あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

一隅を照らす 目の前に見える世界

2021-08-27 | 日記


ニュージーランド全土がロックダウンとなり1週間。
オークランドでは大変なことになっているが、南島は感染者も出ておらず静かなものである。
ロックダウン中は社会生活に必要な仕事はそのまま続けられる。
警察とか消防とか医療関係、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、ゴミ収集、運送その他諸々である。
農業もそこに含まれていて、ワイナリーの仕事も農業なので、僕は全く変わらずに仕事を続けている。
ワイナリーへの通勤で車がほとんどいないのが、ロックダウン以前との変化ぐらいだ。



葡萄の剪定は誰でもできるものではなく、切る枝と残す枝を考えて枝を切る。
その後で切った枝を取り払い、残った枝をワイヤーに縛り付けていく。
これは誰でもできる作業で、僕がやっているのはこれだ。
誰でもできるが、上手くやらないと膨らみ始めた芽がポロリと落ちてしまうし、枝がポキリと折れてしまう。



8月というのに春のような暖かい日が続き、葡萄が芽吹き始めた。
一番早いものは葉っぱが出てしまった。
1週間前に50cmぐらい雪が降りその直後にロックダウンになったものだから、そのパウダーも誰にも踏まれずに消えていく。
葡萄畑は牧場と隣接していて、その辺りではポコポコ子羊が生まれて賑やかだ。
空は青く牧場は緑、羊はのんびりと草を食み、目の前の景色は平和そのものだ。
そんな中で歴史のラジオを聴きながら仕事をしていると、ロックダウン中だということを忘れてしまう。



ミクロで見るかマクロで見るかで世の中の見方は変わる。
ニュージーランドという国で見ればロックダウン中で大変だが、僕の目の前に広がる世界はひたすらに平和だ。
何が正しくて何が間違っているか分からないが、自分が今現在存在している世界では問題は何も無い。
存在とは何だろう、という答えの無い問いを問いかけると、バカにするように子羊がメーと鳴く。
思わず脱力をするその感覚さえも微笑ましい。



一隅を照らす、という言葉がある。
天台宗を開いた最澄というお坊さんの言葉で、アフガニスタンで志半ばして亡くなった中村哲先生の座右の銘でもある。
各個人がそれぞれに自分が置かれている場所や立場でやるべきことを一生懸命やる。
そういったものの積み重ねがこの世界を明るくする、という意味だ。
僕が若い世代の人達にエラそーに言う「自分がやるべきことをドンドンやりなさい」これも同じような意味だ。
歴史のラジオで空海と最澄の話があり、また中村哲先生の話も出てきて、この言葉を聞いた。
世間ではいろいろな事が起こっている、
だが自分の目の前には葡萄畑が広がっていて、自分が今やるべきこととは一本一本葡萄の枝を縛り付けていくこと。
気の遠くなるような数の葡萄の木が並んでいるが、考えようによっては、この行為そのものが修行なのではないか。
そんなことを考えながら仕事をしていたら、横で羊がメーと鳴いた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ご縁があって、ラベンダーか... | トップ | 9月11日 Porters »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事