冒されたことはオミットされている。

売春ってよくないことなんだけどしちゃってゴメンネしたくないので

性欲を賛美する。簡単な男といえばそうだ。

をれはこのケースはこういうことだと思っている

彼の通ったか行った売春窟は、当時のドイツのキリスト教会が一枚噛んでいたのであろう。

売春婦が堂々としている理由をご存知だろうか。

それは客に権威者 こんにちだと政治家 芸能人 その他もろもろが居るからなのだ。

なになにさんすら抱いたあたしが悪いことしてるわけがない

これが売春婦の正義である。当時だと 神父なりなんなりなわけだ。

ニーチェはそれを 実施調査せずに漠然とその不実を非・具体的に直感で感得したうえで、キリスト教を叩いたのだと思っている。もちろんそこには矛盾がある。しかし、ニーチェは もっと こうであってほしいキリスト教 のビジョンがあったはずだとをれは思う。もっと 牧歌的な。もっと 根源的な。それとのずれが 売春婦を抱いて 彼女に権威をさずけてしまう神父に象徴される。



少しずれるが、クリストファー・リーヴ スーパーマンですね 彼の小品に バチカンの嵐 という作品がある。これはをれが観たキリスト教映画で一二を争う名作なので、ぜひみなさんも探して観てみてください。をれは

世界一美しい交通渋滞があります

と 評したことがある。



さて ここまではニーチェという叩き台なしには成立しないあなた頼りの文章だが

をれは尻馬に乗る悪い癖があると思ってる パロディ体質 オリジナリティの薄い男

なので

ちぺこに をらは哲学者さなるだ と おてまみに書いたその落とし前をここでほんのちょっぴりつけてみたい。



それは性哲学である。

哲学とはなにか。それは、ある人物がある行動行為を採る その理由 根拠となる考察のことだ。なぜあるのか 人間はいかに生きねばならぬか そういうこともそうなんだが

抽象化すると、上記のまとめかたができる。つまり哲学は日常に結構ころがっているもの。



おそらく

清廉な性ほど

精神的にも肉体的にも満足をもたらすだろう

ということである。ひとは、堕落した性ほど興奮すると大抵考えるものであるが

それは世界で一番根の深い勘違いだ。ちぺこは 性がそんな一筋縄なわけないでしょこの童貞 とゆっとりまつ。
コメント (2)
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