うーん
言いたくないが、ヌルかったのかなあ。そのね
悪の、造型が。その 凄惨な暴力の対象とするには、悪の説得力が弱い。憎んでも憎み切れないぃゃあきたらない悪じゃないんですよ。
その説明が無い。しかしそこは、庵野さんが知ってる悪の姿を具体的に述べてしまうと、製作に、ストップが、かかるでしょう。
うーん
言いたくないが、ヌルかったのかなあ。そのね
悪の、造型が。その 凄惨な暴力の対象とするには、悪の説得力が弱い。憎んでも憎み切れないぃゃあきたらない悪じゃないんですよ。
その説明が無い。しかしそこは、庵野さんが知ってる悪の姿を具体的に述べてしまうと、製作に、ストップが、かかるでしょう。
思いました?つまりあれですよ。
ここには人間はいなかった。ひとりもな。
これ。しかしねをれはここで言いたいのは
そいつらが、ノンマルトであり、海のトリトンのポセイドン族なんだぜと指摘するとなお正しい。そこがわかってないと
をれらの正義の自信が揺らぎやすい。
なんと言ったらいいのだろう。。。これは、庵野さんの作品でよくあることだが、
予期していたものとは異なった。予告から受ける印象とは異なる、説明の多い、作品であった。そして
人造人間庵野秀明が、人間になろうともがいているのであろうか?といった、変遷、を感じた。変節、ではない。
をれは、仮面ライダー2号にもなりたくて、人生やっている。と、なると、敵として相手となる悪は
今回のシン仮面ライダーで題材となったような悪ではない。むしろ、富樫が、とりあげたことがあると
言っていいのかもしれない。そこは、庵野さんも、配給に乗せるのだから、限界があるであろう。
シンウルトラマンのほうが娯楽として楽しめた。シン仮面ライダーはむしろ、当惑ををれに寄越している。だから
このように、ブログエントリーしているのだと思う。庵野さんは、友情を信じるようなひとではないと、をれは勝手に誤解してきていた。また
この作品は、進撃の巨人のように
侵略してくれて、ありがとう作品であろうか?とも、をれは考えてみてみた。とにかく
精密コンピューターそのものであった庵野さんの作風が、少し様相を変えたように、をれは思ったのである。
出渕さんの仕事が、一番ついてこれてなかったのではないだろうか?ともおもう。仮面ライダーはよい。怪人デザインが総じてダメだ。シンウルトラマンについてはおもしろかった、メフィラスとゼットンのデザインはだめだよ、人間メフィラスは最高だった、長澤まさみが急に泣くのは確かにおかしいと思った
だから、ブログエントリーする必要がなかったのだ。シン仮面ライダーはそうではない。もやもやする。楽しめたかは微妙だというか、娯楽作だったか、というとそうではない気がするのだ。楽しんでスカっとすればよいのではない。
統一教会の存在によって、われわれは、以前より、マシな人間になってはいないであろうか。しかし彼らの罪は罪なのである。あ、それと
庵野さんからの私信は無いように感じた。
ちぺことつきおうてから三十五年経った。
今、それを口にしてみてやや愕然としたので。三十五年ですか。ちぺこが
もしをれに一途なのなら、とんでもない古風なやまとなでしこでつニ。
[T Factory X FLO 덕콘70] 유키카(YUKIKA) - 애월(愛月)
をれは、うめぼしに関して、若い世代のインフルエンサーだったのである。つまり、苦手なのだ。しかしてそれは
堅き操はうめの花@菅原道真
の道のまさか@真逆 だからゆえなのだなとおもい、以来、コンビニおむすびも、折に触れて敢えてうめぼしを買って食べるようにしている。で、今回のこれ
おいしい。合成酢特有のつんざくような刺激味が皆無。どこまでも、まろやかである。をれは砂糖がもすこしすくないとベストだとおもうが許容範囲。つまりこれ
なんでもかんでも化学味であたりめーのコンビニめしにしては、やりよるお味なのですたい。これを食べるようになったらほんとに
よこしまなこころが激減したのでおどろきではある。
つまり、ぶりっ子でない。
正妻に対する正夫という言葉があるかは知らぬが、ぶりっ子とはなにかというと
間男にしか見せぬかおは夫には隠しておくものだ、ということなのである。これに関して、をれとちぺこの会話を軽くシミュレートすると次のようなものになる;
かほるさんちぺこのことそんなふうに見てるんだ。おまえのこととはゆってない。だってぶりっ子なんだばちぺこのことだとおもうえんちぇ。かんがえすぎだつの。かほるさんていつもそう、ことはたらず。そりゃおまえがをれに大事なことなにひとつはなさねーからだ。