今回は毒を吐く。
だいぶ前に書いた話だが、友達に見せたら「ネガティブだ」と言われお蔵入りになりかかっていた話だ。
あらためて読み返したら面白かったので、毒を増して話をのせる。
先日、友人と話していてこういう話を聞いた。
とあるツアーではお食事会があり、その時にサービスとして最初のドリンクが無料で配られるとのこと。
ある年配のご婦人が聞いたそうな。
「ビールとワインはどちらが高いですか?」
「それはワインですね。」
「では一番高い物を下さい。」
「・・・・・・」
そんなこと言われたらゴルゴ13でなくても「・・・・・・」になってしまうだろうに。
ゴルゴ13でない友人はボクに言った。
「俺はなんて言っていいか分からなかったよ。『一番美味しいワインを下さい』ならまだ分かるけど『一番高いものを』だぜ。あっけにとられていたらさ、周りの人が『私も』『それなら私も』って次から次へと言ってきて。まあ仕方ないからそれを注文したけどさ・・・」
ボクならばこう聞き返したくなってしまう。
「あなたが今、本当に飲みたいものは何ですか?ジュースですか?ビールですか?赤ワインですか?白ワインですか?それとも値段が高ければ何でもいいのですか?」
ズバリと本質をついた質問は時には人を傷つける。
だがそれはエゴの殻にひびを入れる最初の一突きでもある。
ガイドとお客さんという関係の中でそれは難しいものでもある。
こう聞かれた時に反応する態度は人それぞれであろう。
「今、のどが渇いているからビールにしようかな」
「さっぱりした白ワインを飲みたいな」
「あまり渋くない赤ワインはないかしら?」
「お酒がダメなので美味しいフルーツジュースはあるかな?」
もしくは
「うるさいわね、あなた。何でもいいから一番高い飲み物を持ってきなさい」
人それぞれである。
「ではあなたには水ですね。なぜなら水はここではタダです。昔から言うじゃないですか『タダほど高いものはない』ってね」
ここまで言ったら確実にクレームが来るので言わない。
『口は災いのもと』でもある。
北村家二軍筆頭のエーちゃんが言っていた。
「近頃は普通の人がヤクザ化しているんですよ」
取れる所からは取ってやれ、という態度だ。
自分が払うものは最小に抑え、最大の利益を要求する。
資本主義の骨格がこれなのだが、それが個人の心まで染み渡っている。
ツアーでも同じこと。
安いツアーを買っておきながら、ホテルが良くない、食べ物がまずい、サービスが悪いと文句を言う。
「安いツアーを選んだのはあなたですよ」
とはとても言えない。火に油をそそぐようなものだ。
真実は人を傷つけ、傷つけられた人は「ガイドの態度が悪い」とクレームを出す。
自分自身を見つめることなく、他人を攻撃して自分を守ろうとする。
なので黙っている。『さわらぬ神にたたりなし』だな。
ヤクザ化の現われで、ゴネ得、ごねた者勝ち、などという言葉もでてきた。
サービス業に携わっている人なら、間違いなく経験はあるだろう。
山小屋よ、どうだ?オマエさんのところにも表立って書けない話は山ほどあるだろう。
全てエゴである。そしてエゴは伝染する。
サービス業で他人のエゴを受けた人が、消費者になるとエゴむき出しのわからずやに変身する。
クレーマーである。
自分がやられたから人にもやってやれ、という方式が見える。
『目には目を、歯には歯を』
ある人は行く旅の先々でクレームをつけながら旅をするという。
それが旅行関係者というのだから笑ってしまう。
旅行規約にかなりうるさい人で、普通の人なら気にしないような些細な事もその人にはごねるネタとなる。
そんなあら捜しをするような心理状況で旅を楽しめるわけはない。結果的に損をするのは自分なのだが、それも自分が選んでいることだから仕方がない。
こうなると客という立場を利用する脅迫者である。ヤクザと全く変わらない。
幸いなことにボクのところにはそういう人は来ない。
クレーマーはエゴが飛び出た極端な例だが、タダならば一番値段が高い物を手に入れたい、というのもエゴが本質を覆い隠してしまういい例だ。自分が何を飲みたいのかも分からなくなってしまう。
そして共通していることは、エゴに縛られている人にはそれが見えない。そして伝染する。
「私にも一番高い物を下さい」となってしまう。
それを言う人も50代60代の、本来ならそれを見て「あなた、それはおかしいんじゃないの」というべき年代の、分別がつくべき大人なのだからあきれてしまう。
そういう人達の子供の世代にモンスターペアレンツがいるというのも頷ける。
親の世代の隠れたエゴが子の世代になって飛び出すわけだ。さらにひどくなるとクレーマーになる。
自分さえよければいいという親に育てられた孫の世代はどうなるだろう。考えただけでも恐ろしい。
『子は親の鏡』
こういった人々を責めているわけではない。
本人たちは深く考えることなく無意識に言っているだけだ。
ただエゴというのは無意識の中に隠れている。
それに気付かないことが問題なのだ。それに気が付き認めたときエゴは行き場がなくなり消える。
エゴというのはなんとか消えないように人間の心を利用する。気付かれても認められないよう、自分を正当化するのはエゴの一つのやりかただ。
欲望、虚栄心、権力、依存心、無関心、怠惰、社会のシステム、過去のこだわり、未来への不安、ありとあらゆるものを利用する。
巧みに意識の奥底に潜み、エゴが膨らむチャンスを待つ。
本人が気付きかけると、周りの人を巻き込み本人に気付かせないようにする。
「一番高い物を」と言った人にはエゴを気付かせないよう、周りに働きかけ、私も、俺も、と巻き込む。
みんながそういうのならば安心するので本人はそれ以上考えない。
かくしてエゴは心の中にとどまり肥え太る。
気の毒なボクの友人はゴルゴ13のごとく「・・・・・・・・・・・・」という言葉にならない台詞をはく。
そしてボクにその話をして、ブログのネタになるというわけだ。
昔からの格言には今の世の中にそのまま当てはまるものも少なくない。
最後に本日の教訓。
『人のふり見て我がふり直せ』
だいぶ前に書いた話だが、友達に見せたら「ネガティブだ」と言われお蔵入りになりかかっていた話だ。
あらためて読み返したら面白かったので、毒を増して話をのせる。
先日、友人と話していてこういう話を聞いた。
とあるツアーではお食事会があり、その時にサービスとして最初のドリンクが無料で配られるとのこと。
ある年配のご婦人が聞いたそうな。
「ビールとワインはどちらが高いですか?」
「それはワインですね。」
「では一番高い物を下さい。」
「・・・・・・」
そんなこと言われたらゴルゴ13でなくても「・・・・・・」になってしまうだろうに。
ゴルゴ13でない友人はボクに言った。
「俺はなんて言っていいか分からなかったよ。『一番美味しいワインを下さい』ならまだ分かるけど『一番高いものを』だぜ。あっけにとられていたらさ、周りの人が『私も』『それなら私も』って次から次へと言ってきて。まあ仕方ないからそれを注文したけどさ・・・」
ボクならばこう聞き返したくなってしまう。
「あなたが今、本当に飲みたいものは何ですか?ジュースですか?ビールですか?赤ワインですか?白ワインですか?それとも値段が高ければ何でもいいのですか?」
ズバリと本質をついた質問は時には人を傷つける。
だがそれはエゴの殻にひびを入れる最初の一突きでもある。
ガイドとお客さんという関係の中でそれは難しいものでもある。
こう聞かれた時に反応する態度は人それぞれであろう。
「今、のどが渇いているからビールにしようかな」
「さっぱりした白ワインを飲みたいな」
「あまり渋くない赤ワインはないかしら?」
「お酒がダメなので美味しいフルーツジュースはあるかな?」
もしくは
「うるさいわね、あなた。何でもいいから一番高い飲み物を持ってきなさい」
人それぞれである。
「ではあなたには水ですね。なぜなら水はここではタダです。昔から言うじゃないですか『タダほど高いものはない』ってね」
ここまで言ったら確実にクレームが来るので言わない。
『口は災いのもと』でもある。
北村家二軍筆頭のエーちゃんが言っていた。
「近頃は普通の人がヤクザ化しているんですよ」
取れる所からは取ってやれ、という態度だ。
自分が払うものは最小に抑え、最大の利益を要求する。
資本主義の骨格がこれなのだが、それが個人の心まで染み渡っている。
ツアーでも同じこと。
安いツアーを買っておきながら、ホテルが良くない、食べ物がまずい、サービスが悪いと文句を言う。
「安いツアーを選んだのはあなたですよ」
とはとても言えない。火に油をそそぐようなものだ。
真実は人を傷つけ、傷つけられた人は「ガイドの態度が悪い」とクレームを出す。
自分自身を見つめることなく、他人を攻撃して自分を守ろうとする。
なので黙っている。『さわらぬ神にたたりなし』だな。
ヤクザ化の現われで、ゴネ得、ごねた者勝ち、などという言葉もでてきた。
サービス業に携わっている人なら、間違いなく経験はあるだろう。
山小屋よ、どうだ?オマエさんのところにも表立って書けない話は山ほどあるだろう。
全てエゴである。そしてエゴは伝染する。
サービス業で他人のエゴを受けた人が、消費者になるとエゴむき出しのわからずやに変身する。
クレーマーである。
自分がやられたから人にもやってやれ、という方式が見える。
『目には目を、歯には歯を』
ある人は行く旅の先々でクレームをつけながら旅をするという。
それが旅行関係者というのだから笑ってしまう。
旅行規約にかなりうるさい人で、普通の人なら気にしないような些細な事もその人にはごねるネタとなる。
そんなあら捜しをするような心理状況で旅を楽しめるわけはない。結果的に損をするのは自分なのだが、それも自分が選んでいることだから仕方がない。
こうなると客という立場を利用する脅迫者である。ヤクザと全く変わらない。
幸いなことにボクのところにはそういう人は来ない。
クレーマーはエゴが飛び出た極端な例だが、タダならば一番値段が高い物を手に入れたい、というのもエゴが本質を覆い隠してしまういい例だ。自分が何を飲みたいのかも分からなくなってしまう。
そして共通していることは、エゴに縛られている人にはそれが見えない。そして伝染する。
「私にも一番高い物を下さい」となってしまう。
それを言う人も50代60代の、本来ならそれを見て「あなた、それはおかしいんじゃないの」というべき年代の、分別がつくべき大人なのだからあきれてしまう。
そういう人達の子供の世代にモンスターペアレンツがいるというのも頷ける。
親の世代の隠れたエゴが子の世代になって飛び出すわけだ。さらにひどくなるとクレーマーになる。
自分さえよければいいという親に育てられた孫の世代はどうなるだろう。考えただけでも恐ろしい。
『子は親の鏡』
こういった人々を責めているわけではない。
本人たちは深く考えることなく無意識に言っているだけだ。
ただエゴというのは無意識の中に隠れている。
それに気付かないことが問題なのだ。それに気が付き認めたときエゴは行き場がなくなり消える。
エゴというのはなんとか消えないように人間の心を利用する。気付かれても認められないよう、自分を正当化するのはエゴの一つのやりかただ。
欲望、虚栄心、権力、依存心、無関心、怠惰、社会のシステム、過去のこだわり、未来への不安、ありとあらゆるものを利用する。
巧みに意識の奥底に潜み、エゴが膨らむチャンスを待つ。
本人が気付きかけると、周りの人を巻き込み本人に気付かせないようにする。
「一番高い物を」と言った人にはエゴを気付かせないよう、周りに働きかけ、私も、俺も、と巻き込む。
みんながそういうのならば安心するので本人はそれ以上考えない。
かくしてエゴは心の中にとどまり肥え太る。
気の毒なボクの友人はゴルゴ13のごとく「・・・・・・・・・・・・」という言葉にならない台詞をはく。
そしてボクにその話をして、ブログのネタになるというわけだ。
昔からの格言には今の世の中にそのまま当てはまるものも少なくない。
最後に本日の教訓。
『人のふり見て我がふり直せ』
無事に日本に着いて、友達の家に行ったりドタバタしてます。27日にスイスに行きます。
今回は、日本で旅程管理研修という添乗員の資格を取ってみました。大学生くらいの海外添乗員をしようと思っている人たちがメインの研修です。その先生が、40後半くらいの添乗員なんですが、授業中にロストバゲージの処理方法の授業をしている最中、こんな質問をしてきました。
先生「私の経験上、ロストバゲージをしやすいお客さまがいらっしゃるんですね。どういうお客さまだと思いますか?」
生徒たち「・・・・・」
俺 「苦情を言うクレーマーの人」
先生「その通り。何で分かったんですか!? あなた、旅行業界長いでしょう。」
この先生も「何かエゴ丸出しにすると、本人に返ってくるんですよね。」って言ってました。そんなもんですよね。
えーちゃんうまいこと言う!
人を呪わば穴二つ、ですな。
明鏡止水の心だな。
素晴らしい。